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【『逃げ上手の若君』全力応援!】㊶バレバレ「信濃仮面」…こんな神様・仏様ってアリなの!?

 南北朝時代を南北朝時代を楽しむ会の会員の間でも話題騒然の週刊少年ジャンプ新連載『逃げ上手の若君』ーー主人公が北条時行、メインキャラクターに諏訪頼重! 私は松井優征先生の慧眼(けいがん=物事をよく見抜くすぐれた眼力。鋭い洞察力。)に初回から度肝を抜かれました。  鎌倉時代末期から南北朝時代というのは、これまでの支配体制や価値観が崩壊し、旧時代と新時代のせめぎあいの中で、人々がそれぞれに生き方の模索を生きながらにしていた時代だと思います。死をも恐れぬ潔さをよしとした武士が〝逃げる〟という選択をすることの意義とは……? 〔以下の本文は、2021年12月5日に某小説投稿サイトに投稿した作品です。〕


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 「何奴なにやつと聞かれれば答えなくてはなりますまい
 「天網恢恢疎てんもうかいかいそにしてらさず! 全てを見通す全信濃の守り神!

 「天網恢恢疎にして漏らさず」とは、「天の網は広大で目があらいようだが、悪人は漏らさずこれを捕らえる。悪い事をすれば必ず天罰が下る意。」〔広辞苑〕です。
 『逃げ上手の若君』第41話は、発売当日0時に電子で読んだのですが、笑いが止まらずに困ってしまう面白さでした。
 頼重は未来の調理法で肉を食べると未来予知能力がパワーアップするのでしょうか。時行の危機にここぞというタイミングで駆け付けます……おっと、貞宗に追い詰められた時行たちのもとに現れたのは「信濃仮面」でしたね(笑)。
 貞宗の目的は、「密命を帯びて戦場を逃げ回る諏訪大社の稚児〔=時行〕」を捕えて、頼重が信濃で戦いを仕掛けている張本人であり、何のためにそんなことをしているのかを吐かせて、「〔頼重と諏訪氏を〕攻める恰好の口実」を得ることです。だから、お互いにわかってはいることながら、頼重が頼重として〝長寿丸〟たちを助けるために貞宗の前に現れるわけにはいかないのです。ーーということは、頼重は〝あれ〟で自分の正体がバレないと思っていたのでしょうか。
 正体がバレたらまずい、でも急がないと時行が捕まってしまってもっとまずいと慌てまくり、思いついたのが「信濃仮面」ということなのでしょう。だから、貞宗に突っ込まれるくらい設定もボケボケ、遠目の効く貞宗ゆえに「ど…どうみても諏訪頼重であろうが!」とバレているわけでもない(キッズたちの「頼重」三連発がその事実を物語っている)という点もツボでしたが……。
 しかしまあ、盛高までもが仮面をして真剣に「信濃仮面」の説明をしているという……(そして、諏訪大社の精鋭たちも表情一つ変えず付き従っています)。
 これまでとは違う側面からの諏訪氏のおそろしさとは、この本気と冗談の境目がイマイチ不明なところだとしておきたいと思います。

(時行の父・高時とともに最期を遂げた諏訪左衛門入道のことが『太平記』で語られているのを、本シリーズの第13回でも紹介していますが、実のところそこでも「冗談なんだか本気なんだかわからない」諏訪氏について少しだけ触れています。)

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 さて、その「信濃仮面」ですが、急ごしらえの頼重のいでたちがまた、笑いを誘います。
 ーー頭から鹿角、天女みたいな羽衣、両手は仏のような印を結んで、花柄の布で目隠しーーその辺にある物を身にまとって諏訪大社を出て、思いつきでポーズを取ったとしか思えません。
 神様・仏様を何だと思っているんだ!?などと思われる真面目な方もいらっしゃるかもしれませんが、日本の神様・仏様とは、以前頼重が「日本の宗教は基本昔からユルいんです」(第4話参照)と口にしているとおり、とても寛容で自在な面を持っています。
 役行者えんのぎょうじゃという修験道の祖とされる伝説的人物が、末法の世の人々を救う権現の出現を祈ったところ、蔵王権現ざおうごんげんが示現したという話があります。
 ※末法(まっぽう)…釈迦入滅後の仏教流布の期間を三区分した最後の時期。仏の教えがすたれ、修行するものも悟りを得るものもなくなって、教法のみが残る時期。日本では1052年(永承7)に末法に入ったとされる。

画像1〔金峯山寺蔵王堂の本尊、蔵王権現立像(「うましうるわし奈良」(JR東海HPより)〕


 役行者は、三眼で青黒色の憤怒形相をした蔵王権現が、末法の世の民を目覚めさせ、救済に導くのにふさわしいとしたそうです(蔵王権現が現れる前に出現した菩薩やらの皆様にはお引き取りいただいたのだとか……)。
 「権現」とは、「仏・菩薩が衆生(しゅじょう)を救うために種々の姿をとって権(かり)に現れること。また、その現れた権の姿。」〔広辞苑〕を言い、盛高が説明していたセリフの中にあった「権化(ごんげ)」と同じです。
 ただし、日本においては、「仏が化身して日本の神として現れること。また、その神の身。」を「権現」「権化」と称するのですが(日本史の教科書などで見る「本地垂迹説ほんじすいじゃくせつ」のことを言います)、諏訪明神である頼重ですから、「仏」が「神」ではなく、「神」が「信濃仮面」というまた違うお姿で現れたということなのでしょう。
 ※ちなみに、史実での当時の諏訪大社には「神宮寺」という、当時の大きな神社に付属して置かれた寺院が存在し(現在の諏訪大社には神宮寺跡があります)、頼重も「照雲」という法名を持っています。

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 頼重としたら、たとえ急ごしらえだったとしても、諏訪の民の救済にはこの姿がふさわしいと踏んでのチョイスなのでしょうが、……そんな神様と化身のいる信濃、そして諏訪は、なんだかユーモラスであったかいし、住んでみたいと思うのは私だけでしょうか。

〔参考とした辞書・事典、HP類は記事の中で示しています。〕


 私が所属している「南北朝時代を楽しむ会」では、時行の生きた時代のことを、仲間と〝楽しく〟学ぶことができます!


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