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ゆうれい女房と男(同人誌お試し版)

【すき焼き】

 享年二十八歳。
妻の葉月は持病の心臓病で亡くなった。
そして二年後になっても、仙堂は生きている。

 ある詩人は言った。
愛するものが死んだ時には、自殺しなきゃあなりません。

 今日の夕食はすき焼きだった。
仙堂が作ったわけではない。ただなじみの居酒屋に寄ったとき、そこの奥さんが仙堂を見るなり驚いて。
「ちょっと! あんた痩せすぎじゃない!」
 そう言って、自分たち用のすき焼きを分け与えたのだ。
 そんなに痩せていたのだろうかと仙堂は頭を傾げる。
確かに最近は固形の栄養食品ばかりをつい食べてしまっていたが、栄養自体は悪くはない気がする。歩いていると携帯電話を見かけた。
 最近携帯電話がはやりになっている。まわりも買っているせいか、仙堂にもすすめてくるのだが、仙堂は買わなかった。
 もし買ってしまったら、どんな時間も電話がかかってきて、自分の生活が侵されてしまうような気がした。生きるための労働と、心の洗濯をするための酒と、あとは静かな時間が欲しい。

<<まことに人生、一瞬の夢、
ゴム風船の、美しさかな>>

 葉月は死ぬ前にまるでうたうようにそう言っていた。

 すき焼きはおいしかった。久しぶりにまともな肉を食べた気がした。甘辛い汁の味が胃にしみた。葉月は料理が上手だったが病弱で動けない日も多かった。そのため出来るだけ仙堂が作っていた。すき焼きも作っていた。葉月は「ごちそうだー!」と喜んだものだ。けれども入院してからは、食事作りは適当になった。

「もう、喜んでくれないし……」

 すき焼きをのせ、たれがしみこんだ白米をのどの奥へと送り込んだ。

「うーん、暗いのも困っちゃうんだけどなぁ」

 ふと聞き覚えのある声がした。目を見開き、顔をあげると。
テーブルにひじをついて、こちらを見ている人がいた。
長くさらりと伸びた黒髪、たれ目で少しぽってりとした唇。
肩が出た桜色のセーターを着ている。

「葉月……」

 仙堂は頭を抱える。とうとう自分は幻覚が見えるようになったらしい。
葉月が見えるなんて、いよいよ重病だ。
「やっぱ、病院に行くべきなのか。皆の言うとおり」
 すると幻覚はテーブルに身を乗り出してきた。
「ちょっとっ。なんか、変なものみたいな扱いはやめてよ!」
 テーブルが大きく揺れてぎょっとする。仙堂は目を瞬かせていると、幻覚は自分を指さした。
「え、こんなに幻覚って、激しいの」
「だから幻覚じゃない! まぁ、実存しているかって言うと、また違うけど」
「……はぁ」
 どうしよう、ここで何か物申しても事態が混迷するしかないんじゃないか。幻覚でもいい、葉月の顔が見られたらそれで……。
 葉月に見える幻覚は深々と頭を下げた。
「信じてくれないでしょうけど、私は葉月です。不祥、ゆうれいとなって戻りました」
「……」
「……」
 互いに黙り込む。黙り込むが、仙堂の頭は混乱している。葉月がゆうれいになって……? どういうことだ。いやそれにしても、本当にこの幻覚はディテールがしっかりしているというか……仙堂は思わず幻覚の頬を摘んだ。
「え」
……摘めてしまった。
とても覚えがある感触と冷たさ。あれだ……亡くなり体温が冷え切った葉月と同じ冷たさだ。幻覚は、いや葉月は、その冷たい指先で自分の頬を摘む仙堂の指に触れた。
「分かりました?」
「ああ」
「……お久しぶり」
「ああ……」
「なんですか、そんな呆然として。もっと喜んでくださいよ、感動しませんか。テレビなら視聴率とれますよ」
「今ので涙、引っ込んだよ」
「え」
 葉月は目を大きくする。オロオロし出す。その小動物のような仕草は、とても懐かしかった。まるで頬を滑る夏草のような心地よさだ。  
仙堂は言った。
「その口調、確かに葉月だ。君は本当にそういう奴だった」
 それから続けて言った。
「どうしてここに? ゆうれいになったんだ?」
 葉月はくすぐったそうに言った。
「あなたに、逢いたかったんです」

