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YouTube「『一遍聖絵の旅』ーフィルム時代の写真で語るー⑤松原八幡神社・廣峯神社(巻第九・第四段および播州法語集) 」

 久しぶりにYouTubeの動画をアップしました。動画のクオリティは激ショボですが、かつて足で稼いで撮った写真はショボくないと思います。
 ※You Tubeにアップしからこちらで紹介するまで日があいてしまいました。じき次の動画も作成・投稿予定です。よろしくお願い申し上げます。


『一遍聖絵』の旅ーフィルム時代の写真で語るー⑤松原八幡神社・廣峯神社(巻第九・第四段および播州法語集)

 サムネイルの写真は廣峯神社です。本編で紹介し忘れてしまったのでサムネイルに掲載しました。

「松原八幡神社」
 松原八幡神社は中殿に品陀和気命(ほんだわけのみこと)左殿に息長足姫命(おきながたらしひめのみこと)右殿に比 大神(ひめおおかみ)の御祭神をまつっており、その発祥の御由緒は、天平宝字7年発卯4月11日(西暦763)豊前国宇佐神宮より当白浜町の西部の松原村へ奉迎され、天皇の御祈願所とされたと伝えられている。
 応仁元年(1467)頃、赤松氏は代々当松原八幡宮を敬ってきた、大勢の僧兵を持つ当社は山名氏と戦い、常に赤松氏を助けていた。そのため応仁の乱で山名氏は報復のため当神社の建物に火をつけ社殿を焼失させた。
その後、永禄元年(1558)赤松政則氏により当社は立派に再建された。天正元年(1573)羽柴秀吉の三木城責めの際、別所長治の怒りにあい、火を放たれた。天正12年頃(1584)当社の僧・快祐が社殿を復興した。焼失しては復興してきた社殿ですが、現在の社殿は大正13年に建てられたものを平成7年に復興したものです。

「廣峯神社」


上記解説(動画内で紹介していた)のサイトはこちらです。


  月に1回か2回のペースでこちらの新シリーズを展開することにしました。②回目以降はまとめてある写真とフィルムの束から適当に引っこ抜いて出てきた場所を取り上げています(まさに〝あみだくじ〟方式です)。

〔2021年2月2日のSNSの投稿をそのまま掲載しています。〕

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