あなたが隠し続けているものは何ですか?
北欧の絵本を紹介するnoteマガジン「子どもの本から北欧を読む」では、北欧らしすぎて日本語には翻訳されないだろうと(わたしが勝手に)思う本を紹介してきました。今回は子どもの本の紹介記事としては50回目になります。
図書館で絵本を手に取るたびに、本当に多様な絵本があるなぁと感じることが多いのですが、以前参加した司書向けの講座でも「北欧の絵本にはもうタブーはない」と言われていました。家族の多様なかたち、性の多様性、離婚、難民、人権、いじめ、学習障がい、うそ、精神疾患、依存症、死、ネグレクト、近親相姦などなど、日本だと「こんなテーマを絵本で扱えるの?!」と思われそうなテーマにも、果敢に真っ向から挑んできます。読み手と子どもたちが直接生活の中で向き合うには難しいテーマでも、フィクションという世界を通すことで向き合いやすくなる。そんな機会を絵本は与えてくれます。50回目に紹介する絵本もそんなひとつ。この絵本を読んだ後、わたしはしばらく唸ってしまって、気持ちを言葉にすることができませんでした。
『わたしのしっぽ』
Min hale 『わたしのしっぽ』
Lilja Scherfig 作 Signe Kjær 絵
Denmark (2020)Jessen & Dalgaard
あらすじ
主人公のわたしにはしっぽがあります。ママはいつも、「しっぽは必ず下着の中に隠しておきなさい」と言います。テープで止めるのは好きじゃないけど、もししっぽを出してしまったら「大変なことになる」とママは怖い顔で言います。
学校でキャンプに行った日の夜、わたしはダンスをしていて気がつくと、しっぽを出して踊っていました。それを見ていたママは、就寝後わたしを寝床から引っぱり出します。そしてわたしを縛り、大きなはさみでしっぽを切り落としてしまうのです。
「ママ、わたしのしっぽだよっ!それはわたしだよ!」
と叫ぶ主人公に、ママは、
「これでしばらくは安泰ってことだわね」と言い放ちます。
自分の一部を切り落とされたショックと悲しみで、わたしはママのもとを飛び出します。
「もどった方が良い?急いで帰って、ごめんなさいって言った方が良い?だってママを怒らせてしまったんだもん。ちゃんとするって約束したのに…でも、でも、ママは、わたしを切ったんだよ!」
辿り着いたのは森の中。翌朝目覚めたわたしは、湖で遊んでいるひとりの女の子に出会います。その子にも同じようなしっぽがありました。
2人は森で一緒に遊びます。大きな声を出したり、鳥のように口笛を吹いたり。森に生えている実を食べたり、水辺に寝ころんで空を眺めたり。
「今、何を感じてるかわかる?」と、わたし。
「ううん、何?」と女の子。
「ぜんぶ、だよ」とわたし。
ふと振り返ると、しっぽがあったところにまた新しいしっぽが生えていました。「また生えてきてるっ!」と言うわたしに、それを見た女の子は、
「もちろん生えるよ!」と言ってうなずきます。
湖の向こう側に、怖い顔をしたママが立っていることに2人は気がつきます。わたしはママの車に乗せられて、家へと帰ります。
家に着くと、ママはまた大きなはさみを出しました。兄弟たちは怖がって何も食べることができず、ただ食卓でしょんぼりしています。わたしは言います。
「ママ、切りたいなら切れば。」
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あなたにとってのしっぽとは?
この本の中で印象的なのはママの視線です。もししっぽが見えてしまったら「大変なことになる」とママは終始娘を脅します。出てしまったしっぽは兄弟の目の前で切り落とされ、わたしは痛みを負わされます。ママがしっぽを切り落とすシーンは言葉とイラストでその痛々しさが激しく描かれています。血が滴り、心身ともに痛みで苦しむわたしの姿はリアルで、これは本当に絵本なのかと思わされるほど。同時に、主人公のわたしがつぶやく言葉は強く読者の心に刺さります。
しっぽはいったい何を象徴しているのでしょう。読み手によって様々なものが想像できるかもしれません。例えば女性性。女の子が自らの性的な部分をさらけ出すことはタブーとされますし、それをしたら最後どんな結果になっても自分の責任だという論調はよくあるものです。または弱さ。涙を見せること、激しく落ち込んだり、怒りをあらわにすることは恥ずかしいことだと信じて生きてきた人にとっては、自分の弱さを人前にさらけ出すことは何としても避けたいことかもしれません。性的マイノリティの人にとっては、環境によっては、自分自身をしっぽのようにずっと隠し通さなくてはいけないかもしれない。つまり、しっぽはその人自身を指すのかもしれません。
ママの視線から逃れたわたしは、森の中で女の子と自由にのびのびと過ごす間に、またしっぽが生えてきていることに気づきます。わたしはそれを驚きとともに女の子に伝えますが、女の子は「もちろん生えるよ!」と答えるだけ。そう、自分自身というものは、隠しても、たとえ切り落とされても消えるものではないのかもしれません。
ママにしっぽを切り落とされたわたしは激しい痛みと悲しみに襲われますが、それでも、自分自身はなくならないのだと気づきます。それが彼女の自信へとつながっていくのです。
この本の最後のページ
あなたが隠し続けているものはありますか?
あなたのお父さん、お母さんが切り取ろうとしてきた、あなたのしっぽは何ですか?あなたが切り取ろうとしている、お子さんのしっぽはありますか?
この本を読んでから、わたしはずっとそれを考え続けています。