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トーマス・エジソン、あるいは電気の世紀(4)(2001)

4 Rydeen
 言うまでもなく、パソコンを筆頭に、考案された最新の生産物の意義がまったく理解されず、しばしば、市場どころか社内でさえ、葬り去ろうとする動きも生まれる。ところが、そうした生産物が、逆に、新たな発想=市場を生み出す。「研究の目を、物である個々の構成要素やその中身ではなく、構成要素全体を1つのシステムとして考えて、その組み合わせ方、用い方に向けた」(斎藤芳正『はじめてのOR』)。
 
 アルフレッド・ノーベルは、エジソンとは逆に、商業主義的な状態を嫌っている。エジソンが20世紀の発明家であるとすれば、ノーベルは19世紀の発明家である。19世紀は、近代オリンピックが登場してくるように、アマチュアリズムであり、蒸気の世紀であろう。ジェームズ・ワットは、マシュー・ボールトンの協力で、1776年に単動蒸気機関、1784年にピストンの往復運動を回転運動に変える復動蒸気機関を発明している。
 
 1,807年にフルトンが最初の蒸気汽船、1814年にはスティーヴンソンが蒸気機関車を製造する。1819年にワットが亡くなる時には、イギリスだけでも、すでに、5000台以上の蒸気機関が動いている。
 
 次の世紀に支配的になる電気は大学の研究者が中心である。マイケル・ファラデーも最初はアマチュアだったが、大学と関係が深い。一方、熱力学の研究者はアマチュアがほとんどである。熱の実体説を否定したルシフォード伯ことベンジャミン・トンプソンは事業家だったし、ロベルト・マイヤーは船医、ジェームズ・プレスコット・ジュールに至っては、醸造業者で、エネルギー保存の法則を唱えたヘルマン・フォン・ヘルムホルツは軍医である。ワットは機械修理工、ジェームズ・フルトンは画家兼時計修理業者、ジョージ・スティーヴンソンは職業的発明家である。
 
 ただ、熱力学には古典的力学と電磁気学、さらに量子力学をつなぐ要素がある。古典力学を代表する時計の時間を標準化=統一化したのは蒸気機関車であるけれども、コンピュータはこの時計に基づいている。熱力学はニュートン物理学最後の功績であるが、通常の古典力学とは少々異なるから、専門家以外が実績をあげられる。「発明家」はこの過渡期に活躍する。エジソンは、その意味で、最後の発明家である。
 
 ルシフォード伯は、自分の会社でつくった大砲の穿孔作業をすると砲身が熱くなることから、自説を導き出している。ジュールは、酒をつくる時に、水を攪拌機でかきまわすと水の温度があがる点に着目し、法則を考案する。また、マイヤーは、ジャワに向かう船の船員たちにおける静脈の血液の色が動脈のものと同じくらいに赤いことに気がついている。動脈の血液の赤い色は、混じっている酸素の酸化作用が原因であることは知られており、彼は熱がこの酸化作用に影響を及ぼすのではないかと考える。
 
 1850年に書かれたマイヤーの『熱の仕事当量に関する論文』によると、熱は「実体」ではなく、「作用」であって、「熱量は圧力にさからって体積を増加させる能力」である。熱はエネルギーであり、エネルギーの変化には、絶対温度の概念を熱力学に導入したケルヴィン卿ことウィリアム・タムソンやルドルフ・クラウジゥスが示したように、ある一定の方向性、可逆性=不可逆性がある。この概念は電磁気学や量子力学にも適用されていく。
 
 20世紀の発明家であるエジソンはビジネスのスタイルだけでなく、生活環境とその基盤も変える。エジソンの発明に起源を持つ家電製品に囲まれ、しかも、それを支える電力までエジソンは考案している。エジソンの発明品が世界を構成する。これは、歴史上、初めてであろう。例えば、デヴィッド・ロックフェラーがガソリン・エンジンを発明することなどない。
 
 エジソンはドイツのヨハン・ヴィィルヘルム・リッターが考案した蓄電池を改良してエジソン電池を発明し、1881年、パリで開催された第1回国際電気器具展示会で、蒸気タービンを利用した発電機を出品、翌年には、ニューヨークで世界最初の公営発電所において発電を実用化している。
 
 エジソンは、1878年に、エジソン・ゼネラル・エレクトリック・ライト・カンパニーを創業する。98年、スプレーグ・エレクトリック・レールウェー・アンド・モーター・カンパニーを買収し、エジソン・ゼネラル・エレクトリック・カンパニーとなり、92年、トーマス=ヒューストン・エレクトリックと合併して、GEとなる。
 
