自傷行為とわたし

大した話は書いていませんが、タイトル通り自傷行為の話で、ほんの少しODの話を含みます。
ヤバそうな人は今すぐ読むのをやめましょう。

あなたがこの文章を読んで体調を崩しても,沢田はなんの責任も負えません…。

一番伝えたいこと

これを読んでいるあなたが,こんなになってまで学校に行かないでほしい。
働かないでほしい。
もし何かに,誰かに自傷行為を強要されているのであれば,あなたは,本当はもっと大事にされるべきとても尊い存在で,あなたを傷つけていい人なんて,誰もいない。
どうか,私のようになる前に,どこかに助けを求めてください。
助けを求めるのはとても勇気のいることなのは,承知の上です。
それでも,こうなる前に,どうか,あなたを大事に思う私がいることを知ってくれたら,とても嬉しいです。

私は自傷行為だと思っていない

自傷行為と言いつつ,私にとってはあまりにも普通で正当なことなので,自傷行為という自覚はほぼなく,当然のことだと思って生きています。
なので、特に理由がない限り他の人に話すこともなく、痕もないので普通に生きてます。

小学生

これも自傷のうちなの?と思われる程度なのですが,入るといえば入るようなので,一応書いておきます。

沢田はピアノが下手でした。
人には向き不向きがあると思いますが,間違いなく不向きだったことの一つだと思います。
楽譜通りにノーミスで弾く…が当然だと思いますが,それが本当に出来ない。
そしてそれが出来ない自分が許せない。
そこで沢田(10歳)は考えました。
罰すれば恐怖を覚えてうまく弾けるようになるのでは?
ということでミスをするたびに自分を罰しました。
処罰方法は骨を折るために指を反対に折り曲げてみたり,腕を角にぶつけてみたり。
指が思い通りに動かないということは頭にも異常がある気がしたので,壁に頭をぶつけてなんとかしようとしました。
…が,ピアノはうまく弾けるようになりませんでした。
本当に不向きだったんだと思います。

沢田(11歳)。
バトントワリングが好きです。
ピアノよりも上手だったと思います。
(本当にピアノは壊滅的に下手だった)
が,やっぱりミスをしてしまう。
体が思い通りに動かないせいでミスを犯す=頭に異常があるので,叩いて治す理論でやっぱり壁に頭をぶつけたり,バトンで殴ってみたりしました。

小学生の間は基本的に自分を叩いて治す理論で,よく体のどこかを壁や机の角,壁にぶつけていました。

中学生から社会人になるまで

現在の主治医の先生によれば,私は中学生時点で精神的に何かしら疾患を抱えていた可能性が高いそうで,いろいろと覚えていません。
何かあって学級で孤立していたため,学校に行きたくないと思っていたようです。

ただし,母親に具合の悪い素振りを見せるわけには行かないので,無理やり学校に行っていました。
よって「学校に行かない」という選択肢はありません。
私はなぜか地域の公立校ではなく離れた私立の中学校に通っていて,送り迎えは父が行っていました。
ただ,日常的にDVがあった関係上,父親か母親のどちらかに肩入れすると自分自身が危害を受けるため,自力で行かなければ行かない日がほとんどでした。
ちなみにDVによって母親が殺されかけたあとでも,普通に学校に行きました。
家庭の事情を学校に話し,自転車通学の許可をもらえるまでは片道徒歩90分くらいの道を往復していました。
往復3時間徒歩って,今思うとすごい距離ですね。若さってすごい。

家庭の事情を学校に話したとき,別室登校の人がカウンセリングを受けていない時間に私のカウンセリング時間を取ってもらうことになりました。
それだけでかなり幸運だと思うのですが,それでもやっぱり教室に行くと具合が悪い。
当時の私はかなり攻めてんな…と思うのですが,先生に「私も,教室にいると具合が悪い。別室登校を許可してほしい」と直談判しました。すご。
ただ,私は別室登校できませんでした。
「別室登校は病院に通っていないとダメ」
病院禁止のご家庭にいる沢田,あっさり敗北です。このあと,私の人生を決定づける言葉が先生から降ってきます。
「教室に行けることを幸せだと思いなさい」
私,教室にいることを幸せだと思えていない。
私の頭は,やっぱりおかしい。

もともと小学生の頃から頭がおかしかったようなので矯正してきている(もちろん中学に入っても矯正のために頭をぶつけるというのは続いていました)のに,まだおかしい。
これはもっと厳しい罰を与えなければならない…ということで思いついたのが刃物で自分を傷つけよう,というものでした。
さすがに刃物で自分を傷つけたら痛そうだし,注射が本当に嫌いな子だったので,痛いのは嫌だということで思考を矯正できるだろう,という画期的なアイデアでした。
教室で具合が悪いと思ったり,何かしらのつらさを感じたら即トイレで腕をこれでもかというほど切りつけて,限界が来たら「教室に行くのは幸せです」とつぶやいてトイレを出る。
今で言えばアームカットというやつになるのかな?と思います。
ただ,卒業するまで教室に行くことを幸せだと本当に思えるようになったかはよく分かりません。
残念ながら矯正は成功せず,結局中学生から社会人になるまで,ずっとこの状態が続きます
家庭の方針で「学校に行かない」という選択肢がない以上,どうなったって行くしかないんです。

