政党文化と政党支持(2024)
政党文化と政党支持
Saven Satow
Oct. 29, 2024
「女らしく黙っていろ!」
ビュレント・アルンチ
有権者は政策で政党支持を決めていない。全員がそうだというわけではないが、その大きなトレンドが認められる。有権者は政党の文化に基づいてそれを支持している。
厚い支持層だったラストベルトの労働者が民主党から離れたことがドナルド・トランプの台頭を許した要因の一つとして、ジョー・バイデン政権は彼らのための政策を実施する。それは特に大学の学位を持たない男性労働者に利益をもたらすよう設計され、各種の統計によると、相対的に彼らは恩恵を受けている。ところが、世論調査の結果は芳しくない。バイデン大統領の支持率は低く、労働者階級からの支持も好転していない。政権の政策と有権者の支持の間に乖離がある。
この状況は2024年大統領選挙の民主党候補カマラ・ハリスに対してさらに厳しくなっている。『ニューヨーク・タイムズ』の世論調査によると、彼女は非大卒男性労働者からの支持は2020年のバイデンより9ポイントも低い。ハリスはバイデン政権の副大統領であり、このグループはその政策の恩恵を他よりも預かっている。にもかかわらず、現大統領と同程度どころか、さらに低い。
こうした状況は男性労働者たちがドナルド・トランプの支持者であることを意味する。ただ、実は、従来民主党支持だったグループが共和党へと移動しているケースは他にも認められる。黒人やヒスパニックの男性も共和党支持が顕著に増加している。
この変動の特徴は「男性」が共和党支持に集まっていることだ。事実、各種世論調査を参照すると、ハリスへの支持率は男性が女性より15ポイント低く、トランプはちょうどその逆である。ハリスは黒人男性からの支持がバイデンより低い。そこで彼らにそれに迎合する政策を発表したが、効果は芳しくない。彼女が支持されないのは政策ではなく、女だからだ。
従来、政治的アイデンティティの優先順位において「性別」は決して高くない。黒人男性も黒人女性も「性別」よりも「人種」の方を上位に置く。自分たちが差別されるのは黒人だからであって、女だ男だはその後だからだ。しかし、最近、この優先順位が入れ替わりつつある。黒人だから民主党を支持するのではなく、男だから共和党と変わりつつある。
教育歴も同様である。確かに、高等教育の経験の有無はエリートと非エリートの区別につながり、その後の人生行路の違いをもたらしている。けれども、従来労働者であれば、その利益を代弁する政党を支持するものである。存在が意識を決定するからだ。しかし、非大卒の男性労働者にとって政治的アイデンティティの最優先は「男性」である。「労働者」ではない。
もちろん、これまでも自分にとって不利益であるはずの新自由主義者の政治家を労働者が支持してきたことはある。しかし、それは、小泉純一郎首相の「構造改革」がそうだったように、政治的レトリックの産物である。政治的アイデンティティの優先順位が入れ替わった結果ではない。
しかし、今起きている政治的分断は経済的ではなく、文化的なものに起因している。共和党は男の党で、民主党は女の党だからと政党支持が決まっている。再分配が政治的課題であれば、政策の変更によって政党への支持が変動するだろう。けれども、「性別」が決定的であるなら、支持は政策ではなく、政党文化によって左右されることになる。
今の共和党を象徴するシーンがある。それは、元プロレスラーのハルク・ホーガンが2024年7月18日に米ウィスコンシン州ミルウォーキーの共和党大会の演説で見せたパフォーマンスである。ホーガンは最初に着ていたTシャツを破り捨て、下から「トランプ」と書かれた選挙応援のシャツを見せている。このマッチョさこそが共和党のカルチャーだというわけだ。
LGBTQを始め多様性との共生が唱えられる中、従来の「性別」を超えるジェンダーの認識が求められるようになっている。その複雑化に反発するかのように、素朴な「性別」への回帰が認められる。それはパターナリズムの復権である。この家父長主義は政治的・経済的階級ではなく、社会的階級による分断を肯定する。右派ポピュリズムと見なされたものが実際にはパターナリズム的動機に基づいていることを見逃してはならない。
