【『逃げ上手の若君』全力応援!】(90)自分の頭を馬の餌にするの!? 今川範満の遺言は歴史上の有名人も実践した修行だった…ほか、描き込まれた様々なテーマについて考察してみる
第89話のラスト、時行大ピンチ!で終わりハラハラさせられて一週間待ちましたが、なんと、今川範満が時行を襲うところも策だったという『逃げ上手の若君』第90話。ーーとはいえ、肝を冷やしたのは私だけではなかったようですね。「どえええ 勝ったは良いが 時行様はまーた心配かけて…」ということで、頼重もでした(笑)。
第90話は、前回示したテーマ類がざまざまに織りなされてストーリーが展開しているのを感じました。また、それ以外の小ネタも満載で、思いつくままに記していこうと思います。
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「何故… 百頭の中から次の原石を探さなかったのか」「何故俺は魔道に堕ちてしまったのか…」
前回、私は最後のところで次のように記しました。
私は、範満にその才を見出してもらえた瑪瑙は幸せだったと思うのですが、果たして範満はそれに気づくことができるのでしょうか。
結論として、範満はそれに気づけたと思いました。
「何故…百頭の中から次の原石を探さなかったのか」という発言は、「馬の才が一目でわかる」という自身の「才」を認めているゆえものです。「百頭の馬を殺してしまった」という発言は、「馬が好きで仕方なくて」という純粋な気持ちが戻っていなければ出てこなかったでしょう。
そして、「…馬も人も 俺の狂気で苦しませてしまった」という事実を受け止めたがゆえになされたのが、「いきて わが くび もってかえり うまの えさにしろ」であったのです。
ーーえ~、自分の頭を馬の餌にするの!?
範満のこの遺言に驚かれた方は少なくないのではないかと思います。しかしながら、これと同じようなことを希望したり実行したりした歴史上の人物がいます。
このシリーズでもたびたび紹介している鎌倉時代の僧・一遍は、死期を悟り、「没後の事は、我門弟におきては葬礼の儀式をととのふべからず。野にすててけだものにほどこすべき。」と弟子たちに告げます。
これは、一遍が尊敬していた、平安時代前期の僧・教信の最期にならおうとしたとされています(実現はされなかったのですが…)。その教信には、自分の遺体を犬に食べさせたという記録が残っています。
この行為は「捨身」と言われ、仏教においては、困難なゆえに最上の修行とされているものなのです。
捨身(しゃしん)
仏や仏の教えに対して身体をなげうって供養 (くよう) したり、他の生き物を救うために自己の身を布施 (ふせ) する修行。亡身 (もうじん) 、焼身 (しょうしん) ともいう。仏教では、捨身は菩薩 (ぼさつ) 修行中のもっとも困難なものとされ、禁じられている自殺と厳密に区別されている。経典のなかではジャータカ(仏の本生譚 (ほんじょうたん) )として説かれていることが多い。〔日本大百科全書(ニッポニカ)〕
※ジャータカ…釈迦が前世に経験したといわれるさまざまな生活の物語を集録した古代インド仏教の説話文学。
『金光明経 (こんこうみょうきょう) 』には釈迦の前世だという薩埵 (さった) 太子が、飢えたトラに身を投げ出した話が語られ、「捨身飼虎 (しゃしんしこ)」と称されています。
おそらく、範満が最期に望んだ首を馬の餌にするという行為は、多くの馬を残酷に使い殺し、その肉を喰らった罪を償いたいという気持ちから起きた、宗教的に意味のある行為であったのだと考えられます(当時は、殺生を禁ずる仏教の教えに基づき、原則として食肉は禁じられていました)。
そしてさらに、主君である自分のその望みをかなえてほしいという命を下すことによって、郎党たちが自分に従って死を選ぶことがないようにしたのでしょう。
ちなみに、頭にかぶっている馬(瑪瑙)の頭が吹雪に切られ、素顔がのぞき見られた時の範満の発話は普通でした。ところが、吹雪に切られたところを押さえての発話は、ひらがなだけに戻っています。どうやら、自分自身が瑪瑙と化すことで、瑪瑙のスペックを体感するあり方を〝再会〟の儀式のようにしていたのかもしれません。
もしかしたら、瑪瑙の肉も食していたかもしれませんね。瑪瑙に夢中だったから、瑪瑙が生きていた時に他の馬の才も見出してみようとか、繁殖させてみようとかいう考えも思いつかなかったのでしょう。最高の時は永遠に続くと信じて疑わなかった、範満の若さと純粋さに愚かしさを覚えつつも、見捨てがたい思いがわき起こります。
それは、涙しながら「今こそ共に冥土まで」と言う郎党たちの気持でもあるかもしれません。
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第89話で、瑪瑙を失った範満の「心の病は悪化の一途… 何度も自害を御止めしました」とあり、衰弱死や自死は決して良いとは言えなくとも、そのままいけば彼が「魔道に堕ち」ることはなかったと推測されます。
ただし、状況は異なれども、時行、弧次郎、吹雪らは、過酷な境遇にも耐えています。時行、弧次郎は、間を置かずに諏訪頼重、祢津頼直との出会いがあったのは幸運だったかもしれません。ですが、吹雪に関しては、異常な父に虐待を受けた時にも、父を殺めて流浪の旅をつづけた時にも、十分に「魔」が付け入る隙はあったと思うのです。心が強かったと言えばそれまでですが、持ちこたえているのです。
吹雪は、「過去の傷を代償に得たこの技を 現在の主君に捧ぐ」として、足利学校で習得した技で範満に決定的な一打を与えましたが、過去ではなく今この時を見つめ、生きたいという気持ちにすがり、さらには、中世の人々にとって大きな問題であった〝信じる〟ことをやめなかったのだとしか思えません。
とはいうもののやはり、範満が「魔道に堕ちてしまった」大きな要因を作ったのは、悪魔の策を授けた足利直義…ですよね。
もちろん、最終的にそれを選択し、受け入れた範満の罪業ではあるのですが、瑪瑙(死んだ人や生き物)にはもう会えないのという絶対的な事実を伝え、悲しみに耐える努力をすること、命を無駄にしないことを説き続けるのが「人の道」なのではないのでしょうか(その甲斐なく、彼が衰弱死か自死をしてしまったとしてもです)。
まだ戦いたいという斯波孫二郎を、「斯波殿を死なすな」という直義の命を受けた吉良が担ぎ去りますが、庇番衆の間で直義が付けている差も何なんだろうと思ってしまいます。
第90話は、範満の死に注目してしまいがちですが、随所に主君と郎党の関係性が描き込まれているのに気づきます。ーー上杉憲顕と長尾景忠、時行に従って集まった兵たち、足利方の兵たち、足利直義と関東庇番衆、今川範満とその郎党、時行と頼重、そして、時行と吹雪。
「君への信頼はこれからずっと変わらない」「君は 私が初めて自分で見出した郎党だから」
下級とはいえ足利方の武士の子で、その事実を黙っていた吹雪に騙された、けちが付いたというので、手にかけるなり、追放するなりすることは、主君である時行には可能です。
それでも、吹雪を軍師としてずっとそばに置きたいと時行が望んだのは、吹雪のことを「初めて自分で見出した」という自分の目を〝信じて〟いるからでもあると、私は考えています。
〔聖戒編・大橋俊雄校注『一遍聖絵』(岩波文庫)、今井雅晴編『一遍辞典』(東京堂出版)を参照しています。〕
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