ちなみに,ロリータ服を中学生の頃から着ていて,おしゃれをすることが好きだったので,痕にだけはしたくなく,浅く,とにかく数を切っていたので,痕は本当に薄いので,今でも人に話さない限りバレないです。

社会人

自傷行為を当然のように続けながら,いつの間にか社会人になっていました。
もちろん就活で何かあれば当然のように自傷していましたが,とりあえず就職しました。
就職できない人も当然のようにいる中就職できたわけですから,就職できたことを喜ばしく思えなかったり,仕事がつらく感じたら…ここからはご想像のとおりです。
中学生の頃から何も変わりません。
トイレに行って腕を切って意識改革をします。

夏場対策するようになった

社会人になって変わったのは,私にとってはアームカットの代わりになったことがいくつかできたことでした。
1つ目は紙巻きタバコ。
社会人なので,半袖の時期に少しでも腕を切った痕が見えるとマズいかなと思うようになり,何かしらアームカットの代わりになることを探していたとき,会社の先輩が,偶然「紙巻タバコを吸うと,5分寿命縮められるよ」と教えてくれました。
たしかにタバコは体に悪いって聞くし,みんな当たり前に吸ってる。
これは代わりになる!先輩ありがとう!ということで,夏場は紙巻きタバコをこれでもかと吸うようになりました。
ただし,沢田家はタバコ禁止の家庭なので,タバコを吸うときは何かを羽織るか,消臭スプレーをかけまくっていました。
ただ,痛みがない分,矯正力はほぼ皆無で、あまり意味がないような気がしてなりません。
寿命が縮まっているから痛めつけている,大丈夫大丈夫…と安心させています。
私自身,もともとタバコの煙が苦手で(咳き込んだり,頭痛がしてしまう体質)なので,自分がすごくタバコ臭いのに嫌悪感を覚えるのでまあいいのかなと思いつつ,夏場は紙巻きタバコに落ち着いています。

2つめ,サービス残業。
残業を申し渡された日=自分が無能であることを自分に教え込ませるチャンスだと思ったので、サビ残しました。
特に自分に関する仕事でない日ももちろんあったのですが、社会人として働けることそのものが幸せなので、お金が出なくても「働けることそのものが幸せだ」と教え込ませるにはちょうどいい機会でした。

3つ目,薬。
これがいちばん代わりとしては強力なもので、薬を使うようになりました。
もちろん、麻薬とかそういったものに手を出す、という意味ではないです。
社会人になってから隠れて病院に通うようになった(正確には友人に連れて行かれた)ので、薬というものに出会いました。
市販薬であれ処方薬であれ、刃物代わりに矯正に使えそうであればなんでも使っています。
よく現実から逃げるために…というのは聞くのですが,私の場合はとにかく痛めつけるために使っています。
飲まないで痛めつけられそうであれば飲まないで痛めつける。
飲んで痛めつけられそうであれば少量、多量問わず飲んで痛めつける。
刃物代わりに痛めつけて矯正できそうであれば何でもいいのです。
ただ,他の人に対して思うことはまったくないのですが,私に対してだけはなんとなく薬=逃げのイメージが強く,「逃げた」という事実がさらに自己嫌悪感で自分を苦しめてくるので,精神的に痛めつけるにも割といいのかなと思う部分はあります。

もちろん、長袖の時期になれば通常(刃物)モードに切り替わります。
結局,長い間刃物を使ってきたので,どれも代わりにするにはあまりにも弱い感じがしてしまうのです。

自傷行為はあくまで「普通」

周囲の話を聞くと自傷行為はちょっとぎょっとされてしまうことが多いのですが、かれこれ20年ほどこうして生きてきているので、私にとってはごく普通のことです。
というのも、虐待と同様、なにか様子がおかしいようであれば、何かしら(何があるかは何もないので分かりません)あると思うからです。
中学のころも、自傷行為が見つかってはカッターを没収されていましたが、教室から解放されることはありませんでした。
一応病院に行ったときに自傷行為について話したことがありますが、「今のままで特に問題ないので普通に働いてください」と言われていました。
つまり、私は自傷行為をしながらでも、フルタイムで働き、税金などを納めることを社会から求められている立場なのです。
社会からそれを求められている以上、生きている限りこれから解放されることはありません。

他の人にはこんなになってほしくない

これは一番はじめに書いた,一番伝えたいことです。
他の人には,こんなことしてほしくありません。
私にとってはごく当たり前のことではありますが,他の人から見ると,これはとてもこれはつらい状態に見えるそうです。
であれば,他の人にはこんな辛い思いはしてほしくないです。
私はそのつらさを理解することはできませんが,どうか,こんなつらい思いをする人が減りますように。

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