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私たちには「痛み」と「恐怖」が足りない

日本で一番有名なラテン語は「memento mori(メメント・モリ)」なんじゃないだろうか。

これは古代ローマにおいて、戦争に勝って行われた凱旋パレードで
「今日は勝ったからいいけど、明日は負けて死ぬかもしれないから、自分がいつか死ぬことを忘れんなよ」
という戒めの言葉として使われていたとかいわれている。

この言葉がたまに出てくるのが自己啓発書で、
「明日死んじゃうかもしれないんだから、やりたいことはいますぐやろうよ」
というような文脈で使われる。

ただ、ガチで戦争にいってて、本当の意味で「殺すか殺されるか」の状況にあった古代ローマの戦士ならいざしらず、平和・安全な現代日本で暮らす私のような平和ボケヒューマンがこの言葉の真意を汲み取り、実行に移せるのかというと疑問符はつく。

プールで死にかけた話

私がこれまで生きてきたなかで
「あ、ヤバい、これ死んだわ」
と感じたのは、小学校低学年のころに家族でとあるプールに行ったときのことだった。

そこには波の出るプールがあって、ふだんは穏やかな波がタプンタプンしているだけなんだけど、一定の間隔で「大波になるフェーズ」がくる。
親からはなれて1人で深いところに泳ぎにいっていた私は、たまたまそのタイミングで大波に遭遇してしまい、パニックに陥って「これは死ぬ。溺れ死ぬ」と思った。

生命の危機に瀕した私は恥も外聞もかなぐり捨て、とりあえずそばにいた体の大きなおばさん(←失礼)にしがみついたことで一命をとりとめたわけだが、いま思い返すと「死ぬかと思った体験」がこれくらいしかないというのは、なかなかショーモナイ人生だなぁと思わなくもない。

サバゲーにいってきた

話は変わるが、先日、生まれて初めてサバゲーに参加してきた。
サバゲーというのは「サバイバルゲーム」の略称で、BB弾が発射される模擬銃を使って、チームに分かれて撃ち合うレクリエーションだ。

BB弾とはいえ、至近距離で当たるとけっこう痛い。
実際、私は至近距離から左手の人差し指に弾丸が直撃し、激痛とともに爪が割れてしまった。

いったん、そういうふうに痛みを経験してしまうと、もうダメだ。

試合が始まると爪に直撃を受けた痛みが脳裏をかすめ、恐怖でビビッて動けなくなってしまう。敵チームに出会わないように隅っこのほうでひたすら身を潜めるだけになる。
あるいは、「いっそのこと敵の前に出て遠距離から撃たれ、サッサとフィールドの外に退散してしまったほうが楽になるんじゃないか」などと考えるようになってしまう。

これが、いわゆる「恐怖で動けなくなる感覚」というやつなんだと思うけど、身体的な痛みをともなってこの感覚を体験できるというのは、現代社会においてはけっこう貴重なことなのではないかと思う。

格闘技など、ごくごく一部のスポーツを除いて、私たちは明らかな意図を持って身体的な危害を加えられる経験をしていないし、そのことによって「動けなくなる恐怖」を抱くこともない。

サバゲーは人生の縮図である

「動かないことがリスクだ」「コンフォートゾーンを超えて行動しろ」と言葉でいうのは簡単だ。

でもやっぱり
「下手に動くとどこかから自分を狙っている敵に撃たれて、めっちゃ痛い思いをするかもしれない」
という恐怖に打ち勝つのは並大抵のことではなく、「やっぱ怖いもんは怖いよね」としか考えられない。

しかし、しかし、これは本当にそうなんだけど、いつまでも隠れていても仕方ないから思い切って動き出して敵陣にコッソリ乗り込んでみると、意外とだれにも気づかれなかったりするもんだし、もっといえば、いつの間にか味方が自分の後方をカバーしてくれたりしている。(おまえさっきまでどこにいたんだよ!状態)

すごくザックリと、かつ壮大なまとめに入ると、サバゲーは人生の縮図なのかもしれない。人生も、案外こんなもんなのかもしれない。

とりあえず、「最近、めっきり身体的痛みと恐怖を感じてないわ」という方がいたら、ぜひサバゲーにいってみてほしい。存分に痛みと恐怖を感じられるし、楽しいし、運動不足の解消にもなる。筋肉痛になれば、全身の痛みをその後2~3日は味わえる。



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