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太宰治の『斜陽』、あるいは喜劇の解読(5)(1992)

6 ショーペンハウアー主義者としての太宰
 太宰の作品において、杉並区天沼に住んでいた頃に発表した最初の読むに耐える作品である『魚服記』以来、アイロニーは重要な契機として扱われている。だが、アイロニーは必ずしも笑いを誘うとは限らない。太宰は、先に論じたように、一言余計に書き入れることがあり、アイロニーによって、読み手を笑わせるどころか、かえって不機嫌にさせることが少なくない。彼は抽象的な理解に対して直観的な認識を過剰に加える。太宰にとって、笑いは直観的な理解と抽象的な認識との不一致である。「笑いが生じるのはいつでも、ある概念と、なんらかの点でこの概念を通じて考えられていた実在の客観との間に、とつぜんに不一致が知覚されるためにほかならず、笑いそのものがまさにこの不一致なのである」(アルトゥール・ショーペンハウアー『意志と表象としての世界』)。

 こうした笑いは現状をうまく説明しているかもしれない。だが、いささか病的であり、その笑いには対象のとうのものでさえも笑ってしまうような太っ腹さや健康さがない。アイロニカルな笑いは現状を軽蔑しているけれども、自分自身を笑い飛ばしていないため、当人以外は不快にさせることも少なくない。皮肉は自己との比較によって相手を貶める笑いである。上に対してはいずれ落ちる、下に対しては上がれることなどないと自分お優越性を誇示する。しかし、絶対的な危機や、絶望的な状況を前にすると、それが自分自身を突き放してしまうがゆえに、人間は自己も世界も同時に笑い飛ばすほかなくなる。失われてしまった自己の一貫性を強引に維持し続けようとすることではなく、新たに出発することによって、別の連続性をまた生成していこうとする精神的態度から真の笑い、すなわち「ユーモア」(ジクムント・フロイト)が生ずる。つまり、太宰は他者と比較して優越感を得ようとする笑いを発するため、彼が狙ったと思われる道化的な部分は自己嫌悪と自己憐憫によって損なわれる。痛々しさが目立つうす寒い光景が提示されて、とても笑えない。

 太宰は感性依存の作家で、こんなところでこんな言葉を用いるのかと驚かされることが多々ある。ただし、それは誌的喚起力と言うより、言葉のタブー破りである。太宰の言語に関する描写力は彼の意図を裏切るときむしろ機能する。太宰の作品は、彼が意識したところとまったく逆の部分において、その意図した喚起力が働いている。太宰の作品には、それが必ずしも出来としては優れていないとしても、部分的には光るところがあることがかなり見られる。『斜陽』には前後と論理的な関係を持たない、詩的に印象づけることを意図したであろう文章が少なくない。こうしたちりばめられたシンボリックな表現は、必ずしも、成功していない。描写力によるイメージは、むしろ、アイロニカルに、平坦な叙述において、西荻といった実在の地名や日付、具体的な人物を登場させるという厳密さを追及するときに、機能している。そうした描写は簡略化され、氷山の一角だけが示されており、想像力を喚起させる。

 『斜陽』に見られる次のような表現が詩的である。

 私たちが、東京の西方町のお家を捨て、伊豆のこの、ちょっと支那ふうの山荘二引っ越してきたのは、日本が無条件降伏をしたとしの、十一月のはじめであった。
 これが、あの、私の虹、M・C、私の生き甲斐の、あのひとであろうか。六年。蓬髪は昔のままだけけれども哀に赤茶けて薄くなっており、顔は黄色くむくんで、眼のふちが赤くただれて、前歯が抜け落ち、絶えず口をもぐもぐさせて、一匹の老猿が背中を丸くして部屋の片隅に座っている感じであった。

 「日本が無条件降伏をしたとしの、十一月のはじめ」という言葉は、それに対するイメージが引き起こされ、所有している意味以上に、文脈形成を促し、想像作用が知覚作用へと転換する効果として読み手に残る。こうした固有名詞は自立した意味として、作品に対して、解釈の画一化を阻み、その形成を活性化させる機能を果たしている。

 太宰は「私の虹」に関して「一匹の老猿が背中を丸くして部屋の片隅に座っている」と描写している。そのイメージによって「私の虹」が現象としてではなく、物自体として提示されていることを可能にしてる。

