七尾こずえちゃんのその後(2017)
七尾こずえちゃんのその後
Saven Satow
Dec. 01, 2017
「子供の頃から貯金が趣味で、別に遣い道考えてたわけじゃなくて……だけど、そろそろパッーと遣っちゃおうかと…そ、それであの…ぜひ、こずえさんに協力して欲しいんですが…ぼくと、けっけっ結婚式、…しませんか?」
高橋留美子『めぞん一刻』
2017年11月半ばから20年前の金融危機を振り返る記事を見かけます。北海道新聞が11月17日より「拓銀破綻20年」を連載、毎日新聞が11月24日に「廃業、失った20年 証券業界、構造改革半ば」を掲載しています。20年前の1997年、11月17日に北海道拓殖銀行が経営破綻、24日には山一証券が自主廃業しています。その20年後の日付に合わせて、二紙は新しい資料・証言を調査・取材して当時の内幕を明らかにしたり、今後に向けた現状と課題を示したりしています。
言うまでもなく、この大型倒産に至る大きな理由にバブルへの不適切な対応があります。1985年9月、G5蔵相・中央銀行総裁会議がニューヨークのプラザ・ホテルで開催され、米国の対日貿易赤字が顕著だったため、円高ドル安への誘導が合意されます。しかし、このプラザ合意に伴い急速な円高が進行、日本経済は不況に見舞われます。日本銀行はそれに対応するため、86年1月、公定歩合を引き下げるのです。
けれども、対欧米貿易の黒字が累積し、内需拡大と為替レートの円高の外圧も続き、加えて86~88年の間消費者物価水準が安定していることもあり、日銀は低金利政策を強化します。しかし、国際的なブランド力を獲得した製造業は銀行の融資を当てにせず、証券市場から資金を調達するようになっています。その方が低金利で、銀行に経営へ口出しされずにすむからです。優良借り手を失った銀行は不動産・建設・ノンバンクのバブル関連三業種に融資しますが、これが株価・地価の資産価格を急激に押し上げます。それはファンダメンタル価格と呼ばれる基礎的条件の成長を超える勢いです。こうしてバブル経済が始まります。
伊丹十三監督の『マルサの女2』(1988)で描かれたように、地価高騰や地上げを始めバブルの弊害が社会問題化します。しかし、物価上昇が予想以上に認められないとして日銀は従来の金融政策を維持します。合計5度公定歩合を引き下げています。90年、湾岸危機や原油高の他、日銀が公定歩合を急激に引き上げたなどの理由から、株価が暴落、景気も下降、91年2月にバブルは崩壊します。地価は株価に比べてタイムラグがあるので、91年秋頃より大都市圏を皮切りにして下落が始まり、それが全国に広がっていきます。
バブル崩壊後、金融機関の合併や破たんが相次ぎます。92年からリーマン・ショックの2008年までに181の金融機関が破たんしています。大半が小規模の信用組合ですが、先に挙げた拓銀や山一の他、98年には日本長期信用銀行と日本債権銀行の大手も破綻しています。
金融機関の経営破たんには、吉野直行慶応大学教授の『バブル・不良債権・預金保険機構』によると、大きく四つの原因が考えられます。
第一に、地価の上昇と下落です。地価は上がることがあっても下がることなどないという土地神話が80年代まで社会的に信じられています。金融機関は融資する際に、土地を担保にします。かりに借り手が返済不能に陥っても、土地を売却すればそれは不良債権になりません。けれども、90年代に入ると、地価が下落し、安全なはずの担保物件が不良債権化してしまうのです。
第二は有価証券投資の失敗です。銀行は主に支出で運用していたのですが、89年からそれが低下に向かいます。預金は景気が低迷しても、ある程度集まります。そこで銀行は株式や国債、外債といった有価証券投資に手を出します。しかし、銀行にはそのノウハウがありませんので、投資に失敗してしまうのです。
第三が地域経済の低迷です。経営破綻した金融機関の大半が信用組合で、総数は138に上ります。こうした金融機関は中小企業を中心に融資し、地方経済の活性化の役割を担っています。ところが、バブル崩壊後、地方経済が冷えこみます。特に、ポートフォリオをせず、大口融資に依存している金融機関は、特定地域・企業の状況の悪化により、経営が立ち行かなくなってしまうのです。
