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えのきどいちろう、あるいはStand By Me(2)(2004)

3 コラムニストえのきどいちろう
 そこで、えのきどいちろうである。
 
 日本にも、徳富蘆花や石橋湛山、桐生悠々、長谷川如是閑といったコラムニストがいるのに、なぜえのきどいちろうなのかという問いがあるとすれば、それは意外である。椎名誠の新言文一致体よりはオーソドックスであるが、決して、うまいわけではない。ひっかかりがあるけれども、まあ、不協和音の展開というほどでもない。とりすましてなんかせず、ちょっと照れつつ、どこか口ごもりながら、語る。
 
 しかも、彼は多くのものに敬意を表している。自分より10歳も若かったとしても、プロ野球のプレーヤーには、「将来の夢はプロ野球選手」と決めている少年のように、憧れの対象として接している。なのに、切り口がうまく、個性があり、一瞥しただけで、すぐに彼の作品だとわかる。
 
 えのきどは、『相撲の困難』において、「おそらく最もアマチュアに開放されていないスポーツは相撲ではないか」と指摘する。と言うのも、「身体に震えが来るほど相撲をとりたいと考えてる男」は「そう滅多にいるとは思えない」し、テニス・コートやゴルフの練習場と違い、そもそも世の中に「土俵はどこにあるのだろう」と首を傾げるほど見かけないからだ。
 
 「そういうことを考えても、人間、自由に生きてるようでいて思い通りにならないことはいくらでもあると断ぜざるを得ない。不自由に行き当たらないとしたら、それは私や貴方が特別の望みを持たぬ、当たり前の人間だからだ。考えれば考えるほど私に個性などというものがあるだろうかと思う。私は身体に震えが来るほど相撲がとりたいなどとこれまでただの一度も思わずに暮らしてきたのである」。
 
 こういう書き手は、コラムを考える際に、間違いなく欠かせない。異議などあるわけないじゃないですか。
 
 南伸坊は、『妙な塩梅』の「解説」において、彼のコラム「ゴルフ練習場の隣人」の書き出し「初対面の人というのはお互い噛み合わなくって面白いものだ」について、次のように述べている。
 
 初対面の人は苦手だ。
 
 こういう書き出しのエッセーはあります。よくある。まァそうだよなァ、と読む方は思いますからね、でもこれはうまくはないです。文のうまい人は書き出しがうまい。もっと。
 うまいだけじゃなくて、えのきどさんのは「考え方」がいいと思う、私は。お互い噛み合わない、そこが面白いというんだから、考え方がいいです。
 いきなり、そういう「いい考え方」にさそわれていく快感というのがある。気持が楽しく元気になる。
 寛容。というと人格者みたいだけど、面白いものだ。だからなあ、いいですよ、心がゆるやかに、楽しくなってくる。
 
 日本のコラムは概してアイロニー様式の尾括型である。書き出しを意外にして、サーカスのように、驚きによって作者と読者の意識を共有させる。冒頭が内容と直接関係のないことも少なくない。その後は比較的に穏やかに進み、終わりに近づくと急速になり、結語を迎える。アイロニーは急転直下であるほど効果的である。落ちの落差が大きいほど、読者に印象が強く残り、作者の主張に納得しやすい。
 
 90年代に流行した「じゃないですか」も、実は、えのきどが80年代に使っていた常套句である。「やっぱり目玉焼きには七味唐辛子じゃないですか」のように、もともとの意図は、少々まぬけさを示すことによって、突飛な組み合わせを受容させる「寛容」の精神である。この表現は、残念ながら、彼の考えとは違って、浸透している。
 
4 針小棒大
 えのきどには針小棒大の傾向がある。しかし、それはアイロニーでも、ユーモアでもない。彼はまず対象に対してある表現を投げ出す。しかし、すぐ後にそれを否定して、別な見方を提示し、三回くらい繰り返す。その辺が頃合いだろう。些細な物事に焦点を合わせ、それを一気に拡大し、ある種の結論を導き出し、次へと進む。結論などとりあえず言ってみただけなのだ。必ずしも、こういう道筋をたどるとは限らない。議論の途中で、突然、放り出してしまったり、尻切れとんぼになってしまったりすることも少なくない。
 
 文化放送のアナウンサー水谷加奈は、『ON AIR─女子アナ恋モード、仕事モード』において、「“おなざり”と“なおざり”もダメだ。どっちがどっちの意味だったか、すぐ忘れてしまう」と告白しながら、えのきどが「“オリエンテーション”と“オリエンテーリング”がどっちがどっちだか、いつもわからなくなっていた」と明かしている。彼は、この通り、かのユイスマンㇲの正統な後継者である。
 
 ジョリス・カルル・ユイスマンス(Joris Karl Huysmans)は内務省に一官吏として勤務しながら、一連の半自伝的小説を書き続けている。彼の思想遍歴は、その平凡な生活と違い、かなり波乱万丈である。
 
