見出し画像

ドラゴンアイの季節(6)(2020)

11 蝉スコール
 ワライゼミは、当然、詩歌の規範にも収まらない。哄笑のスコールは「力学的崇高さ」を体現し、「美」に属する風雅と無縁である。カッコウやシジュウカラ、ウグイスが時折自己顕示しようと鳴き声を上げるが、笑いの雨音にたちどころに鎮圧されてしまう。カラスは雑木林の上を飛びながら、ワライゼミにここまで来いとばかりにたまに鳴いてみせる。しかし、それは負け犬の遠吠えにしか聞こえない。冬眠している竜を目覚めさせる力強さは力への意志だ。「笑い蝉」が原理的にドラゴンアイの季語であるとしても、それは「力学的崇高さ」の表象にほかならない。

 もちろん、エゾハルゼミの鳴き声をSNSで聞くことはできる。しかし、哄笑のスコールの崇高さを体感することなどできない。

 笑い声のスコールが絶え間なく降り注ぐ。それは嘲笑でも冷笑でも苦笑でも失笑でも空笑でもない。哄笑である。一切のルサンチマンがない高笑いだ。ワライゼミは一帯を完全にその声で満たしている。自分たちがこの空間を支配していると大笑いしている。それは勝利の笑いだ。

 降り注ぐ笑い声のスコールの中では、独り言もかき消される。けれども、騒々しさなど感じない。むしろ、心地よい。「蝉雨(せみさめ)じゃ、濡れて行こう」とさえ思う。そのスコールを浴びていると、次第に笑いがこみ上げてくる。いつしか大笑いするが、もちろん、かき消されてしまう。それがさらに笑いを誘う。

 もっとも、セミが一斉に鳴くことを「蝉時雨」と呼ぶとしても、実際の雨が降ると、雑木林の笑い声が聞こえてこなくなる。もっぱら雨音が聞える。それがたとえ時雨や霧雨であっても、雨音が耳に届く。時々、カッコウやシジュウカラ、ウグイスが安心したかのように自分のペースで鳴いている。カラスはワライゼミを故馬鹿にしたような声をあげる。

 笑い声はせず、「オーギィーオーギィーオーギィーォーギィー」と低いうなり声だけが聞える。それも遠くの方から耳鳴りのように響いている。このうなり声は、実は、哄笑のスコールの時も、雑木林の下の方から時折聞こえてくる。これもエゾハルゼミの鳴き声である。ただ、雨が降ると、笑い声が消え、うなり声だけが残る。それは自嘲したり、自分を鼓舞したりするかのような声である。空間を支配しているのは自分たちではない。雨音だ。そんな状況など笑えない。ワライゼミの支配も造化の営みの中にある。

12 世界の支配者
 近代に限らず、蝉をめぐる伝統的言説が人間主義的倒錯であることはワライゼミだけが示す者ではない。北米に生息する「素数ゼミ」が端的にそれを物語る。17年もしくは13年の素数周期で蝉が大量発生する。その間は羽化しないので、蝉の声はしない。蝉が鳴く年と鳴かない年がある。ただし、当たり年の蝉の鳴き声はすさまじい。

 『CNN』は、2020年5月25日12時43分更新「17年の周期ゼミ、今年は米国で大発生の予想」において、次のように伝えている。

今年は米国の一部地域で17年の周期ゼミが大発生する年になる見通しだ。
米バージニア工科大学によると、バージニア州南西部と、ノースカロライナ州およびウエストバージニア州の一部では、1エーカー(約4000平方メートル)当たり最大で150万匹のセミが発生する可能性がある。
幸いなことに、セミは人にとって無害だが、鳴き声の騒音には悩まされるかもしれない。
「一度に大量のセミが発生する地域や農場は、相当の騒音問題に見舞われる可能性がある」とバージニア工科大の専門家は予想する。
「これがそれほど頻繁には起きない驚くべき現象だと考えれば、騒音を迷惑に思う気持ちも和らぐだろう」とも言い添えた。
ただし、メスのセミが産卵する樹木やラン、つる植物などは危険にさらされかねない。
セミはものすごい数で大発生することもあり、活動が予想される地域の農家などは注意が必要だと専門家は指摘している。
セミは毎年あるいは周期的に発生する。周期ゼミが13年または17年の周期でしか発生しない理由は不明だが、天敵の周期と同期するのを防ぐためという説もある。

