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vol.4 小さな村の優しいお砂糖「白玉糖」について【芸西村】

sawachinaがクラフトコーラの製造を通じて伝えていきたいストーリー。

それは高知の豊かな食材と食文化、そして人です。

vol.4では、sawachinaに使用しているお砂糖「白玉糖」の作り手・芸西村伝承館製糖組合さんを取材しました。組合で一番の若手であり副理事長を務める石崎好章さん(51)が語る白玉糖のストーリーをお伝えします。

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製糖を始めて6年。副理事長として製糖組合を支えている石崎好章さん。

江戸時代から続く芸西村のお砂糖・白玉糖

「白玉糖」と呼ばれる砂糖作りを伝統産業としていた芸西村。

人口4000人足らずの小さな村で、白玉糖づくりは約200年前の江戸時代から続けられていました。

白玉糖はサトウキビから作るお砂糖で、昭和20年頃には一大産業となり、芸西村には一面サトウキビ畑の風景が広がっていたそうです。

しかし、現在はその風景を見ることができません。昭和45年、外国産の砂糖が安価に入って来た影響で下火となり、産業としての白玉糖づくりは潰えてしまいました。

そんななか、「白玉糖づくりの技術を、未来へ残したい」と結成したのが今回ご紹介する芸西村伝承館製糖組合です。

平成元年に結成してから32年間、冬の時期に限り有志で集まって白玉糖の製造を行っています。

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黒糖ほど褐色させない、ツヤのある美しい白玉糖。優しい甘みと柔らかな口どけが特徴。

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芸西村で生まれ育った好章さん。

子どもの頃には運動会でおやつとしてサトウキビをかじったり、駄菓子屋さんで売っていることもあったといいます。

産業として成り立たなくなってしまっても、白玉糖の名残は芸西村の日常に溶け込んでいました。

幼いころから機械が好きだった好章さんは、バイクや車の仕事に携わり40代まで食とは全く別の業種で働いていました。

そんな好章さんが白玉糖づくりにと出会ったきっかけは、同じく、製糖とは異業種のサラリーマンのお父さんでした。

「親父が定年して、知り合いから『自分家で作ってみたら?』とサトウキビの種をもらって作り始めたら、1年目ですごく上手にできたらしくって(笑)。育てるうえで8割くらい土地の環境が大切な植物なので、土地が良かったんやろね」。

白玉糖づくりにおけるサトウキビにとって良い土地とは、水はけの良くて栄養分が少ない土地だそう。

栄養分が多いと黒糖のように褐色し、複雑な甘みになってしまいます。好章さんのお父さんは組合には入っていないものの、サトウキビを栽培しては「良いものができたよ〜」と、自分のペースで組合に納品していたそうです。

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搾汁する前のサトウキビ。

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育てたサトウキビは自分たちで畑から製糖場に運び込みます。


「親父がサトウキビの栽培を始めて4年目ぐらいで、僕が就職していた会社が倒産してね。暇をしよったら『製糖場に手伝いにこないか』と声をかけてもらったのが最初のきっかけでした」。


好章さんが入った頃、組合は4人ほどで平均年齢は60歳オーバー。

11月から1月の寒いなか、早い日は朝の3時から作業が始まるという環境下で好章さんの白玉糖づくりは始まりました。


「作り方なんて全く知らないことだったので最初は流れもわからんし、しんどかったよ。

”手伝い”といっても、この人数じゃ全般的にやらないかんし。

でもだんだん身体も慣れてきて。何より面白かった!」。

サトウキビを搾って、火を焚き、糖汁を素早く混ぜる。

搾汁から釜出しまで約5時間。多い時は、作業を分担しながら7回転させるそうです。

大変な作業ですが、芸西村に製糖する場所がない頃は、火と釜がある隣の市まで行って個人で白玉糖を炊いていた人もいるといいます。

それほど、白玉糖づくりには人を魅了する面白さがあるのです。

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より白く、美しい理想の白玉糖を求めて

好章さん達を魅了する白玉糖を炊く作業を、実際に見せていただきました。

まずは搾汁したサトウキビの汁を大きな釜で煮て、あくを取ります。ここで、不必要な成分を取り除くために石灰を投入します。

理想は石灰を入れて、液体が濁らずにクリアな色になることだそうですが、この加減がとても難しいといいます。

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沸き上がる泡を竹の棒で素早くかき混ぜ、吹きこぼれないようにするのが大事な仕事。

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1時間ほど置いて不純物を沈殿させ、透明な上澄みだけを別の釜で沸騰させて、粘り気がでてきたら釜から取り出して温度を下げます。

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美味しさの理由は、時間をかけてじっくり煮詰めること。

「炊くのは面白くて、難しい。分かり始めたのは3年目になってからやね。火の焚き方や石灰の入れ方で色や味はすぐに変わるし、6年やってもなかなか安定して同じようにはできん」。

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最後の容器に移し、冷ましたら型に入れて完成です。

「やってみいや」精神で、失敗しながら続けていくこと

「伝承はしていくつもりです」と、好章さん。最後に製糖組合の今後について教えていただきました。

「今までは個人の集まりだったから、きちんと伝承していけるように組織づくりをしようと動き始めています。夏場に収入を作る仕組みが作って上手く回せるようになれば、若い人も参入しやすいと考えています」。

白玉糖づくりが、年間を通して生活を支えてくれる仕組みづくり。

組織だけでなく、新しい商品の開発にも目を向け、進めています。

「白玉糖の蜜と、フルーツを使った黒蜜です。誰かが『パイナップルを、白玉糖の蜜につけてみたら?』と言い出して、パイナップル⁉︎と思ったけど、とりあえずやってみたら、すごく美味しくて」。

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「色んな方向性を見出していきたい。失敗を恐れて可能性の種を撒いていかんことには広がらん。"これで失敗したら"なんて、考えたことない。失敗したら失敗した時のことやし、失敗せんとわからんやん?」

と、あっけらかんと笑う好章さん。

この考え方は白玉糖作りに関しても通ずるところがありました。

「炊きに来て1年目も『そうやない。こうしなさい』と教えてもらうこともあったけど、自分でやってみんとわからんし、先人がダメと分かっていることでも、どのタイミングでどの色味になるっていうのは自分で失敗してみんとわからんきね」。

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「上の人たちが「何でもやってみいや」と言ってくれる環境はありがたいです。失敗しながら、続けていったらいいんじゃない?」

気負わず、自分のペースで続けていくこと。

白玉糖づくりの技術と楽しさが後世につながるよう、sawachinaを通して、芸西村の白玉糖を多くの人に知っていただければ幸いです。


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芸西村伝承館製糖組合

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photo & text by かずさ まりや (@kazusa_mariya, @chuu_kochi)

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