【いわし園芸】こうもり傘
noteブログシティのかたすみにある、note商店街。このたびこちらに園芸ショップを開店しました。当店では季節の草花を取り揃え、お客様にご提供していきたく存じます。
あと、私、大のおしゃべり好きでして、お店に立ち寄って頂いた際には、少しお話にお付き合い頂ければとても嬉しいです。つい今しがたも、メガネの頼りなさげな青年が、花束を買っていってくれたんですがね、それがもう…って、すみません。この季節といえばやっぱりあじさいだね。たくさん入荷してるから、ゆっくり見てってくださいね。
メガネのお兄さん、開店したらすぐにやってきて、真剣な目で、花を選んでるからね、ただごとじゃあないってのはすぐにわかったんですよ。ただごとじゃあない男が花屋に来るってのは、まあ理由はおのずとわかるでしょう?
ここぞというときに、尻込みしちゃうんですよね、僕。決心をかためて山手線に乗り込んだものの、髪型がおかしくないかとか、口に朝食のトーストの欠片がくっついてないかだとか、セリフの予行演習だとか、そんなことをやっていて、気づいたらぐるぐる、なんだか頭が混乱してきて、知恵袋に質問したりだとか、靴を磨いたりだとか、メガネのネジを締めなおしたりだとか、しているうちに山手線を何周も回ってました。
ところで、山手線の区間で、どのあたりがいちばん好きですか? 僕はやっぱり、東京から田端あたりまでが好きなんですよね。街並がだんだんレトロになっていって、なんだか現代から過去に、タイムスリップしたような気分になります。山手線の窓から見える風景って、まるで未来と過去がぐるぐる回っているようです。
ええっと、なんだっけ、はい、そうです、それで、あれこれ思案しつくして、やっと決心がついて、目的地の駅で降りようとしたんです。そしたら、目の前のつり革に、一本のこうもり傘がかけてあって、ぶらぶら揺れてるんですよ。誰かが忘れたんでしょうね。つり革に傘を引っ掛けたまま降りていっちゃうなんて、ずいぶんそそっかしい人がいるものです。よっぽど急いでいたのかな。誰かが目を突いたりしたら危ないから、その傘を持って電車を降り、駅員さんに渡しました。すると、駅員さんが言うんです。
「その傘は、お客さんにとって必要なものなんじゃないかという気がします。あなたが持っていたほうがいい」
僕のじゃない、他の人の忘れ物なんだといっても、ぜんぜん受け取らないんですよ。にやにや笑って。仕方なく傘をもったまま駅を出ました。すると、キツネの嫁入りというのかな、雲ひとつない青空から、ぽつりぽつりと雨が降り出したんです。
僕は誰のだかわからない傘を開きました。つぎの瞬間です。あっと声をあげてしまいました。さっきまで青々と澄み渡っていた空が、いっぺんに真っ暗になっちゃったんです、傘を開いた途端に。町には電灯が灯りはじめました。そして、駅からたくさんの人が出てきました。皆、家に帰る途中のサラリーマンの人たちでした。いったいどうしたんだろう、僕がさっき駅を降りたときにはまだ、真っ昼間だったというのに。わけも分からず立ちずさんでいると、ひとりの女性が歩み寄ってきました。はい、その人は僕のことをずっと待っていたんです。
「ずいぶん遅かったね。どうせあなたのことだから、髪型がおかしくないかとか、口に朝たべたトーストの欠片がくっついてないか、だとか、セリフの予行演習だとか、知恵袋に質問したりだとか、靴を磨いたりだとか、メガネのネジを締めなおしたりだとかして、山手線をぐるぐる回ってたんでしょう。そんなことだろうと思って、お父さんとお母さんには、到着は夜になるって、はじめから言ってあるの。さあ、行きましょう」
ちょっと抜けてるところはあるけど、根はまじめな青年みたいですね。お嫁さんはしっかりしてそうだから、バランスとれてるのかなあ。今日買っていった花束のなかに指輪が入ってるっていうサプライズをやるらしいんですけど、うまく行きますかね。まあ、彼のばあい、失敗したらしたでそれも味になっちゃうんでしょうね。あ、長いことお引き止めしてすみません。では、