 これは北米の頭部に生息する「周期ゼミ(Periodical Cicadas)」である。毎世代正確に17年もしくは13年で成虫になり大量発生する。この間はその地域で出現しない。17年周期の17年ゼミが3種、13年周期の13年ゼミが4種いる。17年ゼミと13年ゼミが共に生息する地域はほとんどない。周期年数が素数であるため、「素数ゼミ」とも呼ばれる。2021年はこの17年周期ゼミの当たり年というわけだ。

 素数ゼミの羽化は一週間ほど続く。その間、森はすさまじい鳴き声に覆われ、彼らに支配される。しかし、多種多様な動物も、周期ゼミを食べるために、森に集まってくる。けれども、圧倒的な数がいるので、捕食者が食べつくすことなど不可能である。蝉海戦術に他の動物は敗退する。周期ゼミは個々の戦闘で負けても、全体の戦争で勝つ。その鳴き声は勝利の雄叫びだ。

 産卵が終われば、周期ゼミは雄も雌も息絶える。しかし、彼らは土に帰る。死骸は養分となって森を育む。それは森にとって周期的なボーナスである。死は済生を用意し、循環をもたらす。こうした造化の営みに虚しさもはかなさもない。

 苦痛はまたよろこびであり、呪いはまた祝福であり、夜はまた太陽なのだ、--去る者は去るがいい! そうでないものは学ぶがいい、賢者はまた愚者だということを。
 あなたがたはかつて一つのよろこびに対して「然り」と肯定したことがあるのか? おお、わが友人たちよ、もしそうだったら、あなたがたはまたすべての嘆きに対しても「然り」と言ったわけだ。万物は鎖でつなぎあわされ、糸で貫かれ、深く愛しあっているのだ。--
  あなたがたがかつて、ある一度のことを二度あれと欲したことがあるなら、「これは気にいった。幸福よ! 束の間よ! 瞬間よ!」と一度だけ言ったことがあるなら、あなたがたは一切が帰って来ることを欲したのだ!
 --一切を、新たに、そして永遠に、万物を鎖でつながった、意図で貫かれた、深い愛情に結ばれたものとして、おお、そのようなものとして、あなた方はこの世を愛したのだ!
 --あなたがた、永遠のものたちよ、世界を愛せよ! 永遠に、また不断に。そして、嘆きに向かっても「去れ、しかし帰って来い」と言うがいい。すべてのよろこびは--永遠を欲するからだ。
(ニーチェ『ツァラトゥストラ』)

 午後6時を過ぎて暗くなって来ると、笑い声が消える。だが、代わりに鳴くものは現われない。辺りは静まり返る。鳥も虫も鳴かない。一切の音がしない。空間はただ漆黒の色だけがある無音の世界だ。空気さえそこにないように感じられる。沈黙の音とは真空のことだ。静寂は支配の真空を意味する。何ものもこの空間を支配していない。それが静寂だ。

 午前5時を過ぎて明るくなって来ると、カッコウやシジュウカラ、ウグイスがのびのびと鳴き始める。カラスも、飛びながら、気ままに声を上げる。いずれも自分たちの空間の支配を楽しんでいる。しかし、6時を迎えると、笑い声の雨粒がポツポツと降り始める。「ミョーキンミョーキンミョーキンミョーキン」と雑木林のあちこちから聞こえる声は次第に大きくなっていく。それはあっという間にスコールと化し、雨がなければ、12時間降り続く。ワライゼミ以外この空間を支配できるものはいない。「崇高なものは我々を感動させ、美しいものは我々を魅了する。森は夜崇高であり、昼美しい」とカントは言ったが、八幡平ではこうなる。「崇高なものは我々を感動させ、美しいものは我々を魅了する。森は晴れの日崇高であり、雨の日美しい」。

13 笑いと嘆き

 「ケケケケケケケケケケ」

 八幡平の竜はこの哄笑によって冬眠から目を覚ます。そのドラゴンは鏡沼から目を見せる。竜にとって目が重要であることは、画竜点晴の故事からも明らかだろう。そこでは目が生命の象徴とされている。千葉県などに伝わる「竜の目玉」をめぐる昔ばなしがある。内容はさまざまだが、目玉は幼い子どもがぐずった時などに飴玉のようにしゃぶらせてあやすものと扱われている。竜の目玉が生命力を幼子に与えるわけである。だから、ドラゴンアイには「数学的崇高さ」のみならず、「力学的崇高さ」も備えている。それは「崇高」を具現した生命力そのものだ。