 娼婦を描いた『マルト、一娼婦の手記(Marthe, Histoire d'une Fille)』(1876)を当時文壇で最も影響力のあったエミール・ゾラに認められ、『バタール姉妹(Les Soeurs Vatard)』(1879)において自然主義文学の有力後継者を示したのに、デカダン小説の代表作『さかしま(À Rebours)』(1884)を発表し、さらに中世の幼児殺しジル・ド・レを主人公にした『彼方(Là-Bas)』(1891)では悪魔学に傾倒したかと思ったら、今度は、カトリックに帰依し、カトリック三部作『出発(En Route)』(1895)・『大聖堂(La Cathédrale)』(1898)・『献身者(L'Oblat)』(1903)を刊行したものの、教会からは異端の扱いを受け、1907年、舌癌により69歳で亡くなっている。
 
 彼は自然主義から象徴主義、印象主義を擁護したわけだが、節操がないというのではない。むしろ、原理主義者である。彼はある思想に惹かれると、つねにとことん行き着くとこまで進んでしまい、その世界を押し破って、別の思想に辿り着いてしまう。生涯独身であったが、それも他人に自分の生活が乱されたくないという理由からである。
 
 ユイスマンスの小説・エッセイは構成力には乏しいが、文体は細密で複雑に入り組み、過激とも言える印象的な形容詞が散りばめられ、比類のないエキセントリックさを具現している。
 
 ユイスマンスンには、鹿島茂の『世紀末をひもとく』によると、「針小棒大」の傾向がある。けれども、彼はそれをアイロニーやユーモアとして記しているわけではない。彼は他人にとってどうでもいいような些細なことに執着する。それが満たされないことで彼の作品の主人公は苦悶する。
 
 エミール・ゾラに代表される実証主義=客観主義の自然主義は、主観主義的なロマン主義に反対して登場している。ユイスマンスは自然主義の原理主義者としてその方向を突き進む。顕微鏡や統計が気づかなかった微細さを発見させたように、彼は作品においてそれを記す。「経済的諸形態の分析に際しては、顕微鏡も試薬も役に立つことはできない。抽象力が両者の変わりをしなければならない。ところがブルジョア社会にとって、労働生産物の商品形態、あるいは商品の価値形態が経済的な細胞である」(カール・マルクス『資本論』第一版序文)。
 
 彼の代表作『さかしま』にその傾向が典型的に見られる。孤高の貴族デ・ゼッサントはパリ郊外に一軒家を捜し求めて隠遁し、凡庸で通俗的なブルジョア的価値観を転倒した自分自身の美意識を具現化しようとする。それは自然を模倣した人工と人工を模倣した自然のコントラストの「さかしま」なパラダイスである。
 
 濃紺とオレンジ色のモロッコ革を張りめぐらした部屋にギュスターヴ・モローやオディオン・ルドンの異教的な絵画を飾り、ステファン・マラルメやシャルル・ボードレールなどの象徴派の詩を集め、昼夜逆転した生活を始める。外洋旅行の気分を楽しむために、部屋の周囲に水族館を配置し、香水や酒で嗅覚のシンフォニーをつくることにとどまらず、浣腸で直腸の味覚を刺激するに至る。亀の甲羅に宝石を象眼し、異形の蘭の栽培に没頭するなどでデカダンな生活態度がさらにエスカレートしていき、末梢神経の快楽を追及しすぎた結果、とうとう神経衰弱に陥り、その生活も終焉を迎えてしまう。
 
 神秘主義的な絵画や象徴主義の詩はともかく、美食の快楽に飽き足らず、直腸のグルメを満たすために、凝りに凝った配合の浣腸液を試すというのはいくらなんでもやりすぎだろう。美意識を追い求めるあまり、悪趣味に陥ってしまうことは少なくないが、ユイスマンスの場合、それを通り越してしまう。すべてに凝りすぎていて、意識していないにもかかわらず、自分の美意識まで脱構築して、『さかしま』はデカダンス宣言であると同時にそのパロディの性質を帯びている。彼は無意識の脱構築主義者である。
 
 『彼方』にしても、悪魔を書いているからおどろおどろしくなるはずだが、あまりの針小棒大さのために、冗談に見えてしまう。また、カトリック三部作も同様である。神の死の時代において、教会の存在意義が問われている状況に対し、ユイスマンスはカトリックの援護射撃をかってでたつもりなのだが、教会にとってはいい迷惑で、彼が真剣になって書くほど、カトリックはどんどん滑稽になっていく。これは褒め殺しでも、アイロニーでもない。彼は原理主義者であり、それがゆえに、脱構築に至る。教会が彼の著作を禁書扱いにしても、異論を唱えるのは本人くらいだろう。
 

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