読み手のことを考える
文章の目的によって、文章の書き方って変わると思うんです。
例えば日記なら、大抵は自分しか読まないので、自分が今感じているリアルな感情を詳細に書いてもいいんです。でも人に読んでもらいたい文章だと、それじゃダメなんです。
だってお前がどう思ったと知らねーよって読み手は思うじゃないですか。
だから、人に読んでもらう文章は、どこまでも自分を殺して、読み手を活かすというか、読んでくれる人が気持ちいい文章じゃなきゃ機能を果たせません。
私はこれが本当に苦手なんですよね(こういうのが自分の感情で、読み手にしたらいらない文書です)。
前職の銀行員時代も社内文書が読みにくいのなんのってよく怒られてました。
自分としては必要な内容は全て書いてるし、まとまってないかもしれないけど、全部読めばわかるんです。
でもそれじゃ判断に必要なポイントを短時間で共有するという目的が背後にある社内文書だと失格ですよね。
それに気がついたのは会社を辞めたあとでした。
今でこそ少しづつ読み手を意識することを覚えてきましたが(今更)、それでもまだ、文章を書いていると夢中になって読み手というメタ視点を失ってしまいます。
だから、私は書きながら読み手を意識するのは不可能だなと割り切って、何度も立場を変えて読み直すことにしています。
書くのは書き手の立場でもう仕方ないから、書き終わった後に読み手の立場に立って読んでみようってやつですね。
こうして手を加えていくことで、少しは読んでやれないこともない文章になっていきます。
論文とかは執筆2割、推敲8割くらいの時間で書いてます。
ただここまでひとつの文章に、徹底してやれるかというと難しいですよね。
でもきっと、人気なブログを書いている人とかって、サラッと書いているようにみえて、こうした地道な努力と徹底した読み手へのサービス精神みたいなのが他の人と比べて頭抜けているから、人気なんでしょうね。これはセンスじゃなくて徹底した努力量だと思います。
目に見えないけどね。
でもこれができねーんだよなぁ。普通の人には。私も含めて。
だからこういう目に見えない部分も、意識して頑張ろうっていう話でした。