【春雷】

 葉月との再会から二ヶ月が経った。
あの冬の寒い日。すき焼きを食べていたら出てきた葉月は、自分に逢いたかったと言った。
仙堂は思う。今こうして何事もなく二ヶ月が経過し、春の匂いも強くなっている。
どうしてこんな奇跡が起きたのだろうと頭を傾げたくなるが、深くは問わないと決めた。
今、この時間が、愛おしいものには変わらないのだから。

 葉月は不可思議なゆうれいだった。人には見えず、自分だけに見えている。話すことが出来るのはもちろん自分だけだ。しかし彼女は家のものには触れられる。仙堂と手も触れられる。しかしそこにぬくもりはなく、冷え切った死体そのもののだった。だから葉月のことを触ると、葉月の死が浮かび上がるように感じた。

 三月の終わり際だ。休日で仙堂はじぃっとテレビを見ていた。最初は新聞も読んでいたのだが、何度も見返しをしていると飽きてしまって、テレビへと視線を移していた。昼間過ぎのテレビはドラマの再放送をしていた。会社の女性社員の間で評判の番組だった。髪をかきあげるさまが似合う男優と、勝ち気な女優の恋模様が楽しいらしい。
「まるで魚の目みたい。しかも新鮮ではないの」
 テーブルを挟んで反対側に座っていた葉月がぽつりと言った。
「どういうことだ、それは」
「いえ、ね、あなたの目のこと。どよんとして、まるで死んだ魚の目のようなの。新鮮じゃないから濁っているような」
「……ゆうれいに言われるのは非常に微妙だ」
「むしろゆうれいだからこそ、的確な表現が出来ると思わない?」
 説得力が有り余っている。仙堂はテレビを消した。
 葉月はおっと言わんばかりの顔をして、仙堂を見る。
「だが暇なんだ。テレビ以外で面白いこともないだろ」
「図書館にいけばいいじゃないですか。泳ぐことも嫌いじゃないでしょ」
「面倒だな」
「いるかみたいにすいすい泳いで、私は好きだったなぁ」
「……面倒なんだ」
 葉月が帰ってきても、当たり前だが生前と同じなわけじゃない。心臓病の発作がいつ起きるのか、腹の底にもぐりこんで消えなかった、薄ら寒い懸念は取り払われていたが、それでも以前と同じように振る舞えなかった、特にあの肌の冷たさが嫌だ。死者みたいだ、いや死者なのだけれど。

 ゴロゴロと外から雷の鳴る音がする。春雷が近づいている。
心も体も吹きすさぶような冷えが空気に満ちていた。
町が春を迎えても、温かい日が続くわけではない。冷え切って、顔をしかめてしまう日もある。
とはいえ先日まで温かい日が続いて、こたつなどの暖房器具は仕舞ってしまったけど。
 仙堂はぼそりと言った。
「春はなんでだろうな、こう温かくなったり寒くなったりで、正直落ち着かない」
「あぁ、せん君。また落ち込んでいるの?」
「ん? そりゃ、この天気なら……」
 仙堂は窓の外を見る。暗く黒みの強い灰色の雲が空中を覆っている。
鈍重な雲の間からは、地を響かせるような音と共に、白い閃光が走る。
「こんな天気の日は、こんな空の色をしていたんだね」
 葉月はぽつりと言った。
「どういうことだ」
 仙堂の言葉に、葉月は小さく笑みを漏らす。小花が咲いたような可憐さだ。
「だって、こんな日は体の調子が悪くて……とても目を開けられなかったんですもの」
 葉月は小首を傾げる。
「空の機嫌が悪いときを見られるのも、また、おつですねー」
 そうか、葉月は死んだから……病気にもう苛まわれることはない。

