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【『逃げ上手の若君』全力応援!】㉞亜也子ちゃんが憧れる巴御前の恐るべき怪力「ポロリ」エピソードと御射山祭や赤沢氏について少々

 南北朝時代を楽しむ会の会員の間でも話題騒然の週刊少年ジャンプ新連載『逃げ上手の若君』ーー主人公が北条時行、メインキャラクターに諏訪頼重! 私は松井優征先生の慧眼(けいがん=物事をよく見抜くすぐれた眼力。鋭い洞察力。)に初回から度肝を抜かれました。  鎌倉時代末期から南北朝時代というのは、これまでの支配体制や価値観が崩壊し、旧時代と新時代のせめぎあいの中で、人々がそれぞれに生き方の模索を生きながらにしていた時代だと思います。死をも恐れぬ潔さをよしとした武士が〝逃げる〟という選択をすることの意義とは……? 〔以下の本文は、2021年10月10日に某小説投稿サイトに投稿した作品です。〕


 『逃げ上手の若君』の第34話は、貞宗の眼のどアップからの、頼重が「御射山祭みさやままつり」という語を口にしているところ始まりました。
 『日本年中行事事典』によれば、「御射山祭」について次のように記されていました。

 長野県諏訪神社の神事。もとは陰暦七月二十六日から三十日にかけて行われたが、現在では月後れで執行する(八月二十七日)。上下両社の御射山はそれぞれ別の山で、上社のそれは八ヶ岳西麓、中央線富士見駅から四キロほどの所にある。もと、このあたり一帯は諏訪明神の神野(こうや)と呼ばれた。下社の御射山は古くは霧ヶ峰続きの山上凹地にあり、その後、神社に近い裏山約四キロほどの所に移され、現在はそこを御射山としている。古くは八ヶ岳を仰ぐ神野の一角に、青萱や芒で小屋をしつらえ、諏訪明神の神裔で、かつ最高の神主であった大祝(おおほうり)・藩主(大祝の一族)・家老などがこの小屋に葺き籠りをして五日間の祭に奉仕したもので、この小屋を穂屋と呼び、穂屋の芒と歌にも詠まれた。現在では、上社御射山祭は八月二十六日から三日間にわたって行われる。

 「かつては諏訪信仰の重要な部分を占める祭事」であったことは、「全国に一万近くかる諏訪神社の分社の多数が、御射山祭の二十七日を祭日としている事実からも察せられる」ともあります。

「狩りの神様」である「諏訪明神」についてはこちらもご覧ください。

 そして、小笠原家の使者として、赤沢新三郎という人物が頼重に対峙しています。ーー赤沢氏とはどのような人たちなのでしょうか。

 赤沢氏とは、小笠原長経の次男清経が伊豆国守護となり、伊豆の赤沢(現伊東市)に住んだのが始まりという、かなり初期の分家。南北朝時代となると、小笠原惣領家から時間的にも空間的にも離れて久しいが、常興の父長興は惣領家からの養子であり、また貞宗の母が赤沢家の娘との説もあり、それなら両者に交流があってもおかしくない。
 ※小笠原長経…13世紀のはじめに活躍している人物です。
 ※上記は、山根一郎という方のブログ「作法学講座」より、「小笠原氏史跡の旅」というシリーズ中の記事の一つである「貞宗と赤沢氏」から引用させていただきました。

 転じて、小笠原の本拠地に乗り込んだ時行と亜也子の二人。ーー貞宗と時行の戦いと同時に、新三郎と亜也子の間でも、敵の得意とする「礼儀」による戦いがくり広げられるのでしょうか……。

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 さて、今回何度も笑ってしまったのは、なりきり巴御前で目を輝かせて「ポロリ」をする亜也子と、度肝を抜かれて〝ガビーン〟となる時行でした。
 ーー巴御前とその主君である木曽義仲とは、一体何者なのでしょうか。
 
 義仲は、二歳の時に父・源義賢よしかたが甥の義平(頼朝の兄)に討たれた後、信濃国の木曽谷に逃れ、乳母の夫である中原兼遠かねとおのもとで養育されます。木曾次郎(木曾義仲)と呼ばれるのはそのためです。
 平家との戦いで活躍をしますが、頼重のセリフに「義仲公は戦は強いが教養と気遣いに欠け それが原因で人心を失い滅びました」とあるとおり、当時の権力者である後白河法皇の策謀により、頼朝の命を受けた範頼のりより義経よしつねの大軍に攻められ、近江国粟津あわづで敗死します。

 巴御前は中原兼遠の娘で、色白で長い黒髪の美人であったと『平家物語』には記されています。それでいて、義仲が戦では大将に立てるほどの強い女性でもありました。もちろん、彼女は義仲とともに最後まで戦う気でいたのですが、義仲は女である巴なら逃げ延びられることや、最後の戦いに女を連れていたとは言われたくないとして、自分の側を離れようとしない巴を説得します。

 〝せめて最後の戦いを義仲様にお見せしてお別れしたい……〟

 そこに、怪力で名を馳せた武将が三十騎ほどで現れます。巴はその集団の中へ駆け込み、その武将と馬を並べたかと見るや、「むず」とつかんで馬から引き落とし、自分の鞍の前輪に押し付けてしまいます。
 ※鞍(くら)…人や荷物を乗せるために牛馬の背におく具。

 ちッともはたらかさず、頸ねじきッてすててンげり。

 これが、『平家物語の』本文での「ポロリ」の表現です。巴は鞍の前方の輪になっている部分に敵の頸部をあてて、そのまま力を加えただけで首を落としてしまったというのです。
 そして、鎧や兜を脱いで東を目指して逃げた巴は、尼となって余生を送ったと伝えられています。
 ※『平家物語の』各本によって、巴の最後の戦いの描き方は違っているようです。

 巴御前顔負けの亜也子のポロリで時行が硬直してしまったのもうなずけますね。最後は義仲の思いをくんで自分の思いは封印した巴も、そんな巴に憧れる一途な亜也子ちゃんも、とても魅力的だと思います。次回以降の活躍が楽しみです。

亜也子の怪力についてはこちらもご覧ください。


〔鈴木裳三『日本年中行事辞典』(角川書店)、阿部猛・佐藤和彦編集『日本中世史事典』(朝倉書店)、日本古典文学全集『平家物語』(小学館)、ビギナーズ・クラシックス日本の古典『平家物語』(角川ソフィア文庫)を参照しています。〕


 私が所属している「南北朝時代を楽しむ会」では、時行の生きた時代のことを、仲間と〝楽しく〟学ぶことができます!


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