記念日と年中行事と文学者365日 ~三月三日~
宮中では平安時代から旧暦の3月3日に闘鶏が行われていたため「闘鶏の節句」でもあるということです。
また、江戸時代には、雛祭りの時に金魚を一緒に飾ったことから「金魚の日」(日本鑑賞魚振興会が制定)でもあるそうです。
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雛祭(ひなまつり)
上巳あるいは重三(ちょうさん)の輸入行事が、結局三月三日の雛祭という形で定着したのは、わが国固有の祓(はらえ)の行事がこれに習合したからであった。その祓の具である人形(ひとがた)が、その時限りの撫物(なでもの)から、次第に精巧なものとなり、永久保存され、愛玩や鑑賞の対象として発達したのが、雛祭の骨格といってよい。このように、雛の本質は祓のための人形であったために、三月三日以外にも小正月・端午・八朔・重陽などに、俳諧でいうところの「後の雛」の風習が見られるわけであるが、これらの場合には、その人形はその日限りのものであった。巳の日の祓人形は、ほかの宮中の祓行事の撫物と同様に賀茂川の水に流したが、人口が増加するに従い、町なかの水に流すことに不安を感じるようになり、直接海へ運んで流す方法もとられた。また後には寺に送り祈禱を修し、それで除厄の目的が果たされるものと考えるように変わった。
※撫物…祓の時に、穢(けがれ)や災いを移し負わせる紙製の人形(ひとがた)やその代りに用いる小袖の類。それで体を撫でて、撫で終われば水に流す。形代。あがもの。
※後の雛…春の雛祭に対して、秋の9月9日(菊の節句)、または8月朔日(ついたち)に飾る雛。秋の雛。
【参考文献】鈴木裳三『日本年中行事辞典』〔角川小辞典16〕 ※初版:昭和52年12月20日発行
1984年(昭和59)星野立子(ほしのたつこ)・没 俳人。
【参考文献】小林國雄編著『文学 今日は何の日』