……死が彼女を自由にしたんだ。仙堂は項垂れるように頭を下げた。

 けれど置いてかれたものとしては、たまったものじゃない。

ゴロゴロとまた雷が鳴った。白い光が窓一杯に広がった。
じじじと電灯の光が一定ではなくなる。よほど近くに落ちたようだ。
停電になってしまったらどうしよう。それよりも自然の力というのはどうしてこんなに人の不安を煽るのだろう。顔に出すわけではないが、自然と表情は消えていく。能面みたいな顔だ。

 無意識に手をさすっていると、座っていた葉月が立ち上がった。
「ちょっと、台所に行くね」
 台所……彼女にとってはこの家はすでに自分の居場所となっているらしい。まったく彼女の力はどうなっているんだと思うが、台所に立つ姿は以前と変わらず凜としている。
 梅の匂いとアルコール、しゃかしゃかと何かをかき混ぜている音。後ろ姿からは何を作っているのか分からない。だけれど立ち上がって見る勇気も持てない。料理に関しては、葉月は頑固なところがあった。
「これは私の仕事なの」
 それはろくに病弱で動けなかった彼女の、最後の意地だったのだろうか。

 十分も経たずして葉月はやってきた。
小さな盆を持っている。その盆の上には湯気の立つ湯飲みがあった。
甘いアルコールの香りがする。
 葉月は自慢げに言った。
「たまご梅酒を作ってみたの」
「たまご……梅酒?」
「そう。あなたって、日本酒が苦手でしょ。だから、梅酒で卵酒を作ったの」
 そんなものがあるのかと驚いた。葉月はそっと、テーブルにたまご梅酒を置く。
「こんなに冷える日だから、あなたにあったまって欲しくて」
「……」
「あれ? 変なこと言った?」
「……いや」
 仙堂は己を恥じる。葉月は仙堂を馬鹿みたいに考えてくれていたのだ。
春雷の不安定な天気に苛立ち、死んだ魚の目になっていた仙堂がどうやったら元気になるのかなと。
ふくよかな餅のような、こんな小さな人間を受け止める力はどこから来るのか。
……分からない、分からない……。進化の過程の謎を探るくらい、謎だ。
 それでも、この出されたたまご梅酒は飲まなければいけないだろう。彼女のぬくもりの味だ。

 あの冷たい手から、この温かいものは生み出されたのだ。

 春雷が花を散らすような勢いで、その光を轟かせた。
仙堂は甘くなめらかで、梅の香りがかぐわしいそれを、喉の奥へ流しこむ。
喉の奥が柔らかく、けれど確かに熱くなり、仙堂は息をついた。

「……おいしいよ、葉月」

【向日葵】

 レンタカーを借りて遠出する。
夏の空気は年々とひどく熱くなっている。じっとりとまとわりつく汗。呼吸が苦しいほどの焼けた空気。
神様というものがいるとしたら、ずいぶんと優しくないことをする
アスファルトに照り返しをする日光は、町をサウナに変貌させる。
クーラーを効かせた車に乗って、町を通り抜けて、一本道を走る。
その途中で葉月が声を上げた。

「窓開けてっ」

 どうしたと思いつつ、仙堂はスイッチを押して窓を開く。
「なんなんだよ。葉月」
 葉月は髪が風で乱れるのにも構わず、声を上げる。
「夏がいるよ、せん君」
「えぇ?」
 仙堂は一瞬葉月の言うことが理解できず、疑問の声をあげる。
しかし前を向いて、あっと声を上げた。
「夏だ……」
 濃厚な青い空にのぼるような入道雲。
道の脇には仙堂と葉月を迎え居るように向日葵が咲いている。
まるで絵に描いたような、夏がそこにあった。

 仙堂は夏が嫌いだ。食欲はなくなるし、仕事の疲れはどっとくるし……いいことなど何もない。
ただビールは旨いと思う。喉を通るあの感覚のよさが際立つのは、夏だからだと思う。
だから高校野球でも見て、夏はぼぉと過ごすのが一番だと思っていた。
だが……。
「あなた! 盆休みだからって、だらだらしすぎじゃない?」
「いいんだよ……別に予定はないんだし」
「そういうものじゃ、ありませんよ。逆に体調崩す!」
 葉月は熱い闘志がこもった目でこっちを見ている。なんだろう、葉月は生前から妙なスイッチが入る。葉月スイッチと密かに仙堂は呼んでいた。何か体がうずうずするのか、周りが怠惰だと、どうにかしようとしてしまう。葉月のお節介癖だ。
「じゃあ、どうすればいいんだよ。葉月」
 寝転がっている仙堂に、葉月は正座して顔を覗き込む。
「どこかに出かけましょう」
「は?」
「心のリセットです。お出かけしましょう」

