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マックス・ウェーバーと日本(2013)

マックス・ウェーバーと日本
Saven Satow
Feb. 27, 2013

「最も強い者が生き残るのではなく、最も賢い者が生き延びるのでもない。唯一生き残ることができるのは、変化できる者である」。
チャールズ・ダーウィン

 マックス・ウェーバーは日本で突出して受容されてきた思想家である。政治学を中心に社会科学における巨人の一人として扱われている。丸山眞男や大塚久雄といった代表的な戦後知識人がウェーバーを援用して近代をめぐる自説を展開している。

 それだけではない。ウェーバーの用語は広く一般にも浸透している。2010年、当時の官房長官仙谷由人が国会で自衛隊を「暴力装置」だと発言している。また、荻窪の教会通りにある婦人向けのブティックの店名は「カリスマ」である。いずれもウェーバーの用語である。国権の最高機関から街角に至るまで日本においてウェーバーが根づいている。

 ところが、西洋では事情が異なる。ウェーバーは社会学の始祖の一人として知られているが、社会科学全般に影響を与えてはいない。彼は大学で学究生活に入ったものの、精神の不調に苦しめられ、事実上の休職状態も長い。フリードリヒ・ニーチェ同様、アカデミシャンとは必ずしも言えない。この在野の研究者の功績は理念系の使用という方法論と価値判断の中立則である。率直に言って、戦後の思想シーンを見る限り、西洋では忘れられた思想家だ。

 確かに、ウェーバーの提案は論議を引き起こしている。けれども、それは彼の著しく回りくどいごたごたした文章に起因している場合も少なくない。特に、ウェーバーは病気を抱えていたため、後期の作品の多くが未完で終わり、彼の言おうとしていたことが何なのかさらに判然としない。「生きることは病であり、眠りは緩和剤、死は根治療法である」(マックス・ウェーバー)。

 代表作の『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(1904-05)にしてもマルクス主義の唯物史観への批判だということは理解できる。また、貪欲さを糾弾する禁欲主義の信者がなぜ資本主義において成功しているのかという逆説への解答の妙は興味深い。

 しかし、彼の考察からは、プロテスタンティズムが産業資本主義の出現にとって必要条件だったのか、それとも十分条件だったのか定かではない。逆に、プロテスタンティズムを用意したのが資本主義ではないのかという反論もあり得る。この命題は「卵が先か鶏が先か」の堂々巡りに陥りかねないものだ。主張を実証することも困難で、議論を起こせても、建設性を欠く結果に終わっている。

 ウェーバーをめぐる論争は、彼の主張が妥当であるか否かだけではない。その前に、そもそも彼は何を言いたいのかまで含まれる。これでは議論が不毛に陥りかねない。

 なお、マックスの弟アルフレッド・ウェーバーは産業立地論という経済学の一分野で画期的な功績を残している。1909年に刊行された『産業立地論』は包括的な著作である。彼の大勢の弟子たちはドイツの特定産業の立地に関する研究でその意見を適用し続けている。後の産業立地論は、その展開において、アルフレッド・ウェーバーへの批判を前提としているほどだ。

 こうした西洋の実情に対し、日本にはウェーバー研究の豊かな伝統がある。しかし、西洋ではこれまでほとんど知られていない。ヴォルフガング・シュヴェントカー大阪大学教授は、近著『マックス・ウェーバーの日本』において、1905年から95年に亘る受容の歴史を詳細に検討している。これはガラパゴス化して進化した日本のウェーバー研究の西洋への紹介でもある。

 いかに優れた思想であっても、受け入れる環境がなければ、定着しない。日本は非西洋圏でありながら、近代資本主義国家へと転身している。この理由を考える際に、代表作を始めとするウェーバー理論が必要とされたのだろうと直観的に思い浮かぶ。プロテスタンティズムの代わりに、同じく禁欲主義的な儒教を想定してはどうかといった具合だ。しかし、それはあまりに観念的すぎる。

 同書によると、日本におけるウェーバー定着の大きなきっかけとなったのがカール・レーヴィットの来日である。このユダヤ系の思想家は、ナチスが政権に就くと、大学での講義と出版が禁止され、ドイツを後にする。36年、東北帝国大学教授に就任、哲学とドイツ文学の講義を担当している。

 彼によってウェーバー思想が日本に本格的に紹介されることになる。特に、『ウェーバーとマルクス(Max Weber und Karl Marx)』(1932)が読まれ、ウェーバーは思想界に大きな影響を及ぼしている。41年、日米開戦に伴い、レーヴィットは日本を去り、アメリカに渡る。

 ナチスはウェーバーの著作を非ドイツ的として禁書にしている。しかし、日本の当局は彼を危険視していない。昭和10年代、マルクス主義が弾圧され、国粋主義が勢いを増している。けれども、国体、すなわち天皇制への批判でなければ、学問の自由は比較的保障されている。

 『ウェーバーとマルクス』は両者を比較・検討した著作である。それは、当時のインテリにとって、マルクス主義克服としてのウェーバー思想の意義と受けとめられる。

 戦後、ウェーバーはドイツで解禁される。西ドイツでは自由に読み、論じられる環境が生まれている。しかし、復活には至らない。禁止されていたのはウェーバーだけではない。カール・マルクスもジークムント・フロイトもそうである。ナチズム批判という戦後ドイツの文脈には、ウェーバーよりもふさわしい思想があったと考えられる。

 一方、日本においてウェーバーの影響力は強い。軍国主義の非合理性とマルクス主義の教条性への批判としてウェーバーは援用される。ウェーバーが議会制民主主義あるいは自由民主主義に肯定的だったとは言い難いが、丸山眞男を始め戦後民主主義者はその結合を試みている。このようにウェーバー研究は日本の文脈に即して独自に発展していく。

 ウェーバーの文体がわかりにくいことは日本の研究者も承知している。入門書では彼の言わんとしたことが何かから解説されている。ただ、こうした訓詁学は、日本の思想書では珍しくないので、特段抵抗感はない。

 今日、ウェーバーを研究しようとすれば、日本の文献を無視することはできないだろう。もちろん、それらの大半は日本の文脈に依拠し、日本語で記されている。今でこそ、社会科学の論文も英語で発表することが常識だが、当時はそうではない。日本語の世界という閉鎖された中で、ウェーバーは詳細に研究され、成果が蓄積されている。そこには、世界的にウェーバー再発見につながるアイデアもあるかもしれない。『マックス・ウェーバーの日本』はそうした将来を予感させる。

 同書が刊行されるのも環境の変化という要因があるだろう。インターネットでは英語が共通語として使われている。しかし、定着して情報量が爆発的に増えると、それまで顧みられなかった非英語の情報も世界的になる可能性がある。閉鎖された特定文脈に依存して独自に発達してきた世界も外部に発見され得る。また、その言語圏内で何らかの事情によって陽の目を見ないできた作品も世界に見出され、見落としぶりが物笑いになる可能性もある。『マックス・ウェーバーの日本』は今後の知の世界地図のありようまで示唆する画期的な著作である。
〈了〉
参照文献
ヴォルフガング・シュヴェントカー、『マックス・ウェーバーの日本』、野口雅弘他訳、みすず書房、2013年

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