 エジソンは1894年まで取締役会に参加している。1900年、MITの化学者ホイットニーを迎えて、研究所を設立し、基礎科学、化学・電気・治金技術に関する画期的な成果をあげ、一躍、GEの名前を高める。さらに、1922~39年に社長に在任した同じくMIT卒のジェラルド・スウォープは、1920年代の好景気の際、女性が外に出る機会が多くなったことを見て、家事の合理化を促す電化製品の製造・販売に力を注ぎ、後世の基盤を築いている。
 
 大衆の世紀とも呼ばれる20世紀は、その意味で、1920年代に始まると考えられ、大衆とは「女性」である。なるほど、電化製品は林ひな子によく似合ったわけだ。第二次世界大戦後には、GEは電球から原子炉まで製造する最大の電気総合メーカーとなる。GEの沸騰水型軽水炉は日本でも広く使われているタイプで、「直接サイクル」とも呼ばれている。これは冷却システムが一系統であることから、構造がシンプルにできるが、放射能の影響が広範囲の機器に及ぶため、タービンの整備・点検の際に作業員の放射線被曝に気をつけなければならないという特徴がある。電力を供給するのも、需用するのもエジソンの発明品である。
 
 電気のロビンソン・クルーソー的作業はエジソンで終わっている。1,981年に、GEのCEOに就任したJ・ウェルチは、アジア企業の追い上げに対抗して生き残るために、大幅な人員削減と事業規模の縮小に着手し、各分野で世界におけるシェアの1位ないし2位という企業に転換させる。今日のネットワークはエジソンの発明の結び目そのものの比喩であり、エジソンは情報化社会を先行した人物である。20世紀は「発明を超えて(文学であれ絵画であれ科学であれ)研究プロセスに移行した時代。このプロセスは生産から隔絶している」(マーシャル・マクルーハン)。
 
 そのエジソンにしても資本主義に飲みこまれていたことは確かである。しかし、すべてを美談に書き換えさせていたエジソンを考慮するならば、それを決して否定的に考えるべきではない。発明した商品を売り出す際には、必ず「エジソン」をつける。競争相手がいない間は、市場を独占するものの、すぐに後発メーカーに追いつかれ、商品は売れなくなる。後発メーカーは経営者や開発者ではなく、有名な歌手や俳優といったセレブを広告に使う。消費者のあこがれはもはや発明家ではない。
 
 さらに、今では宣伝ではなく、ライフ・スタイルの提案という広告の時代に突入している。々はすでに数多くの家電に囲まれている。この製品を購入することにより、消費者の生活がどのように変わるかを提案するのが広告の主流になる。エジソンが売りたかったのは発明品以上に自分自身だったのであり、ウォーホルの認識を先取りしている。
 
 ところが、最近、経営者自身が広告に登場することも多い。フォード・モーターは、ウィリアム・フォードCEO自ら出演するTVコマーシャルを発表している。「家族」・「遺産」・「発見」・「強さ」をテーマにした四種類のCMにおいて、創業者のヘンリー・フォードやレトロな自動車の映像が重ねられ、フォード会長が「私の二人の曽祖父ヘンリー・フォードとハーベイ・ファイアストンは、毎年、トーマス・エジソンとキャンプに出かけたものでした」と語っている。これはCEO自身ではなく、家族の物語を利用した広告である。物語を提示することによって消費者の共感を得て商品や企業への好感度を上げたり、購買行動につなげたりしようとする。
 
 ただ、エジソンのもたらした生活様式は、火力発電所を代表に、環境問題を引き起こしている。けれども、人々はエジソンの世界を手放す気はない。エジソンの行った発明家的方法により、ゲリラ的作戦によって、その解決を図っている。エジソンに由来する問題は、結局、エジソンに解かせるほかない。
 
 実際、バイオエレクトロニクスにおいて、DNAが自分のコピーを作り出す性質を利用したDNAコンピュータが開発されつつある。これは、原理的には、スーパーコンピュータの百万倍の計算速度があり、全生物の遺伝情報の解析に期待されている。DNAの情報はDNA自身に解かせるに限るというわけだ。
 
5 Mary Had a Little Lamb
 エジソンが生きていたら、意気揚揚とすべてのメディアを使い、私の発明によって、環境問題に対する解決法が確立されつつあると訴えることだろう。エジソンは、いつもの通り、陽気かつエネルギッシュな態度で、大好きな記者会見に臨む姿が目に浮かんでくる。そこでのエジソンの言葉は、「電気は決して怪物などではないし、わたしもフランケンシュタイン博士ではない」という信念をこめつつも、どこまでもいかがわしく、妙な希望にあふれているに違いない。けれども、それこそが20世紀だ。エジソンはあまりに20世紀を体現している。
 
