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ナックルボーラーに見る野球とベースボール(2003)

ナックルボーラーに見る野球とベースボール
Saven Satow
Aug. 23, 2003

"Throwing a knuckleball for a strike is like throwing a butterfly with hiccups across the street into your neighbor's mailbox".
Willie Stargell

 2003年8月23日、第85回全国高校野球選手権記念大会が終わります。野球に限らず、高校生によるスポーツの全国大会を全試合生中継するということは、日本以外では、ありません。咋シーズンに高校バスケットボールのタイトルをほぼ独占したレブロン・ジェームズが高校の試合を全米に中継させたというので、大変な話題になったくらいです。

 この若き天才はNBAのドラフトの全体でクリーブランド・キャバリアーズから1位指名されています。NBAはめったに高校生をとりません。急激な身長の伸びのために、身体がまだできていないだけでなく、膝や腰に故障を抱えた選手が多いからです)。未成年である高校生のスポーツを組織的・経済的・学校経営的に見世物にしていることは、南北アメリカだろうと、ヨーロッパだろうと、アフリカだろうと、ありません。

 この点も含めて、よく野球とベースボールの違いについて、日米の比較文化論と絡めながら、語られます。さまざまな点が指摘されますが、ただ一つのことは確かでしょう。それは、日本のプロ野球の歴史には、ナックルボーラーが一人として生まれなかったという事実です。

 ナックルボールを主体として投げる投手を「ナックルボーラー」と呼びます。その中には、ナックルボールしか投げないタイプとたまにほかの球種を投げるタイプの二つに分かれます。日本のプロ野球界には、東京ジャイアンツの前田行長のようなナックルを投げる投手はいますが、ナックルボーラーはいません。

 ナックルボーラーという触れこみで、大阪バファローズに、ロブ・マットソンというピッチャーが1998年から2年間在籍しています。44試合に登板して、14勝11敗防御率4,00という成績を残しています。確かに、ナックルボールが中心ではありましたが、速球やカーブもかなり放っていて、ナックルボーラーと呼ぶには不十分です。

 ナックルボールの変化は、大リーグの審判を11年に亘って務めていたロン・ルチアーノの『アンパイアの逆襲』によると、次の通りです。

 審判がナックルボールの判定をできるようになるまでには、最低四、五年はかかる。したがって、大リーグに入りたての私には当然どうしたらいいのやら見当がつかなかったのである。なんとかして最後まで目で追おうとするのだが、どうしてもそれができない。ともかく相手は、上がったかと思うと下がり、それから一気にプレートの上を通過するという代物なのである。「ストライク」とコールしてみるものの、すぐに自分でも疑問になる。

 ナックルボールは、言ってみれば、酔っ払いの千鳥足のような球筋をたどる変化球です。回転が極端に少なく、速度が遅いため、空気の流れの影響を受けやすく、予想のつかない変化をします。球速は時速100キロメートル程度です。大リーグのピッチャーは時速150キロメートルを投げるピッチャーがゴロゴロしていますから、かなり遅いことがわかるでしょう。ナックルボールは複雑系の初期値敏感性を最も体現した球種です。

 引用したロン・ルチアーノの『アンパイアの逆襲(The Umpire Strikes Back)』というタイトルは映画『帝国の逆襲(The Empire Strikes Back)』のパロディです。日米を問わず、元プロ野球関係者が書いた本の中で、これは最高に面白い作品の一つです。

 投げる投手にも、キャッチャーにも、バッターにも、審判にも、誰にもどう変化するかわかりません。そこで、キャッチャーは、ナックルボーラーがマウンドに登ると、規定ぎりぎりの大きなキャッチャー・ミットに持ち替えます。マイク・ピアザなどは、変化に素早く対応するために、ソフトボール用のファースト・ミットで守ったことがあるくらいです。 "You know, catching the knuckleball, it's like trying to catch a fly with a chopstick"(Jason Varitek).

