見出し画像

電子頭脳作家の誕生(2011)

電子頭脳作家の誕生
Saven Satow
Feb. 18, 2011

「解っている積りで、解っていない事が沢山あるに違いない」。
黒澤明『蝦蟇の油』

 アメリカの人気クイズ番組『ジョパディ!(Jeopardy!)』において2011年2月14日から3日間に亘って行われたコンピュータ対人間の勝負は大差の結果で終わる。獲得賞金王ブラッド・ラッター(Brad Rutter)と連勝記録王ケン・ジェニングス(Ken Jennings)の2人はIBM社製「ワトソン(Watson)」に完敗する。同社の創業者トーマス・ワトソン(Thomas Watson)に因んで命名されたこのスーパーコンピュータは本100万冊分の知識を持っている。

 コンピュータは心理戦に強い。誤答を続けても、焦りもしないし、不景気な顔もしない。この勝利にはそれも影響していよう。

 コンピュータは明確に定義された問題、すなわち計算できる問題の解答に強みを発揮する。「お手!」や「お座り!」、「待て!」などすべてがコマンドであるとすれば、コンピュータを用いた犬の調教は将来的に可能だろう。文章表現ではどうかと言われれば、曖昧さも多く、電子頭脳作家の登場は不可能に違いないと思っているかもしれない。しかし、日々書かれている文章表現の大半は外在性に依存している。文章表現は言葉の組織化であり、それにはルールがある。

 日常で最も書く機会が多いのは、おそらく、実用文書であろう。公文書や履歴書、契約書、社内文書などの事務的な文書には「雛形」がある。書く側も読む側もその定型を前提にしている。こうした形式主義は歴史的に古く、人類の知恵の産物とも言える。定型の共有によって誤解や行き違いなど無用のトラブルを未然に避けられる。社会的に了解されている型を習得し、それに則って書くことは円滑な伝達に不可欠である。

 また、社会人であれば、報告書を提出する機会も少なくないに違いない。浮上してきた問題について検証可能な方法論に基づく調査や実験などで明らかになった事実を依頼主に伝える。その際に重要なのは自分の考えではない。手法・過程・結果の妥当性である。それは執筆者の内部ではなく、外部にある。

 電子メールの爆発的普及により、手紙を書く機会がかつてないほどに増えている。手紙には、フォーマルとインフォーマルの二種類がある。前者は実用文書の一種と見なせるから、これ以上言及しない。後者は友人や家族、濃い美宇土などに当てて書かれ、非定型的である。けれども、それは読み手と書き手の間で共有されている情報が非常に多いからである。雛形に従わなくても、誤解は少なく、生じたとしても、解消が容易である。

 ブログヤツイッターの定着に伴い、日記の類の公開も珍しくない。それは時間の流れという文章の外側にある原理に基礎づけられている。リアルタイムの場合もあれば、後から出来事や経験を蒸篭して記す場合もある。しかし、いずれにしても、時間を軸にして書いていることに違いはない。自叙伝や夏休みの宿題作文もこの拡張形式である。

 このように、日々行われている文章表現は自分の外部にあるものに依存している。作者も読者も共通基盤を頼りにしているのであって、それにふさわしくない文章は齟齬を生じさせる。読者を想定し、その共通基盤を前提にして作者が書いているという点では、文学も同様である。

 書き手も読み手も暗黙の了解に立っている。コンピュータが文章表現をする際には、こうした暗黙の拠り所を明示化しておかなければならない。しかし、人間が電子頭脳作家たらんとしてそれを意識することは、自身を相対化して見るわけだから、より効果的な表現を実践する際に有効であろう。電子の量子力学的効果を用いた科学技術製品に「電子」が付けられる。電子の相互作用的効果を利用したものには、研究途上なので、何が冠とされるかはわからない。

 相互作用と言うけれども、余談であるが、文学において二人による共同作業の創作はあるけれども、三人以上はほとんど聞かない。コミュニケーション・コストが大きくなりすぎるからだ。一人をスーパーバイザーに位置づけ、両者のスクリプトの調整や出来の判定に専念すれば、三人でも可能だろう。黒澤明監督の『七人の侍』はこのような三人体制で脚本が仕上げられている。

 「電子頭脳」という言い方さえ古びたときに、感動するかどうかはともかく、文章表現のできるコンピュータが誕生するかもしれない。コンピュータによる文体の研究は進んでおり、作者の特定などすでにいくつかの画期的な成果を挙げている。こうした実績を踏まえれば、過去のベストセラー作品を定量分析して、ヒットの秘訣を見出し、それを利用して創作することは可能だろう。それは顕在化したものの解析であって、潜在的なものを明らかにすることではない。類型的作品の制作には適していても、まだ見ぬ新しさを示すことはできない。ただ大半の文章表現にはアルゴリズムが溢れており、それを明確化して、そこから先に進んでいく。コンピュータの研究は人間をさらに知ることに役立つ。
〈了〉

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?