 そういうエジソンをめぐって、寺山修司の『エジソン』によると、『戦艦ビナフォア』の次のような替え歌が吹きこまれている。
 
おれは電灯の魔法使い
それに頭もさえている
 
 エジソン自身が本当にそう思っていたかはわからない。ただ、30歳だった1877年、蓄音機に人類最初の音声を録音する際、ある童謡を選んでいる。その歌詞は19世紀初頭にサラ・ジョセファ・へイルが書いたものだ。当時、アメリカでは、女性が学校へ行く必要などないというのが通説である。しかし、サラはそれを打破するために、その歌詞を書いている。
 
 エジソンは、最後に大笑いしながら、その童謡を次のように歌う。
 
Hello. hello, hello.
 
Mary had a little lamb
Its fleece was white as snow
And everywhere that Mary went
That lamb was sure to go.
 
Ha, ha, ha, ha, ha.
 
 エジソンは生涯二度結婚している。最初の妻とは24歳の時に結婚し、3人の子供をもうけ、13年連れ添った後に死別する。彼女の名前はMaryという。
〈了〉
参照文献
ウォーク編、『電気のしくみ小事典』、講談社ブルーバックス、1993年
小関智弘、『ものづくりの時代』、日本放送出版協会、2001年
見城尚志、『図解・わかる電気と電子』、講談社ブルーバックス、1999年
後藤尚久、『図説・電流とはなにか』、講談社ブルーバックス、1989年
斉藤芳正、『はじめてのOR』、講談社ブルーバックス、2002年
坂本龍一=細川周平編、『未来派2009』、本本堂、1984年
竹内均、『物理学の歴史』、講談社学術文庫、1987年
堤井信力、『静電気のABC』、講談社ブルーバックス、講談社、1998年
寺山修司、『さかさま世界史怪物伝』、角川文庫、1974年
橋本尚、『電気に強くなる』、講談社ブルーバックス、1979年
橋本尚、『電気の手帖 電気がまから超LSIまで 改訂新版』、講談社ブルーバックス、1985年
村上陽一郎、『新しい科学史の見方』、日本放送出版教会、1997年
室岡義広、『電気とはなにか』、講談社ブルーバックス、1992年
森毅、『悩んでなんぼの青春よ』、筑摩書房、1990年
森毅、『異説数学者列伝』、ちくま学芸文庫、2001年
 
W・テレンス・ゴード、『マクルーハン』、宮澤 淳一訳、ちくま学芸文庫、2001年
メアリー・シェリー、『フランケンシュタイン』、山本政喜訳、角川文庫、1994年
マシュウ・ジョセフソン、『エジソンの生涯』、矢野徹他訳、新潮社、1974年
マーガレット・チェニー、『テスラ 発明王エジソンを超えた偉才』、鈴木豊雄訳、工作舎、1997年
スティーヴン・バン、『怪物の黙示録―『フランケンシュタイン』を読む』、遠藤徹訳、青弓社、1997年
P・K・ファイヤアーベント、『方法への挑戦』、村上陽一郎他訳、新曜社、1981年
P・K・ファイヤアーベント、『自由人のための知』、村上陽一郎他訳、新曜社、1982年
P・K・ファイヤアーベント、『理性よ、さらば』、植木哲也訳、法政大学出版局、1992年
P・K・ファイヤアーベント、『知とは何か 三つの対話』、村上陽一郎訳、新曜社、1993年
ゲルハルト・プラウゼ、『天才の通信簿』、丸山匠他訳、講談社文庫、1984年
ニール・ボールドウィン、『エジソン 20世紀を発明した男』、椿正晴訳、三田出版会、1997年
I・B・マッキントッシュ、『あなたの知らないビル・ゲイツ』、京兼玲子訳、文芸春秋、2000年
アンドレ・ミラード、『エジソン発明会社の没落』、橋本毅彦訳、朝日新聞社、1998年
ジャネット・ロウ、『ビル・ゲイツ立ち止まったらおしまいだ!』、 中川美和子訳、 ダイヤモンド社 、1999年
 
NHKテレビアンコール・3か月英会話、『平野次郎の英語の中の20世紀』、日本放送出版協会、1999年
小学館ウィークリーブック、『週刊美術館43』小学館、2000年

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