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駅のベンチ 探検隊

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西武鉄道の駅にあるベンチを調査しています。駅によって異なるベンチの型式、全92駅のなかでいったいどのようなベンチが待っているのでしょうか。
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2021年7月の記事一覧

【駅のベンチ探検隊】#21 新宿線 小平(SS19)のベンチ

江戸時代前期、小川 九郎兵衛(1622-1670)という人物がいました。 武蔵七党の一つ、小川氏の流れをくむとされます。 現在の武蔵村山市の東南東に位置する場所は、当時、交通の要衝であるにも関わらず人家がなく移動において不便な場所でした。 困る人々の様子をみた小川氏は、私財を投じて新田開発に取り組みはじめます。 開発の結果できた村が、小川村です。名前は小川氏の苗字からとったものでした。 その後、この一帯は次々と開拓されいくつか村ができることなりますが、小川村がその始

【駅のベンチ探検隊】#20 新宿線 久米川(SS20)のベンチ

室町時代に道興というお坊さんがいました。 京都の聖護院門跡でしたが、1468年から2年がかりで現在の東北地方までに至るめぐり歩きにでます。 めぐり歩きの内容は紀行文としてまとめられ、「廻国雑記」の名前がついています。 江戸時代の様子を現代に伝える「江戸名所図会」という本の中にこの「廻国雑記」を引用しているページがあります。 くめくめ川といふところはべり。里の家々には井などもはべらで、ただこの川を汲みて、 朝夕もちひはべるとなんもうしければ、里人のくめくめ川とゆふぐれに

【駅のベンチ探検隊】#19 新宿線 東村山(SS21)のベンチ

平安時代後期から鎌倉時代にかけて武蔵国にはいくつかの武士の集団がいました。 荘園の管理人として勢力を強めた武装集団です。 代表的な7グループを指して武蔵七党と呼ばれています。 武蔵七党系図の中にみつけることができます。 7つのグループとは横山・猪俣・野与・村山・児玉・丹・西の7集団を指します。 この中の一つ、村山党が本拠地とした地域の最東端に位置したことから東村山の名称が生まれました。 長くなりましたが、第19回の今回は東村山駅のベンチを調べてきました。 こんに

【駅のベンチ探検隊】#18 池袋線 練馬(SI06)のベンチ

平安時代の初期までに国家事業としてまとめられた歴史書は6つあり、六国史と呼ばれます。 六国史の一つ、続日本紀は奈良時代、文武天皇から桓武天皇までの歴史をまとめたものです。 続日本紀の中に以下の記述が見られます。 武蔵国乗瀦、豊嶋トシマノ二驛、承テ二山海両路一使命繁多ナリ乞フ准メ二中路ニ、一置ム二馬十匹ヲ一 -『続日本紀』神護景雲二年(七六八)三月乙巳条- 冒頭の武蔵国乗瀦の乗瀦の読み方は諸説ありますが、「アマヌマ」、「ノリヌマ」とされています。 この乗瀦がなまって「

【駅のベンチ探検隊】#17 池袋線 保谷(SI12)のベンチ

こんにちは。西武鉄道を中心とした鉄道関連のYoutuber、本を執筆しているSAVVY(サヴィー)です。 当noteでは、西武鉄道におけるホームのベンチの観察記録を報告しています。 ベンチは駅の雰囲気を構成する重要なアイテムの一つと僕は考えています。 あの駅にはどのようなベンチが設置されているのか。 保谷駅のベンチご紹介しましょう。 保谷駅 〒202-0012 東京都西東京市東町3-14-30 1915年4月15日開業 #017 保谷駅のホームのベンチ ・椎名

西武秩父線にあるベンチの全種類

こんにちは。西武鉄道を中心とした鉄道関連のYoutuber、本を執筆しているSAVVY(サヴィー)です。 当noteでは、駅のベンチ探検隊というテーマで西武線のベンチ事情を報告しています。 おかげさまで、第16回まできました。西武秩父線の全駅の調査が完了したことをうけ、中間まとめです。 全駅違うベンチ? 上記が西武秩父線の全6駅に設置されているベンチです。 どうでしょうか。 色違いを別のベンチとして解釈すれば、全駅が違うベンチです。 吾野、西吾野、芦ヶ久保、横瀬

【駅のベンチ探検隊】#16 西武秩父線 横瀬のベンチ

こんにちは。西武鉄道を中心とした鉄道関連のYoutuber、本を執筆しているSAVVY(サヴィー)です。 当noteでは、西武鉄道におけるホームのベンチの観察記録を報告しています。 ベンチは駅の雰囲気を構成する重要なアイテムの一つと僕は考えています。 あの駅にはどのようなベンチが設置されているのか。 横瀬駅のベンチご紹介しましょう。 横瀬駅 埼玉県秩父郡横瀬町横瀬4067 1969年10月14日開業 https://www.google.com/maps/plac