こうしたパターナリズムの復権はすでに日本でも見られる。それをよく示すのが「ネトウヨ」、すなわち「ネット右翼」である。彼らの呼称に「右翼」が入っているが、これは正しくない。日本の右翼を特徴づける天皇への絶対帰依がないからだ。民族派は自身の考えと異なっていたとしても、大御心に沿うことをよしとするので、天皇の発言や行動に意を唱えない。しかし、ネトウヨは、天皇と安倍晋三が対立した際、前者より後者を選んでいる。それは彼らが戦前的家父長主義者だからだ。戦前の天皇制が疑似家族的で、パターナリズムに基づいている。他方、戦後の天皇は「皇后化された天皇」と呼ばれることがある。戦後の天皇制は戦前的家父長制を否定している。ネトウヨは戦後憲法に忠実に振舞おうとする天皇よりもパターナリズムを主張する安倍晋三を支持する。
また、『不適切にもほどがある』というTVドラマが2024年前半に放送されている。これは1986年からタイムスリップした男が当時の価値観で今の風潮に否を突きつける物語である。しかし、主人公はたんに逆差別だと言っているにすぎず、多様性の矯正がどのようにあり得るべきなのかという未来に向けた姿勢がない。ただパターナリズムの復権を主張しているだけの作品だ。こういったドラマが放送されている状況を踏まえて、「性別」による政治の分断に警戒すべきだ。
海外の政治動向に触れながらジャーナリストや学者がそれを今後の日本への警告として語ることが少なくない。しかし、政治的堕落に関して日本が先行していることが結構多いものだ。スティーヴ・バノンは安倍がトランプより先にトランプ的だったと指摘している。また、欧州の急進右翼が日本の移民政策を評価しているように、安倍晋三政権の自民党の政策は先進国において極右に属するものだ。さらに、維新を海外メディアが紹介する際、「右派ポピュリスト政党」と呼んでいる。欧米の動向に影響されて日本でもそれが始まるという見方は言語化することの怠惰である。日本の政治情勢を相対化して言語化することに取り組むべきだ。
そうした知的怠惰は有権者の政党支持に見出せる。有権者は政策ではなく、政党文化から支持を決めている。第50回総選挙において立憲民主党の比例得票数は前回からわずか6万票増えただけで、ほぼ横ばいである。小選挙区と違い、比例は有権者の政党支持が反映しやすい。野田佳彦が代表になり、従来自民党を支持してきた有権者の受け皿になるべく、ジャーナリストや学者も推す「保守中道路線」へとシフトしたが、結果につながっていない。政策ではなく、政党文化によって有権者は投票しているからだ。政策を変えたら、支持が増えるなどと有権者が見えていない。むしろ、『虎に翼』が人気を博す時代において、パターナリズムを認めない政党文化を明確にすることの方が望ましい。
政党文化について直観的見方は時折メディア上で目にする。維新を「大阪のヤンキー」の比喩で捉えることが一例である。各政党に特有のカルチャーがあることは理解しているのだが、それが明示的にどういうもので、有権者の支持とどのような関係がるのかは手付かずである。、
政党への支持や投票を政策から捉えるのは一面的である。有権者の認知行動を全体的に把握するためには、政党文化への理解が必要だ。世論調査は年代別や性別などさまざまな情報を集めているのに、その分析結果は十分とは言い難い。ある政党が若年層からの支持が大きいとすると、若者が政策を評価したからだとか若者が保守化しているからだとかいった開設を耳にする程度だ。その際に男女比は触れたとしても、分析が言及されることは少ない。所属議員や候補者の男女比が報道されることはあっても、女性あるいは男性からの支持が多いことは何を意味するのかという政党文化の考察はなかなかお目にかからない。しかし、実際、政策からでは説明がつかない有権者の政党への支持や投票も見られる。政党文化は有権者の判断に大きな影響を与えている。それを明らかにすることが現状だけでなく、今後のあるべき民主主義政治を考えるために不可欠だ。
〈了〉
参照文献
「女性議員に『女は黙れ』、トルコ副首相が議会で叫び物議」、『AFPBB』、2015年7月30日 15時50分
https://www.afpbb.com/articles/-/3055970
中井大助、「ハルク・ホーガン氏、米共和党大会で登壇 トランプ氏の応援演説」、『朝日新聞DIGITAL』、2024年7月19日 14時01分
https://digital.asahi.com/articles/ASS7L7QPNS7LUHBI00FM.html
Zakaria Fareed, ‘America’s political realignment is catching Democrats flat-footed’, “Washington Post”, October 25, 2024 at 6:00 a.m. EDT
https://www.washingtonpost.com/opinions/2024/10/25/politics-realignment-democrats-race-class/