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STAP細胞報道と池上彰記者(2014)

STAP細胞報道と池上彰記者
Saven Satow
Apr. 01, 2014

「あなたが科学者の説を認めるならば、あなたは科学に大きな貢献をすることになるだろう。あなたがそれに対して『はい』とか『いいえ』と言うだけでも、将来の進歩を助けることになる」。
マイケル・ファラデー

 2014年4月1日、理化学研究所は『ネイチャー』誌に掲載されたSTAP細胞に関する論文に不正があったとする最終報告を発表します。小保方晴子研究ユニットリーダーが使用した写真を改竄・捏造したと認めています。

 今回の件で問われたことにメディアの科学リテラシーも含まれます。1月30日、新分野テレビは大々的に画期的な研究成果と報道しています。しかし、専門的な詳細がわからなくても、前日の記者発表を聞いただけで、この研究に信頼性を無批判的に認めることはできません。第三者による再現性の実証がまだありませんし、論理性も不十分、なぜこの実験仮説が持ち出されたのかも納得しかねます。技術開発なら結果オーライですみます。けれども、科学研究では手順が重要で、そこに不備が指摘できるのです。

 メディアの中で、真っ先に報道の非を認めたのが朝日新聞です。3月15日付朝刊で、桑山朗人科学医療報道部長が「私たち報道機関も、報道のあり方が問われていると受け止めています」と記しています。その時点で、他のメディアは理研の責任を追及したり、小保方リーダーの研究倫理を問いただしたり、中には彼女を中傷したりしています。自らの科学リテラシーのなさを反省する姿勢がありません。

 もちろん、自省すべきはメディアだけではありません。中島岳志北海道大学大学院准教授は、3月4日付朝日新聞の『朝日新聞紙面審議会』で、STAP細胞の報道をめぐって、小保方リーダーの人物紹介に節度が必要だと苦言を呈しています。しかし、これは紙面批評になっていません。アカデミズムの住人であるなら、分野は違っていても、再現性が未確証であるなど研究の妥当性につて報道を問いただすべきでしょう。井戸端会議程度の発言しかできないのでは学術研究者とは言えません。

 こういう事件が起きると、池上彰記者がどう見ているかが気になるものです。池上記者は、3月28日付朝日新聞の『池上彰の新聞ななめ読み』んp「STAP細胞 検証報道」において、最初の記者会見に出席していたら、成果を絶賛するような記事を自分も欠いたのではないかと述べています。けれども、これは謙遜でしょう。と言うのも、記者は、2月28日付の同欄で「STAP細胞の発見とiPS細胞」の中で、各紙の記事の科学リテラシーのなさを指摘しているからです。この批判精神を持つ記者がしくじるとは到底思えません。

 池上記者は2月11日付朝日新聞朝刊37面に掲載された山中伸弥京都大学教授の記者会見の記事を取り上げています。メディアは、STAP細胞の新しさを強調するために、iPS細胞との比較をしています。ところが、朝毎読いずれの解説も06年の発表段階にとどまっており、最新の状況に言及されていないため、誤解を招くと山中教授が懸念しているのです。「iPS細胞がSTAP細胞に比べてがんになりやすいといった誤解が広まり、心を痛めている」。

 発表当時、iPS細胞にはがん化しやすいとか作成効率が悪いとかいった課題があります。けれども、現在では多くの研究者の手によってこれらは大幅に改善されています。8年も経っているのです。有望な最先端の研究であれば、当然、新たな成果が次々登場します。報道する際に、現状を調べるのは当然です。けれども、メディアはそれを怠り、STAP細胞の新しさに浮かれてしまったというわけです。

 こうした記事に目がとまる記者が新発見と浮かれるはずもありません。実際、池上記者はSTAP細胞の発表の記者会見に関して、3月28日のコラムで、記事を書く際に情報の不備があることに気が付いています。小保方リーダーは「弱酸性の液体」に漬けるだけで万能細胞が誕生すると言います。それでは、その「弱酸性の液体」がどのようなものかについてとなると、「紅茶程度」と説明しています。こんな曖昧な発言では記事にできません。

 STAP細胞報道は科学リテラシーの不備にとどまりません。メディアの報道リテラシーの不十分さも露呈させています。発表報道の弊害とも考えられます。スターに依存すれば、注目される記事を生産できるという短絡的に思ったとも見えます。ただ、身についているはずの記事を読み書きする能力が日々のルーチンの中で忘れてしまったのかもしれません。「理研の『重大な過誤』を我がこととして受け止める。科学報道に求められるのは、こうした謙虚な姿勢です」。池上記者の3月28日のコラムの結びはまさにその通りです。

 インターネットの普及に伴い、一般市民にも情報の入手が容易になっています。と同時に、その妥当性を見定める各種のリテラシーの習得の重要性が増しています。今回の件から科学リテラシーを身につけることの大切さをより深く認識する必要があるでしょう。
〈了〉

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