 しかし、この竜は嘆く。嘆いてその目から涙を流す。この涙がメガネ沼である。メガネ沼は双子の沼で、エメラルドの色をしている。メガネのように見える形のため、そう呼ばれている。ワライゼミの哄笑によって冬眠から目覚め、竜は嘆き、涙を流す。ドラゴンアイの季節は笑いと嘆きのシーズンである。

 その嘆きは「調伏」足りえぬことに対するものである。内においては己の心身を制して修め、外には悪を教化して成道に至る障害を取り除けていない。もちろん、今は近代であるから、それを仏教道徳としてのみ受け取る必要はない。実際、無知の知に通じるものがある。無知には既知と未知がある。既に知り得たことと未だ知り得ぬことの無知があると自覚して再帰する時、己の無知と無恥に嘆かざるを得ない。

 崇高はこの無知と無恥を反省する契機である。それを顧みないなら、ワライゼミの支配する世界が姿を消す。その時、竜は冬眠から目覚めない。笑いと嘆きが失せれば、涙だけが残る。それだけではない。悔いも残す。ドラゴンアイの季節、すなわち崇高の季節に代って涙と後悔の季節、すなわちルサンチマンの季節となる。

 ドラゴンアイの季節の回帰には崇高さによる反省的思考が反映する。だからこそ、エゾハルゼミは大いに笑い、竜は大いに嘆く。

Slow-motion repeat of breaking glass
Fear creeping up from behind
A slide into corruption
A train of thought stops all along the way
From start to goal
Easy to understand
Thatness, thereness
A grid of time in view

Deep blue metal
Undulating rise and fall
We're hiding ourselves
Don't want to see ourselves
But still desire persists for self-injury
Through exposure to reality
Thatness, thereness
A deep blue rush in time

Slow-motion repeat of breaking glass
Fear creeping up from behind
A slide into corruption
A train of thought stops all along the way
From start to goal
Easy to understand
Thatness, thereness
A grid of time in view
(坂本龍一”Thatness and Thereness”)
〈了〉
参照文献
魚住孝至、『道を極める―日本人の心の歴史』、放送大学教育振興会、2016年
角川書店編、『枕草子 ビギナーズ・クラシックス 日本の古典』、角川ソフィア文庫、2001年
カント、『判断力批判』上下、篠田英雄訳、岩波文庫、1964年]
黒田日出男、『龍の棲む日本』、岩波新書、2003年
幸田露伴、『連環記 他一篇』、岩波文庫、1991年
五味文彦、『日本の中世』、放送大学教育振興会、2007年
寺山修司、『誰か故郷を想はざる』、角川文庫、2005年
フリードリヒ・ニーチェ、『ニーチェ全集』9・10、), 吉沢伝三郎訳、ちくま学芸文庫、1993年
長谷川櫂監、『大人も読みたい こども歳時記』、小学館、2014年
深田久弥、『日本百名山』、朝日新聞社、1982年

「竜の瞳 映える星 八幡平山頂」、『岩手日報』、2020年6月10日

滝口国也、「蝉の鳴き声」、『山形新聞』、2008年8月5日更新
https://www.yamagata-np.jp/minwa/minwa62.html
「『八幡平』の名の由来(鹿角の伝説)」、『美の国あきたネット秋田県公式サイト』、2009年12月15日更新
https://www.pref.akita.lg.jp/pages/archive/310
「17年の周期ゼミ、今年は米国で大発生の予想」、『CNN』、2020年5月25日12時43分更新
https://www.cnn.co.jp/fringe/35154290.html
「竜神沼」、『石森プロ』
https://ishimoripro.com/%E4%BD%9C%E5%93%81%E7%B4%B9%E4%BB%8B/%E3%81%BE%E3%82%93%E3%81%8C/%E9%BE%8D%E7%A5%9E%E6%B2%BC/
曽田幹東、「『ドラゴンアイ』、八幡平にお目見え 雪解けの季節だけ」、『asahi.com』、2020年6月10日 16時00分更新
https://www.asahi.com/articles/ASN6B463NN69ULUC01C.html
昆虫エクスプローラ
https://www.insects.jp/
十和田八幡平国立公園
http://www.env.go.jp/park/towada/index.html
八幡平市鹿角街道WEB
http://www.hachimantaishi-bunka.net/


いいなと思ったら応援しよう!