 この部分以外にも、かず子と彼女に『トロイカ』という文庫本を貸す若い将校とのやりとりを描写した印象的なシーンがある。その将校に関する外観は、三島由紀夫ならば丹念に記述するところであろうけれども、一切言及されていない。彼は人物の全体象をあますところなく描くのではなく、ラジオ・ドラマのごとく、外面的な様子のほんの一部だけ、すなわち必要最低限の部分だけ禁欲的に記述している。『葉』の中である人物に語らせた「ほんとうに、言葉は短いほどよい。それだけで、信じさせることができるならば」という主張はこういう部分で表われている。厳密さと厳密さへの情熱の間の緊張関係が詩的な思考の飛躍を太宰の作品において感じさせる。

 同様に、笑いを読み手に喚起するのは、彼が狙ったところではなく、次のような部分である。

 犠牲者。道徳の過渡期の犠牲者。あなたも、私も、きっとそれなのでござましょう。
 革命は、いったい、どこで行われているのでしょう。すくなくとも、私たちの身のまわりに於いては、古い道徳はやっぱりそのまま、みじんも変らず、私たちの行く手をさえぎっています。海の表面の波は何やら騒いでいても、その底の海水は、革命どころか、みじろぎもせず、狸寝入りで寝そべっているんですもの。
「人間は、みな、同じものだ」という
 けれども、この言葉は、実に猥せつで、不気味で、ひとは互いにおびえ、あらゆる思想が姦せられ、努力は嘲笑せられ、幸福は否定せられ、美貌はけがされ、光栄は引きずりおろされ、所謂「世紀の不安」は、この不思議な一語らはっしていると僕は思っているんです。

 太宰はこのようにヒステリックにぶちぶちと愚痴る。彼の陰鬱さは対象をそれに相応しくないものとして論ずる。モノローグは、俳優の田村正和が示しているように、ダイアローグにはないおかしさが漂う。太宰はこの世には希望なんてありはしないと言いながら、偏執狂的にアイロニーによって笑いをとらずにいられない。ところが、彼が笑いを企てたものの、失敗し、そのことを愚痴り始めた瞬間に笑いを覚えてしまう。爆笑するのは太宰の生きる愚痴といったクサさである。「太宰治の作品のもっとも深いところから」聴こえてくる「ひとつの声」、すなわち「じぶんは〈人間〉から失格している、じぶんは〈人間〉というものがまるでわからないと疎隔を訴えている声」が自意識過剰のために笑いを喚起する。

 太宰はマルクス主義者でもなければ、戦後民主主義者でも、ヒューマニストでも、フェミニストでも、天皇制主義者でも、貴族主義者でも、理想主義者でもない。彼は〈人間〉であることは存在の条件となるなどと信ずることができないショーペンハウアー主義者だ。

 彼の得たゆるぎない確信は〈人間〉から失格している自分は存在しなかったほうがましだったのであり、生きることの喜びがその苦痛を駆逐してくれるなどということは、嘲笑すべき自己欺瞞だということである。生まれついてから背負いこんでしまった肉体などというものは虚ろで「徒労」に満ちた〈人間〉にとって重荷なのだ。生きることに盲目的にとらわれて、互いに他人をおしのけてもそのゴールに到達しようというのは、「拷問に喘ぐ者たちの戦場」(『意志と表象としての世界』)にすぎない。「困難に満ちて楽しみのない一生のうちで、一体なにを勝ち得るというのか。食べることと産むこと、つまりは、個体は替われど同じ憂欝な行程を再び始める手立てを準備することにほかならない」(同)。

 生きている無数の人々に、首を横にふり。遠い目をしながら、とっとと死んでしまったほうがどんなにか幸せだったろうにと告げるショーペンハウアーのペシミズムはアイロニーによって一種のリアリズムとなっていることは否定できない。「一瞬の満足、要求に縛られた束の間の喜び、そして多くの長い苦痛、絶えざる闘争、食うか食われるかの全面戦争、抑圧、欠乏、窮乏、不安、阿鼻叫喚のみ、そして、これは末法まで連綿とこの惑星の地殻が割けめまで続いてゆくのだ」(同)。しかし、太宰の作品は自らが非難した状況そのものを作品自身が再現してしまい、表向きにはいかに悲劇的に見せようとしても、そうした差異を反復することによって同一としてしまうその試みは、マルクスが『ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日』の冒頭で言ったように、茶番劇にならざるを得ない。

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