最後に、経営能力の不足です。小規模禁輸機関は経営者のガバナンスが低い傾向にあります。経営者が自分や親族の関連する企業に独断で融資をすることが起きます。審査や見通しが甘い融資ですから、それが不良債権化して金融機関の破綻を招くのです。
1999年3月、政府は大手15校に7兆5000億円の公的資金を投入、不良債権問題を処理します。この年から2004年7月にかけて大手行が再編され、三大メガバンクが誕生します。06年10月、このメガバンクは公的資金を完済しています。銀行のみならず、証券と保険を含めた金融業界の再編はその後も続いていきます。
バブルから相次ぐ金融機関の不祥事に対する世論の怒りが収まらない中、98年に金融監督庁(現金融庁)が設置されます。大蔵省がブレーキとアクセルの権限を両方持っていることが金融機関の不祥事の一因と見られたからです。そこで、橋本龍太郎政権は大蔵省から民間金融機関の検査・監督の機能を分離・独立させ、金融監督庁を誕生させます。これは同政権の取り組む省庁再編の一環で、大蔵省は財務省へと改組されています。
さらに、96年より進められてきた日本版金融ビッグバンが2001年に完了します。銀行・証券・保険の分野への参入規制の緩和など自由化、情報公開とルールの明確化といった市場の透明化、会計制度等の国際標準の導入のようなグローバル化時代への対応が図られます。
もっとも、これで日本の金融機関が安泰になったわけではありません。08年のリーマン・ショックを代表に、国内外で毎年のように発生するショックに見舞われます。しかも、近年では日銀のマイナス金利政策による収益の減少、キャッシュレス時代に向けた大規模な人員削減など環境の激変に金融機関は日々追われています。
バブル以前の日本社会を生きる人にとって、今の金融の状況は想像を絶する光景でしょう。80年代を代表するマンガとして高橋留美子の『めぞん一刻』を挙げることができます。1980~87年の間、『ビッグコミックスピリッツ』に連載され、当時の社会の気分をうまく捉え、絶大な人気を博しています。80年代前半の社会的気分を考察する際に、ここでは余裕がありませんけれども、このラブコメは欠かせません。なお、後に、これをパクった『101回目のプロポーズ』という恥知らずなドラマが放映されています。
その中に「七尾こずえちゃん」という若い女性が登場します。主人公の五代くんは彼の住むアパートの管理人である響子さんに恋心を抱いています。けれども、「優柔不断」の彼は彼女に思いをなかなか打ち明けられません。そんな折、大学生の彼は、バイト先で一つ年下の女子大生と知り合います。それがこずえちゃんです。どこか天然、かわいらしい彼女は比較的積極的で、五代くんも悪い気がしません。こずえちゃんは五代くんをめぐる三角関係において響子さんのライバルに当たるわけです。
余談ですけれども、五代くんは「優柔不断」と周囲から非難されることも少なくありませんが、彼のような男性はアメリカによくいます。アメリカ人は繊細で、傷つきやすい人たちです。断られたくないからと意中の女性であっても友人関係をだらだらと数年も続ける男性は珍しくありません。高校時代の同級生と結婚するケースが多いのもそのためです。映画やドラマの登場人物やセレブから一般的なアメリカ人男性の気質など理解できるものではありません。
こずえちゃんは、大学卒業後、中嶋嶺雄元国際教養大学学長に似たルックスの父のコネで銀行に就職し、窓口業務を務めます。貯金が趣味で、やさしく、口下手の銀行員と結婚、入行から二年ほどで寿退職しています。夫の転勤に伴い、名古屋で専業主婦をしていると最終回で紹介されています。夫婦仲円満な日々です。
ところで、『めぞん一刻』は青年マンガでありながら、女性の登場人物のファッションがその時々の流行を反映しています。それを最近と比較すると興味深いものです。87年の連載回から例を挙げましょう。OLのこずえちゃんの着ている厚手のコートは今のそれと似ています。他方、こずえちゃんや響子さんが膝と踝の間という中途半端な丈のスカートをはいています。現在ですと、長くするにしろ、短くするにしろ、スカート丈はもっとはっきりしています。流行は単純に循環するわけではないのです。
