No.7/親と養育者に物申す。

一歩踏み出した先に。というか、
かなり踏み出した話になる。

幼少期、裸足の大泣きで毎日のように家の外に出された人や、押し入れや納屋など暗いところに閉じ込められた経験がある人はどれくらいいるのだろうか。
昭和終わりでも意外と多いのか。興味がある。
そして、私のようにふとした時に思い出すことがある人の話も聞いてみたい。その後の自身の生きづらさなどないか。
苦しいから思い出すのか、なんなのか。

私は特に幼少、母からしょっちゅう怒られていた。
母からは、抱っこや楽しい思い出もあるはずなんだけどねぇ、、、と。けど、どう脳みそをこねくり回しても、この時期の他の思い出が思い出せない。むしろ思い出すと辛くてたまらない。褒められた記憶がない。
大人になってから、ふとした会話で母に「あの時辛かったなぁー」と言うと、毎回ヨシヨシギュッとされそうになるが、喉からヘドが出る気持ち悪さから手を払い退けて、

『ああ、もう遅すぎるんだよなー(しかも望んでいることじゃないんだよなー)』とその場から立ち去りたくなる。恥ずかしいのではない、本当に嫌悪感満載で消えたくなるのだ。
まだ大人だからはっきり言える強さがあるのだろう。
幼少の私は、また殴られる、追い出されるとだけ思い、絶対に言えるはずがなかった。というか、全てが怖くて、正直な自分の思いを伝える。ということができなかったのである。

とはいえ、大人になっても未だに言えない人も多いのではないか。
親が威圧的なパターン。いつまでも子を自分の支配下に置きたがり気づいていない。子も洗脳に近く、依存されにいっている。そして無意識ときた。
子は親のものでないし、子は子だ。親も親だ。
小さくても、尊重されるべきだし、危険なことや人に迷惑かけることだけを注意する教育を受けていたらどんな風に育っていたであろう。

そういう親は自身の子どもよりも、中身がかなりこども(幼稚)なケースが多い。(見せかけの人に仕上がっている。見る人には見透かされている)
むしろそういう親から育った子どもの方が、親よりも世の中に馴染める人に育っているようにみえる。
親に関して、人の話に耳を傾けない人が多いように思う。人の前できちんとした風に見える人。
30や40歳それ以上の子に対して、本人が何も言ってないのに「これは辞めた方がいい。」と断定的に物事をいう過干渉。もうじゅうぶん大人です。世間では中年という。真面目に言ってますが、本人はおじさんおばさんです。しつこいですが。
そして
結婚しないで家にずっといる、もしくは
離婚して親の元にいる。
こういう人たちは子どもと本気で話し合えるのだろうか。いたって真面目に本音で話している。

もうやめて。何を守りたいの?なんのためにそこまでやるの?そして、自分に対して今まできつい言葉を言ってくれた人の話をどれだけ覚えている?
そしてあなた自身、それを言ったりすることに対して、心から満たされたり、ああ良いことをした。と言い切れる?子どもがそれをされることによって心が蝕まれているのに?それでもまだ言えるのか。やれるのか。
グサリグサリ、もうやめてくれ。私のことじゃないか。と思った人が意外にいそうだ。

怖いことをいうが、
乳児期の1歳半までにある程度の愛情で満たされていないと、愛情ホルモンといわれている『オキシトシン』の量が基準値より低い人に育つそうだ。
脳内も正常でなく、それに伴い、ホルモン形成がうまくできないまま育っているのでたとえば20年、30年後にまさかのタイミングで不調が起きると聞いた。

私は「遺伝よりも環境」が深く関わっていると強くそう思う。
周りからもアラフォーあたりから『生きづらい』や『原因不明の体調不良』をしょっちゅう聞く。
幸せなはずなのに、みんながいう幸せを感じられないとか。
まだ私はこのことは触りの段階だが、
前述の「オキシトシン」が不足した状態とは、
その蓄えるタンクが一定の愛情で満たされて育った人よりも小さいとのことで、そのタンクの大きさは一生変わらないそうだ。
これは、かなり深刻な話だ。
量うんぬんよりも、コップの大きさがどう頑張っても生涯小さいままなのである。
これは現在の医学での話なのだが、本当に怖い話である。

お母さんのため、いや、ひいては日本の将来のためにも産後のおかあさんのメンタルの安定はどれほど大切か。本当に心から休めて、ほっこりと育児できる場所を急速に作ってほしいものだ。


