豊田泰光、あるいは野球探偵(2)(2021)
2 2番ショート探偵小説論
豊田泰光は、吉田義男や広岡達郎と並んで昭和30年代を代表する遊撃手である。守備に関してはこの三人の中で吉田の評価が最も高い。しかし、「荒武者」は、「牛若丸」と違い、華麗さはなかったが、中学時代にセカンドの経験のある関根潤三が語っているように、堅実な守備を見せている。強権で、守備範囲が広く、連係プレーもうまい。ただ、彼の守備がうまくなかったという証言があるのも確かである。それは、ピッチャーを抜ける二遊間のゴロの処理を苦手としていたからだ。1958年の日本シリーズでも、彼は二遊間のゴロを蹴飛ばすエラーをしでかしている。デビュー直後にこのコースのエラーをして先輩から怒鳴られたことがトラウマになったと豊田は述べている。
実は、このプレーは内野手の守備の中でも最も難しい。捕球の際に自分の足が邪魔になるからだ。三遊間のゴロの場合、逆シングルのグローブを足の前に出して捕球する。ところが、二遊間の場合はグローブが足の後になってしまう。補給と投球動作の際にこれが邪魔になる。
サードが三遊間のゴロを処理する場合、ショートより前に守るので一塁にも近く、飛びこんでも間に合う。また、セカンドの一二塁間のゴロも同様である。ファーストは言わずもがなだろう。一方、ショートは二遊間のゴロに飛びこんでいては間に合わない。走りながら、捕球と送球をしなければならない。こうした事情によりショートによる二遊間御ごろ処理が内野で最も難しい守備である。
ショートは内野の中で最も負担の大きいポジションである。15年以上の現役生活を続けた中で、ショートを通した選手はあまりいない。NPB史上最高の遊撃手とうたわれる吉田義男でさえ晩年は二塁手に回っている。豊田も、昭和40年代に入ると、一塁を守っている。MLBでも同様で、ショートで引退したレジェンドはデレク・ジータなど非常に少ない。
そういうポジションのため、打撃が期待されないプレーヤーも多い。吉田も17年の実働で通算本塁打66本・打率2割6分7厘である。OPSで言うと、0.676で、Dランクに属する。それに対し、豊田は強打者で、1956年、NPBでは、1954年のラリー・レインズに次ぐ史上2人目となる首位打者に輝いたショートだ。彼ら以外にこのタイトルを獲得した遊撃手は、2020年シーズン終了時点で、西岡剛と坂本勇人のみである。
豊田は3割20本塁打70打点20盗塁をコンスタントにマークできると思わせる俊足で、勝負強い中距離打者である。彼のクラッチヒッターぶりは伝説的で、1968年8月24・25日には、2試合連続代打サヨナラ本塁打を放っている。これは現時点でNPB史上唯一の記録である。しかも、彼はポストシーズンで活躍している。日本シリーズMVP1回 (1956年)、日本シリーズ首位打者賞2回 (1956年・1958年)、日本シリーズ優秀選手賞1回 (1957年)である。また、1956年の日米野球の際、ブルックリン・ドジャースのドン・ニューカムから豪快なホームランを打っている。ニューカムは、この年、サイ・ヤング賞とMVPに輝いたナショナル・リーグ最高の投手だ。豊田は総合力ではNPB史上屈指の遊撃手である。
ただし、豊田は湯治としては三振が多い打者である。今でこそ珍しくないが、通算三振数1000をNPB史上初めて超え、最終的に1024を記録している。
三原脩監督は、この強打の遊撃手に2番の打順を納得してもらおうと時間をかけて説得している。いかに2番打者が重要であると同時に、他チームのそれと違うことを説いている。話を聞いた豊田は監督の要請を受け入れる。「私が仕えた指揮官では、やはり三原さんはすごい人でした。三原マジックと称された戦術はもちろん、人心掌握術も一流だったんです。私が一番感心したのは、2軍から上がってきた選手をすぐに公式戦で使う点です」(豊田泰光)。
もっとも、豊田は流線型打線理論を無批判的に受容したわけではない。岡崎満義の『中西太と豊田泰光』によると、オーダーについてなぜ各打順にこの打者なのかを自身でも吟味している。例えば、高倉が1番に来るのは、彼が明るく猪突猛進型だからだと豊田は理解する。抽象的な流線型打線理論を具体的なライオンズの打順に適用することで、彼はその可能性を検討している。
その上で、豊田は理論を発展させる。それが「2番ショート探偵小説論」である。
状況を詠んで最適策を検討・実践するのが2番打者の役割である。その判断によって後続の行動も変わる。1塁走者の盗塁が効果的と思えば、それを援護する。むしろ、勢いをつけたいと考えるならば、エンドランをしかける。相手投手が制球に苦労しているなら、粘って四球を選ぶ。3番につなぐ方がよいならば、犠打で送ろう。いや、ここは自ら決めてやる。これしかないということはない。視野を広くし、認知を相対化して多角的に考える必要がある。このように2番打者は、状況を読んで、多くの選択肢から最適の物を選んで実施する。流線型打線の2番に指示待ち人間は及び出ない。
ショートにも同様の洞察と思考が必要とされる。2番ショートは相手の監督とさしで勝負をしているような楽しさがある。それは、豊田によると、「探偵小説」(『中西太と豊田泰光』)の謎解きを髣髴とさせて面白い。
「探偵小説」の謎解きは論理的思考が要求される。テキストに記された情報を元に、犯人は誰で、動機(心理)は何であり、トリックはいかなるものであるかを矛盾や飛躍なく、常識人が納得できる論理性に則って論証することがその読書の楽しみである。直感や経験は謎解きのきっかけとなっても、論拠ではない。また、証拠も論証を補強するものであるが、重要なのはその論理的解釈である。もちろん、ミステリーには偶然の要素もしばしば織りこまれている。謎解きはそれも考慮しなければならない。視野を広くして、認知を相対化して多角的に事態を捉える必要がある。読者は搭乗する探偵に自身を重ねて作者の問いかけるこうした謎に取り組む。「『自分こそ最高だ』と信じ込むと、時にはツキのようなものに助けられたことを忘れて、あたかも成功の法則が存在するかのように教え込もうとする」(豊田泰光)。
流線型打線理論は、3番に最強打者を置き、上位で早めに点をとることを目的にしている。その際、カギになるのが2番打者である。2番に強打者を据え、得点の選択肢の幅を広げる。豊田は探偵の方法論によってその理論を再構成する。2番ショートは、言わば、野球探偵である。NPB史上最高の2番打者が説くその像がこれだ。
2番打者は上司に言われるがままに動く刑事ではない。広い視野お持ち、定石を相対化して合理的思考で多角的に捉える方法論の探偵だ。つまり、2番ショート探偵小説論は「野球探偵方法論」である。2番打者を見れば、その監督の頭の程度がわかる。