問いを立てる
note、自由に書けるとおもうと、
今興味があること、あちこちに飛んで行きます。
お付き合いくださりありがとうございます。
今日は易経のこと。
易経ってあの棒振るやつ?
と聞かれることが多いですが、
イエス、、でありますがちょっと違う。。
棒を振ると言うより仕分ける、と言う方が
今はしっくりきています。
易は西洋のタロットのように、
問いを立てることから始まります。
でも時には、問いを立てる前に答えは
あなたの周りに生じています。
この世界をとてもシンプルに
表現すると、
時間を司る天、
空間を司る地、
そして「意識」を持つ人の
「天地人」で成り立っています。
もう少し詳しく書くと、
私達は、太陽や月の動きで時間の概念を持ち、
地面があるから東西南北や高さを知る。
それを観察できるのは人だけ。
天も地も、それを観察する人がいなければ
存在できないと聞くと、
人間の役割ってすごいなあと思いませんか。
その人が何かを問うたとき、答えはすでにその内側にあり、
それは振動となって、
この世界、つまり時空のどこかに答えが生じます。
この世界は全て共振だから。
問いを発したときの内側の揺らぎを、世界のどこかが捉えている。。
と初めて聞いた時、なんてロマンがあるんだろうとドキドキしました。
(私だけ?)
内側の如く外側もしかり。
上の如く下もしかり。
良く耳にするこの言葉が、
本当なんだと思います。
私達は
自分の顔は良く見えないように、
自分の意識も分かりづらいもの。
だから、それを問うことで時空に乗せる。
数千年の昔から、私達は
その答えを自然現象から読み取ったり、
50本の棒を振り分けたり、サイコロを振ったりして、
陰陽のコードにして読み解いて答えを出してきました。
易で使う棒は竹でできていて、
「答」え、政「策」、計「算」。。
竹かんむりのつく文字で答えや策を現しているのは偶然ではないよね。
1つ注意するとしたら、
問いを時空に問うなら、「できないこと」や「やる気がない」ことを
問わないこと。
例えば、「明日アメリカに行くと良いか?」と問いながら、行け、と出たのに「無理無理ー」って行かないとか。。そういうのは聞かない方がいい。
だから、問いを立てる時は、問い方がとても大切だと思っています。
その方が何を一番知りたいと思っているか。
答えに対して何らかのアクションや思索ができることなのか。
それを確認しながら問いを決めていきます。
長くなったので、続きはまた明日に。
先日友人の問いをどのように立てていったかを書いてみたいと思います!
カバー写真は、筮竹のフリー写真が見つけられなくて、竹林。