こずえちゃんの夫は作品中にほんの数ページに後ろ姿で登場するだけです。彼はおそらくバブル以前に都市銀行に入行したと推定できます。ロー・エナジーで、面白味はありませんが、「24時間働けますか?」のモーレツ社員ではありません。妻を思いやり、家庭を大切にする堅実な男性です。こずえちゃんはやさしいタイプの男性が好みなのでしょう。
『めぞん一刻』の主な登場人物は、最終回で、小さいけれども確かな幸せを手にしています。中でも、こずえちゃんは最も堅実な道を歩む人として扱われています。
80年代前半、短大・4大卒後、親のコネで入社して腰掛けOLのまま、大手企業のサラリーマンと結婚、寿退社して専業主婦という人生コースは女性の幸せとさえ見なされています。休日に結婚前の女性同士で清里のペンションで赤毛のアンの世界を満喫することが流行します。女性にとって結婚は男性への吸収合併で、家事や育児に追われるのだから、独身の間くらい好きにしたいという思いからでしょう。男女共同参画社会など言葉としても世間に認知されていない時代です。
しかし、こずえちゃん夫婦が結婚後安泰だったとはとても思えません。これまで述べてきた通り、マンガの連載が終わって以降のバブル経済と平成不況の中で最も激変した業界の一つが金融だからです。
経営破綻や統合合併、リストラなどの厳しい状況の下でも彼が金融に残っているかどうかわかりません。しかし、連載終了以降の金融業が彼にとって居心地のよいところでないことは少なくとも確かでしょう。優良借り手への安定的な融資が見込める頃には、銀行にとって預金を集めることは重要です。そもそも銀行が預金量を増やさなければ、高度経済成長の達成も難しかったと言えます。銀行が家計から貯蓄を集め、それを製造業に低利で融資したからです。けれども、安定的な融資先を失い、証券市場も発達、銀行は業務を多角化しています。銀行は貯金が趣味の口下手な人を必ずしも望んでいないのです。
むしろ、脱サラをして夫婦でお店を開いたように想像できます。都会にしろ、田舎にしろ、流行に左右されず、オーガニック・ショップのように、一定数の集客が見込める個性的な店を経営している姿が思い浮かびます。二人とも元銀行員ですので、融資・返済計画の見通しはもちろん、立地や採算性の見立てなどもさほど誤らないでしょう。また、商業簿記は銀行簿記と異なりますが、勉強すれば、経理も問題ありません。しかも、こずえちゃんは窓口業務の経験がありますから、接客ができます。
80年代前半の幸せのイメージは静的社会を前提にしています。経済を始め社会の構造が比較的安定していて、先が予想しやすいのです。人生は社会的規範に従った入学や就職、結婚、出産などイベントの通過を意味します。結婚がその後の人生に見通しを与えますので、幸せはその中で覚えるものです。けれども、今日は動的社会です。この先がどうなるか予測がつきません。社会的な変化の節々に対応して生活していくほかないのです。人生はライフ・イベントのスタンプラリーではありません。
その意味で、挫折続きの五代くんの生き方は現代的です。就職に失敗し、友人に紹介されてキャバレーで呼び込みの非正規、その間に保育士の資格を取得、保育園に臨時採用されています。今ならこうした経歴も珍しくありません。
こずえちゃんは当時として最も堅実な人生を歩んでいます。だからこそ、動的な社会が到来した時、銀行員と結婚した彼女が登場人物の中で最もその後に新たな道を選んだと想像してしまうのです。こずえちゃん夫婦は静的な世界の住人です。動的な時代にあっても、静的な世界が可能なところに行き、二人で自分たちなりの幸せを育んでいくように思えるのです。喜劇は、アリストテレスの『詩学』によれば、笑えるものだけではなく、ハッピーエンドを迎える作品を指します。しかし、今はその喜劇が困難な時代です。そんなことをこずえちゃんのその後を思い浮かべながら、思わずにいられないのです。
〈了〉
参照文献
吉野直行、『社会と銀行』、放送大学教育振興会、2010年
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