『エルヴィス・オン・ステージ』に反する訪問(2006)
『エルヴィス・オン・ステージ』に反する訪問
Savenn Satow
Jun. 01, 2006
“We can’t go on together with suspicious minds”.
Elvis Presley “Suspicious Minds”
小泉純一郎首相は、繰り返し、今国会の会期の延長はしないと発言しています。6月末の訪米と7月のサミットという外交日程が控えているため、それを優先したのがその理由と見られています。
今回の渡米には、エルヴィス・プレスリーの邸宅だったグレイスランド招待が含まれています。小泉首相が、パキスタンのパルヴェーズ・ムシャラフ大統領同様、エルヴィスのファンだということはよく知られています。しかし、この訪問は反エルヴィス的です。
テネシー州メンフィスにあるグレイスランドは合衆国の国定史跡です。しかし、それだけではありません。そこには、8月16日の命日の一週間前より、全世界から熱狂的な信奉者が巡礼に集まります。さまざまな催し物が行われますが、最も重要な儀式は、老若男女やプロアマを問わない無数の物真似大会です。
しかし、彼らが演じるのは、ラフな身なりに、撫でつけられたリーゼント、長いもみあげ、激しく前後に振られる腰、不明瞭な発音で、『ハートブレイク・ホテル』を叫ぶ若きロックンロールの革命児ではありません。白のジャンプスーツに身を包み、暑苦しく太り、髪をくしゃくしゃにしながら、大汗にまみれ、息も絶え絶えで『サスピシャス・マインド』を歌うキング・エルヴィスです。それはDVD『エルヴィス・オン・ステージ(Elvis: That’s Way It Is)』で見られる貫禄ある姿です。
ロックのファンの多くはこの時期のエルヴィスを評価しません。確かに、現在にまでつながるロックのイメージを創造したのは50年代のエルヴィスです。
にもかかわらず、エルヴィス主義者が晩年のステージを真似するのは、キリスト教の十字架行ではありませんが、計り知れないキングの苦悩を追体験するためです。キングの苦悩に浸ることで、私は大切な何かを失ってしまったのではないかという喪失感を埋め合わせ、魂を癒すのです。パックス・アメリカーナの50年代からアメリカの威信は、唯一の超大国となりながらも、衰退しています。アメリカがどうしてこうなってしまったのかというアメリカ自身の苦悩がエルヴィスに投影されているとも言えるでしょう。「エルヴィスは白人のアメリカ人に目線を下げるということを教えた」(ジェームズ・ブラウン)。
8月15日の夜9時をすぎると、あの日を迎える深夜に向けて、すべての人がキャンドルを手に、「瞑想の庭」に達する頃には涙が溢れ出し、墓に向かって収束する「キャンドルライト」をクライマックスにして、聖なる悲嘆にくれます。参加者はキングの魂とヒーリングを体験するわけです。エルヴィスは、50年代と違い、特定の世代だけでなく、老若男女、国籍と関係なく魂を癒し続けているのです。
おそらく、小泉首相が癒しを求めてかの地を訪れるわけではありません。人々に喪失感を与えているのは彼の政治自身だからです。「目線」を上げた自分の写真をよく使う小泉首相は訪問する前に、「目線を下げる」ことの意味を学ぶのが先決でしょう。
〈了〉
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