……出かければ、心の怠惰がどうにかなると思っているのだろうか。
それはそれで面白い発想だとは思うが。

「無理だろ」
「え!」
「だって、葉月は体弱いだろ、夏に出かけるときは、要注意って……」
 そう言いかけて、目を見開いた。自分は何を言っているのだろう。
葉月はとても冷たい手で、仙堂の額に触れた。そして目を隠す。
「死んだから、大丈夫ですよ。その心配は」
 葉月の声は存外に優しかった。

ああ、と仙堂は思う。

――――気を遣わせてしまった。

 後悔して、胸に込み上がる気持ちを、仙堂はとても言えなかった。

「向日葵を見に行こう」
 長めだった盆休みも、後二日というところで仙堂は言った。
葉月はきょとんと目を丸くしたが、やがて目をきらきらと輝かせた。
「向日葵!」
「そうだよ、向日葵だ。ずっと前から見たがっていただろ」
「あの花畑に連れて行ってくれるんですよね」
 仙堂は小さく頷いた。
「レンタカーも借りてるから。一緒に行こう」
 葉月は子供のように手を上げて喜んだ。
仙堂は思わず嬉しくなって、一緒に笑ってしまった。

 向日葵は彼女との、約束の花だ。
「向日葵が見たいな……」
 白く、消毒液の匂いが常に満ちた病室だった。
風呂に毎日入れない葉月は、少し脂に濡れた髪をかき上げながら言った。
「向日葵?」
「そう、向日葵……」
 茹だるように暑い、夏の日だった。
どうして彼女がいきなり、向日葵を見たいのかは分からなかった。
 けれども葉月の体は小康状態で、ちょっとの刺激でどんなことになるか分からなかった。
死期は近かった。この白い、病室から離れたら、彼女は蝶となって、ふわふわとどこかに逝ってしまうのではと思った。仙堂は出来るだけ優しく言う。
「元気になったら見に行こう」
 葉月はゆっくりと頷いた。まるで全てを飲み込むように。
「そうね、約束よ」

 向日葵の花畑は向日葵の間をかいくぐるように遊歩道が整備されていた。
少し軋む木の遊歩道を進んで、葉月と向日葵を見ていく。それにしても本当に鮮やかな黄色だ。
それが太陽に向かって花を咲かしているのだから、壮観すぎる。
確か花言葉は「あなただけを見つめる」だったのを思い出した。太陽をむき続ける花の特性を考えると、これほどぴったりな言葉はない。そこまで考えて、仙堂は視線をさまよわせた。

ーーどうして自分は、この花言葉を知っているのだろう。

 花が風で揺らぐ中、それに合わせるように仙堂は頭を傾げた。
うってかわって葉月はふわりと飛んでしまいそうなほど軽やかな足取りで向日葵を眺めている。
花という芸術に魅せられているようにも見える。よほど見たかったのだろう。
死を目前にしても見たいと口にしていたくらいなのだから。 
 仙堂は、熱心に向日葵を見る妻の背中に、言葉を投げかけた。
「どうして、そんなに向日葵が見たかったんだい?」
 葉月は顔を少しだけこちらに向けて、目を丸くした。
「思い出のある花だからだよ」
「思い出?」
 葉月は真正面に立った。愛らしい唇をとがらせている。
「覚えてないの? せん君」
「え」
 何か自分に関わる思い出を葉月は持っているのだろうか。しかし仙堂はうまく思い出せない。
葉月とは高校の同級生で、そこからの付き合いになる。十二年間の思い出は傍から見れば短いかもしれないが、仙堂の中では濃く降り積もっている。そこから向日葵に関わる思い出を探すのは困難だった。
「あー、覚えてないんだー」
「ちょっと待って。思い出す、思い出すから」
「本当にー?」
 いつもならば可愛く聞こえる声も、焦った仙堂からすれば最高の煽りだ。頼ってしまうのもアリだが、どうしても自分はこの思い出を思い出したい。一体、何の記憶だ……。
 そう思っていると急に額に冷たいものが落ちた。何だと思うと水滴だった。
水滴は何粒も落ちてきた、あぁっと気づいたときには「葉月」と呼ぶ。
「雨が降ってきたぞ!」
 天気雨だった。