なんでうちの子は大人で働けるのに、こんなに体が弱いのかしら?
仕事もすぐに辞めるし、こんなふうに育てた記憶がないのに。
...ちょっと待ってほしい。あなたと関わるとお子さんは調子悪くなっていないか。記憶を辿り、感情から切り離して思い出してほしい。

そんな風に思ったり、あ!と思った人は、自身の幼少や過去の辛かったことを思い出して、どこか、同じような気持ちになった場面があると思う。先ほどのオキシトシンのタンクも、過去には戻れないしどうしようもないのだ。だったら今できることを考えるべきだ。

負の連鎖を断ち切るために、お父さんお母さん養育者がまず気づいて、なんらかの行動をしてほしい。子どもに対してでなくて『あなたの心』に向き合ってほしい。

このまま孤独感を抱えて老後を過ごすのか。
子どもだけならまだしも、あれだけ楽しみにしていた孫やひ孫の顔も見れずに死ぬのか。
子に嫌われたが、孫やひ孫はそんなことないだろうと思っているのはとんだ勘違いである。こうなった人は悲しいが、特に先に産まれた方が気づかないと、このまま関わられないまま終えるだろう。
なら、どうせなら、カワイイじいちゃんばあちゃんに今からでも目指して生きたらどうなのか、と。

今よりも絶対楽しいはずだろう。
で、あんた、今さら何を言っているのか。って。
ええ、今だからですよ。いつからでもなれる。
自分でしか変われない。
私の思いは誰にもわからないし、知られたくないと秘めたままどこかイライラしたまま生きるのか。
ぜひともこの機会に自分の本当の思いに、ゆっくりと向き合ってほしい。
「辛かったよ、ほんとうは。誰にも言えなかったし、ずっとひたすら頑張ってきた。」
そうだ、いっぱい出てくるだろう。
もしかしたら、子どもに話せる日も来るのでないか。
受け入れてもらえなくても、じゃあ次はどうしようか。とそこから始まるものもあるのではないか。
決してマイナスにならずに、前向きな変化だと。
そうしているうちに、やりたいことが見つかるかもしれない。自分の内面と向き合っているのだから、いろんな変化が出てくるだろう。

お子さんが巣立っていらっしゃる人は、ずっと長年わからないと思えてさえいた、そろそろパートナーとも話せることがあるのではないか。
まずは『自身の弱音』から始めてみてもいいのではないか。今まで弱音を言わなかった人が初めて言うとなると、それはそれは勇気がいるし、プライドも傷つく。と恐れるだろう。
だが、言った後の相手の驚いた顔を想像してほしい。かなりおもしろいことになるのではないか。
どなたかのエピソードも聞いてみたいところだ。

『学び』や『知ること』は誰しもいくつから始めても恥じゃないし、年上、同年、年下、子どもからも教わることがたくさんある。

喫茶店で、たまたまそばにいる人の話を聞いているだけでもなるほど。と思うことある(盗み聞きだ)
死ぬまで勉強。むしろ、80代になってスマホやパソコンを学び始める人もいるくらいなのだから。私も死ぬまで学び続けたい。最期は満足して笑ってさよならできると思う。

『学び』が今さら恥ずかしいなら周りに言わずにこっそりやればよい。しかもあなたの『学び』は続かずでもいいじゃないか。思い出した時にまたやってもよいのだ。それくらいでよい。


子どもは何歳になっても苦しんでいる。その根源の苦しみがわからないままだ。
心の病気で悩んで育った社会、日本になりつつあり、今もそうだが5年後10年後の世の中はどうなっているんだろうか。このままでは、正直不安でしかない。
孫、そのまた次の世代まで負の連鎖。
その家だけならまだ良いが、気づいた時点で自身に対してアクション願いしたい。切に願う。



私には『小さなやりたいこと』がある。
子どもの好奇心が旺盛な間にあちこち行ったり、本人がしたいことをめいいっぱいさせてあげたい(お金をあまりかけずして)
だが、そのための体力が本当に無くて、毎日情けない気持ちでいる。30代に結婚し、実家を離れてから何ヶ月かして、燃え尽き症候群かと思われる症状が出ている。
おそらく独身時は実家で気を張りすぎ、親と子が逆転し、私1人が毎日親に注意しないとダメな場面で、かなりヒステリックになっていたからだろうと思う。
燃え尽きは、ほぼ間違いないだろう。
子に対してはヒス鬼化する場面はいうまでもないが、今は素の自分は元々の性格のおとなしさが表面化しているので。この本来の自分を大切にしてあげたい。


大人も子どもも年齢関係なく、楽しく過ごせる世界で生きていたい。それだけでいい。

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