 なぜファースト・ミットを使うのかと言うと、キャッチャー・ミットより捕球しやすいからです。実は、今日のキャッチャー・ミットはファースト・ミットの拡張で、キャッチャーは親指と小指でつまむように捕球します。人差し指の付け根で捕球するかつてのキャッチャー・ミットは昭和40年代には滅びています。

 バッターにしても、不規則なナックルボールを打つ練習はできません。とにかく来た球を打つしかないのです。

 ナックルボールの握り方には指3本指タイプと2本指タイプがあります。前者は親指と小指でボールを握り、人差し指・中指・薬指をボールに立てる、あるいは第一関節を折り曲げてボールにそれを押し付けるものです。後者は、速球と同じように握るものの、人差し指と中指をボールに立てる、もしくは第一間接で折り曲げそれをボールに押し付けるというものです。 最近、ティム・ウェイクフィールドが3本指タイプの変形として、小指を離した握りを考え出しています。"There are two theories on hitting the knuckleball. Unfortunately, neither of them works"( Charley Lau).

 ナックルボールが誰によって、いつ、どこで、どうやって考え出されたのかについては、諸説あります。ブラックソックス・スキャンダルで、シューレス・ジョーと共に永久追放されたエディ・シコットが、1900年代初頭、マイナー・リーグに在籍していた頃に考案した説が有力です。

 最初のナックルボーラーは、エミル”ダッチ”レナードです。肩を痛めてマイナー落ちしていた1937年にナックルボールを習得し、ワシントン・セネタースでメジャー復帰します。彼は191活181敗という通算勝敗数を残しています。

 以降、今日に至るまで、大リーグにはナックルボーラーが必ず一人は活躍しています。ミッキー・マントルやヨギ・ベラを擁したニューヨーク・ヤンキース相手にノーヒット・ノーランを達成したホイト・ウィルヘルム、1973年と74年の2年連続最多勝に輝いたウィルバー・ウッド、2人で通算539勝を記録したフィルとジョーのニークロ兄弟、大リーグ歴代20位の通算858試合に登板したチャーリー・ハフ、野茂英雄がロサンゼルス・ドジャースでデビューしたときのチーム・メートでもあった通算151勝164敗のトム・キャンディオッティ、現役では、ティム・ウェイクフィールドやスティーブ・スパークスがいます。

 中でも、日本で、ナックルボーラーと聞くと、思い起こされるのが、フィル・ニークロでしょう。日米野球で来日し、その魔球を披露しています。日本のバッターは阿波踊りのような格好で空振りをし、観客の笑いを誘っています。彼の背番号35はアトランタ・ブレーブスで永久欠番になり、野球殿堂入りも果たしています。"Hitting Niekro's knuckleball is like eating soup with a fork"(Richie Hebner).

 日本では、ナックルボーラーがいない代わりに、優れたフォークボールの使い手が途切れたことはありません。杉下茂に始まり、村山実、米田哲也、村田兆治、牛島和彦、野茂英雄、野田浩司、佐々木主浩、伊良部秀輝などいくらでもあげられます。特に、晩年の村山実はフォークボールだけを投げていたと言いますから、彼をフォークボーラーと呼ぶべきかもしれません。多くのピッチャーが、今では、フォークボールを投げます。

 ナックルボーラーには、打者の心理を読む技術や配球、走者の牽制といった通常の投手に必須なテクニックが不要です。精緻なコントロールも、ボールのキレも必要ないのです。村山や村田のフォークボールを習得するために費やした狂気がかった練習は今や伝説ですが、ナックルボール覚えるには、そんな苦労はいりません。

 ロン・ルチアーノは、『アンパイアの逆襲』の中で、ナックルボーラーをめぐる次のようなエピソードを紹介しています。

 現役時代を通じていちばん愉快な思い出のひとつは、私が球審を務めていた試合でそのウィルバー・ウッドがキャッチャーのサインに首を振ったときのことである。そのときはキャッチャーでさえ思わず吹きだしてしまったほどだ。「ほかのサインなんてなんにもありゃしないんだぜ」と彼は笑いながら私に教えてくれた。

 緊迫する場面で、こういうことをするピッチャーは日本にはいません。なぜナックルボーラーが日本では誕生しないのかという疑問は以前からされています。ストライク・ゾーンの違いやバッティングの違いなどいろいろな理由がひねり出されています。二―クローの日米野球での快投を考慮すれば、それらは説得力を欠きます。ナックルボーラーが日本の野球に根付かなかったのはおそらくユーモアの問題でしょう。