 花畑を抜けきったところにはバス停があった。そこには小さな待合のための小屋もあった。
仙堂と葉月はそこに飛び込んだ。雨で服は濡れてしまった。葉月の手を思わず握って走ったから、スピードが思うように出せなかった。荒く息をつきながら、それでも葉月を見る。
「大丈夫か、濡れてないか」
 仙堂の手は冷え切っていた。葉月の手を握っていた手は、まるで冬の空気にあてられたかのように冷えている。葉月は仙堂を見上げた。
「大丈夫、ちっとも濡れてない……」
「結構雨が降っていたのに?」
「あのね……私は、やっぱりそういうものみたいだから。そういうことみたい」
 仙堂が葉月の全体をしげしげと見る。確かにまったく濡れていない。
むしろ現実感がそぐわないほどに、服は綺麗に乾いていて、まるでデパートのマネキンの服のようだ。
「環境に影響されないみたいだね……私」
 葉月は小さく言った。
「心配かけて、損させたね……ごめんね」

 どうして、人生はままならないんだ。

 互いに沈黙してしまう。
しかしその時間はそれほど短くなかった。
葉月はよしと言って、自分の頬をぎゅぅと手のひらで押したのだ。
「ど、どうしたんだよ。急に」
「気合い注入だよ、自分に。むぎゅーと」
「葉月、その癖、変わらないんだな。昔から……」
 そこまで言って、ぱっと花火が咲くように。仙堂は思い出した。
そうだ、あの時のことなんだと。

 葉月は通っていた高校では、ゆうれいというあだ名がついていた。
別に彼女に対して誰かが悪意を持ったわけではない。
ただ病気で留年するほど休んでいた彼女は、席があるのに存在していないようで。

――――そう、まさしく「ゆうれい」だったのだ。

 高校二年の夏だった。ゆうれいの彼女は本当にゆうれいになるのではという噂が立った。
かなり難しい手術を受けるらしい。そんな状況に色めきたったのが、クラスの人気者だった。
重度の病人の彼女を応援する品物を送る。
 そうして彼女を元気にしたい! 
それは気のいい人間の、ありきたりな善意だった。
けれども少しはドラマチックではないだろうか。
クラスの連中も参加して、折り紙で花を作ることになった。
思い思いにいくつも花を作った。
その花にゆうれいの彼女が喜ぶのではないかと。
 仙堂はその状況に流されつつも、どこか冷めた目でそれを見ていた。

 そんなものでどうにかなる病気なら、誰も苦しまなくてすむのではと思っていた。
でも仙堂も一生懸命に作った。
仙堂にとって、葉月は、話したこともない存在だった。けれどもその儚い姿は知っていた。
月下美人と言えばいいのか。一夜に咲いて、一夜で散りゆくようなその姿が、あまりに愛おしかった。
だから彼女に接触するチャンスがあれば、何でも良かったのだ。
 ……思いを込めて、向日葵を作った。花言葉まで調べた。
彼女をただ見つめていたい、その気持ちだけを込めて。

 彼女の部屋に入る前、ちょっとしたことがあった。
紙の花を贈呈するためのグループに仙堂は同行していたが、いざと言うときに怖じけ着いた。
好きな女の子に、会うのだ。心臓がどうかしてしまいそうだった。
そこで適当なことを言って、外で待っていたのだが、先に入ったグループは存外早く出て行き、逃げるように帰った。どうしたんだと思った。何かあったのだろうか。仙堂は向日葵を手に、病室へと入った。
 そこは無残な光景だった。

