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佐和島ゆら
2019年7月13日 03:24
意識がかすんでいく。近くで自分に声をかけている人の存在は分かる。きっと大声で声をかけているのだろう。けれどもその声は、もやにかかっているように遠い。血を口から吐き出しながら、彼女が向かった先とは別の方向を示す。救護以外の人は慌てて走り出していく。そうだ、勘違いしろ。これで凛子が無事に逃げおおせればいい。秋山にとって、何よりも彼女の無事が第一だった。「おい! しっかりしろ……!」 秋山に声をか
2019年7月12日 01:29
昨日と今日、秋山のやることが多くなっている。その原因は簡単なことだ。雨が止んだためである。黒電話はそれまでと打って変わって頻繁に鳴り、山に登れるよう、作業が随時進行していることが伝えられた。もう少しですよという蓮河原の真面目で明るい声が、胸に棘のように刺さった。「はい……ありがとうございます。待ってます」 蓮河原へ伝えた言葉に、うまく感情が乗っていただろうか。自分の本心を悟られずに済
2019年7月9日 20:36
この世には侵してはいけないことがあると思っていた。けして暁善の国では大統領に逆らってはいけないし、治安警察は絶対の正義だから立ち向かってはいけないし、敵と恋に落ちていいのは、禁忌の物語だけだ。 それなのに、自分は……自分は今、どんな感情を抱えている? 派手な水音が響く。しとしとと昨日よりも弱くなる雨の中で その音はひどく乱暴に聞こえた。秋山は水の張った桶で顔を洗っていた、冷たい水が頬を叩
2019年7月9日 20:33
顔をあげられないことがある。どうしようもない恥をかいたとか。情けないものを見られてしまったとか。弱みを見せたんじゃないかとか。その三つが同時に来てしまったのだ、翌日の朝食を食べるときは秋山は顔をとてもあげられなかった。 凛子もそんな秋山に気を使っているのかわからないが、何も言わない。ただもくもくと食べている。せめて笑ってくれたら、感情が高ぶって何もないのだが。 外はまだ雨が降ってい
2019年7月7日 19:19
「本、本を、読む……」 秋山は意を決せないまま、客間であぐらをかいていた。とりあえずどの本を読むのかは今日中に決めることになり、先に凛子が自分に協力してくれることになった。お陰で湯浴みをした後の着替えも確保することができた。布団の場所も教えてもらった。最初凛子は一人で布団を引き出しをしようとしていたが……。「結構重いじゃないか、女の手では余る」 秋山はそう言って自分でやることにした。時間
2019年7月6日 13:09
終わったと思うことがある。酒の席の失敗に、思わぬ失言、その他諸々。今、秋山に訪れたのは、逮捕するべき人物の前で盛大に腹を鳴らしたこと。女は目を瞬かせる。「今の音……」「ぁ……」「秋山殿は本当に空腹なのですね」「違う、そんなことはない!」「ここにきて否定するとは……あなた、相当に頑固ですね」「はあああ、犯罪者が私を分析するな!」「私は別に悪いことをしたつもりはありませんわ おか
2019年7月6日 13:04
女は手錠で手首が痛んだらしく、濡れタオルで手の赤みを引かせようとしていた。秋山と女の間に会話はない。当たり前だ、話すことなどないし、何より相互の立場はあまりに違っていたのだ。片や反逆者で片や反逆者を取り締まるもの。しかもこの女は五年も逃げ続けてきた人間だ。 秋山からすれば同じ人間だと思うのも厳しい。女も秋山を話す必要のない人間だと思っているのだろう。貝のようにむっつりと黙り込んでいた。六畳
2019年7月6日 13:01
どしゃぶりの雨が、平屋の外でごうごうと降っていた。雨はたった一時間前から降り出していたが、その雨量は尋常ではない。平屋の前にある川は大きく氾濫し、家屋と山道をつないでいた橋を、引きちぎるように流してしまったのだ。この事態、全く想定していたものではない。現状の報告をしようと思ったが、黒電話の奥から聞こえる音はツーツーという電子音だけだった。どうにかして相手に連絡を取りたいのに何とも言えない状況、そ