 実は、ナックルボールは、最も投手の心理変化に影響されやすい球種です。心を乱すと、曲がらなかったり、ストライク・ゾーンから1メートルも離れたところに行ってしまったりします。放るときには、穏やかな精神状態を保つ必要があるのです。

 ナックルボールは一生懸命投げるボールではありません。老人が若者をからかうように、人を食った態度で投げるのです。英語で、早咲きのプレーヤーを”Morning Glory”、遅咲きを”Late Bloomer”と呼びます。早咲きは選手寿命が短命とされていますが、ナックル・ボーラーは後者でしょう。

 ナックルボーラーは、ですから、長く現役生活を送れるのです。エミル・レナードが44歳、ホイト・ウィルヘルムが49歳、ニークロ兄弟のフィルが48歳、ジョーが44歳、チャーリー・ハフは46歳まで投げています。「私が大リーグに入りたてのころは、ホイト・ウィリヘルムがまだ現役で活躍していた。もちろん、彼はすでに四十五歳で、現役生活もあと四年しか残されていなかったが、当時でさえ彼の投球は七十歳を超えたオジン投手の投球のようにはけっして見えなかったのである」(『アンパイアの逆襲』)。

 さらに、トム・キャンディオッティに至っては、引退後、ホイト・ウィルヘルムの役でビリー・クリスタル監督の映画『夢の弾道 打ち破れ!60ホーマー(61*)』(2001)に出演し、ナックルボールを放っています。この『シックスティワン・アスタリスク』のシーンは、『ミスター・ルーキー』で見せた長島一茂のピッチングとは比較にならないほど、素晴らしいものです。ナックルボーラーに必要なのは、森毅に見られるような老獪なユーモアのセンスなのです。

 若さの持つパワーとスピードを競いながら、その中に老獪なユーモアも入っているというのがベースボールだとすれば、野球にはその厚みがありません。短期間で成長させようとすれば、どんなものでも厚みがなくなるのは当然です。高校野球はその典型です。

 大リーグ史上、最高の監督の一人として必ずあげられるのはケーシー・ステンゲルですが、彼は道化として知られています。日本の監督はしたり顔で、名言を口にしますけれども、この老監督は人を食ったような言動で、周囲を煙に巻くのです。ニューヨーク・メッツの不朽の名捕手グレッグ・グーセンについて、ステンゲルはこう言っています。「奴のキャッチングは今20歳だが、10年したら、30歳になる見込みがある」。

 高校野球で流した汗と涙、費やした努力が後の人生に生きていると言う元高校球児がいます。しかし、概して、日本のプレーヤーたちがプレッシャーに弱く、大舞台での表現力に乏しいのは今さら言うまでもないでしょう。

 それは緊張しやすいということです。緊張すれば、周りが見えなくなりますから、余裕をなくし、実力を発揮できません。一生懸命練習を積み重ねれば、技術は向上します。日本の高校生の技術はアメリカより高いものです。けれども、緊張しやすいので、よいパフォーマンスを示せません。

 余裕は自分を対象化することで生じます。それなら、汗、涙と努力を語るよりも、『アンパイアの逆襲』に見られる次のようなユーモアを口にしてくれる方が楽しくていいのです。

 トム・シーヴァーがナ・リーグのサイ・ヤング賞を受けた翌年、メッツの監督のヨギ・ベラらが彼のリリーフにダグ・マグローを送ったことがある。試合は接戦だった。そこでベラは、マグローにボールを渡すときに、「このピンチを切り抜けられると思うか」とたずねた。マグローはそれに対して首を振って答えている。「おいおいヨギ、いまあんたは大リーグ最高の投手を交替させたんだぜ。奴にできないものが、どうしてこの俺にできると思うんだい?」
〈了〉
参照文献
玉木正之、『プロ野球大事典』、新潮文庫、1989年
ロン・ルチアーノ、『アンパイアの逆襲―大リーグ審判奮戦記』、井上一馬訳、文春文庫、1987年

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