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情報過多の世の中で、知識売りで生き残るのは難しいかもしれない

最近フリーランスや会社を経営している人と話す機会が多いのですが、時々聞くのが「優れた技術を持っている人は今やたくさんいるから、そこでの差別化は難しい。だから私は知識を売りにしている」という言葉である。私は自信を持ってこう言える人をすごいと思う。売りにできるだけの膨大な知識量が既に備わっているということである。知識を習得するには時間もかかるし労力もかかる。自信を持って「私には知識がある」というのは誰にでもできることじゃない。よくプロフィールで見かける「〇千人のお客様を見て得た経験で」という文章は間違いなくその人の実績であり、そこで得た知識は顧客が信頼をよせる材料のひとつになるので売りにするのが良いだろう。

消費されるだけの知識でいいのか?

しかし「知識を売りにしている」というのはこのネット社会で情報がいくらでも手に入る時代に、もう知識で抜きんでるというのは難しいのかな、とも思う。

You Tubeを例にとってみるが、5年ほど前のYou Tuberはヒカキンやはじめしゃちょーのように商品紹介や大食い、体をはった企画といったバラエティ色が主流だった。視聴者層も流行に敏感な10代が多く、広く浅く様々な要素を楽しむものだったと思う。そこから派生してビューティーや人間関係、お金の知識といった、大人が情報を得るのに特化した専門チャンネルが増えだした。よく分からない公的な申請書類の書き方も解説している動画がいくつもあるくらいなので、何か分からないことがあればサクッと検索するのが一番なのである。つまり知識はもうネット上に溢れかえっている。視聴者に必要なのは「この中のどれが本当に自分にとって必要なのか」を選別することであって、またさらに新しい知識がほしいのではもはやない。

さらにこの流れはSNSでも見て取れる。インスタグラムで「絶対に〇〇になる方法」や「〇〇になりたければ今すぐ辞めるべき△△」など文字だけの画像を見たことがないだろうか?大体これらの情報はエビデンスもない眉唾なものが多い。中には本当に経験と実績を備えた上で情報発信しているアカウントもあるが、あまりにも今は有象無象がはびこっているのである。SNSサービスが出来た当初は今何をしているかを気軽につぶやいていたTwitterも、旅行写真をシェアして楽しんだいたインスタグラムも、今や巨大なビジネスのPR場だ。有象無象の知識売り、サービス売りがはびこる中、本当に役に立つ知識を配信したとしてそれが本当に差別化になるだろうか?知識を売るのはとてもいいことだが、そのためにかける作業や時間を考えると割に合わないとさえ感じる。

知識を与えればで人は変わるのか?

では、毎日のように知識を配信しているアカウントを見ていれば人は変わるのかというとそういうわけでもない。私がそうだがテレビのダイエット番組を見るけれど、番組が終われば紹介された筋トレや食事内容もきれいさっぱり忘れてお菓子を普通に食べてしまう。せいぜい、60分の番組を見たとしても覚えている内容は1個か2個である。「朝バナナを食べるといい」とか「肩甲骨を動かすと痩せる」とか。

ということはたくさんの知識は必要ないのである。たくさんあっても覚えられない。そしてほとんどの場合、実践まで到達しない。サービスの何にお客様はお金を払うかというと「自分の変化」にお金を払っているのであって、知識をいくら与えられても自分が5キロ痩せなければお金を払えないし満足を得られないのである。

どうしたら人を満足の得られる状態に変えていけるか?

人を変えるには環境に他ならない。高い金額でジムに入会するのも、そこに行けば必ず運動をする環境に身を置くことで、自分にダイエットをさせるのである。またジムに通わなくとも、職場を変えたら忙しくてあっという間に痩せた、ということもある。何かを変えたければ自分の環境を変えてしまうのが一番なのだ。

とすればその環境を提供するのが一番のビジネスになる。もちろん不動産を持つだけではない。オンラインでもオフラインでもコミュニティを作ること、サービスを組み込み無理なくコミュニティに参加してもらうこと。この環境に身を置いたらどんな自分に変化するだろうか明確にイメージさせること。それが環境をつくるということだと思う。

環境+αが出来るとしたら

もしも環境にプラスして独自の売りをPR出来るとしたら、何が良いだろうと考えた時、私は「生き様」が今後売りになるのではないかと思う。これから個人でビジネスを始める人が増えていく中で、個人が自分の中で売りに出来るものといったらこれではないか。情報も技術も足りている世の中で、この人から買いたいと思ってもらうには売り手の人間性やビジョンに共感するかだと思う。2020年、コロナ禍において今まで当たり前にあった生活が当たり前でなくなった時、なくても良いものや自分に本当に必要なものを考える人が多かった。だからより本質的なものに人の意識が集中しやすくなっている。SNSで発信するのは誰にでも当てはまる知識ではなく、私にしかない生き方や考え方が今後差別化ものになってくるのではないか。

ますますオンライン化が進む一方で、より個人としての魅力と集団として自分が身を置く環境に意識が向くと思う。そこが自分にフィットしているか。SNSやビジネスの場は、画一的なものからよりカラフルに鮮やかなものになるだろう。