 綺麗に整えられた病室。白いカーテン、白い壁、白い床……。
そのベッドにいるのは、細く痩せきった少女の姿だった。
生気もなく、疲弊しきった表情で、花を光にかざしながら見ている。
肌は白く、いや白すぎて、むしろ青みすら感じる。腕は枯れ枝のような頼りなさだ。
そうそこにいるのは、人間じゃなかった。生きた「ゆうれい」だった。

 ゆっくりとしまった扉の音に気づいたのだろうか。
少女はこちらを向いた。
「あなたは……」
「あ……」
 少女の立場をありありと感じさせる光景に、言葉が出ない。
けれども彼女は嬉しそうに微笑んだ。
「仙道君……だよね」
「え」
 素っ頓狂な声。思わず恥ずかしくなった。彼女はどうして自分の名前を知っているのだろう。
その疑問を口にする前に彼女は言った。
「名簿とクラス写真で、全員の顔を覚えていたつもりだったんだけど……間違っていた?」
「い、いや、そんなことない! 仙堂だよ」
「よかったー。間違えていたらどうしよと思ってた」
 彼女は乾いた声で(恐らく喉が渇いているのだろう)けらけらと笑った。
「い、意外だ。その、そんなことをしていると思わなかった」
「そうかな? だって今度教室に行ったとき、名前を呼ぶの間違えていたら、恥ずかしいじゃない」
「教室……」
「いつなのかは分からないけど」
 彼女はそのことを、さっきまでいた連中にも話していたそうだ。そうしたら逃げるように連中は帰っていったそうだ。無理もない。青春という幻想をみていたとしたら、彼女の姿や努力はあまりにも鮮烈な現実で、祈りだ。よくは分からないけど、彼女を取り巻く空気は、平常のそれとは違う。死に神が寄り添っていても違和感がない。そんな彼女に、ただ善意を押しつけに来た子供は、何が出来るのだろう。
 だけど仙堂にとって、そんな彼女の姿は嫌にならない。彼女は死に取り憑かれていても、前を見ていたからだろう。その目はきらきらと輝いていたから。
「それにしても、君はどうしたの? 何かあって、ここに来たと思ったんだけど。そうでもない?」
 目をパチパチと瞬く。そうだ、そもそもの目的は、彼女に花を渡すつもりだったんだ。
彼女は再び花に目をやる。
「すごいよねー、折り紙で花をつくるって大変だろうに」
「そうだね、大変だったよ。折り紙なんて何年も触ってないし……」
「じゃあ、これは皆の気持ちがこもってるんだね。ちょっと笑っちゃう」
「笑う?」
「だって私、ゆうれいなんでしょ。お花を持ってくるなんてお供えみたいじゃない」
「っ……」
 彼女は全てを見透かしていた。そう思えた。
きっと中に込められた安直な善意も読み取っているのだろう。けれどもそれを彼女は面白がっていた。
何だろう、独特な感性なんだろうか。
それとも皮肉で笑っているのだろうか。よく分からなかった。
「で、そうそう。仙堂君はどんなご用事があるの?」
「用事か……葉月さん、手を出してもらえる?」
 この思いを許してくれるだろうか。迷惑だと顔をしかめるだろうか。
仙堂には分からなかった。けれどもこの気持ちもどこかに置かないと、しんどいものがある。
彼女のどんな姿を見ても、すごく嬉しくて仕方がないんだから。ああ、自分は本当に駄目らしい。
「なあに? あ、お花だ……これ、向日葵?」
 彼女は目を丸くする。
 仙堂は頷いた。
「そう、折ってきたんだ」
「なんだ、みんなのと一緒に渡せば良かったのに」
「それは、ちょっと……」
「ダメなの?」
 彼女は不思議そうに目をくりくりとさせる。
仙堂は呼吸が浅くなりそうな自分を必死に抑えて口にした。
「葉月さんは向日葵の花言葉って知ってる?」
「え、えぇと、何だろう……」
「それはね……」
 仙堂は死にたくなりそうな程恥ずかしくなりながら言った。
「あなただけを見つめる……だよ」

 瞼の裏に浮かぶ、少女の顔。
葉月は見たことないほどに頬を紅潮させて、こちらを見ていた。



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