I Love You, Mr. Robot─手塚治虫の『鉄腕アトム』(1)(2001)
I Love You, Mr. Robot─手塚治虫の『鉄腕アトム』
Saven Satow
Mar. 21, 2001
「原則をいえば出会いの瞬間に『面白い』っていうのと、僕が今やっている相対評価とは同じじゃないわけです。
僕がただの読者なら同じだってかまわないですよ。『どろろ』は面白いよっていえばすむんです。僕自身は年代的には『アトム』の方が好きだとか、そういえばすんじゃう。君はそうなのか、僕はこうだよって、それで終わるんですよ。でも、ただの読者の視線じゃなくて表現史的な批評行為として分析する場合には、そうはいかない。手塚治虫の全体、戦後マンガ史と関わる側面から、他の作家とも比較していくわけです。(略)
自分の出会いの思いがある作品は、他人が何をいっても何か気に食わないってとこがあって、多少批判的に扱われると(批判は否定じゃないですけどね)自分が傷つけられたみたいに思うことがあります。でも、一応批評という場所に自分を選ぶためには、そういう個人史的な感情と相対評価の批評の軸とは、いったんは切り離さなきゃいけない。自分の評価のベースに出会いの感情があることを、きちんとおさえるためにも、それは必要なんですね」。
夏目房之介『手塚治虫の冒険』
プロローグ Astro Boy (And the Proles on Parade)
『鉄腕アトム』はある編集者の一言から誕生している。手塚治虫は、一九五一年四月から一年間、月刊マンガ雑誌『少年』に『アトム大使』を連載していたが、評判は芳しくない。『アトム大使』が終わる直前、手塚の『ぼくはマンガ家』によると、編集長が、「どうです。こんどは、アトム坊やを主人公にして稿を新たにしてみんですか。あの人物が一番好評だったから」と勧める。
脇役として出ていたロボット「アトム」を主人公にして新たな作品を描かないかという提案に手塚は躊躇したけれども、編集長は「ロボットだが、アトムには血の通った人間の性格を持たせたいですね。そして、読者が、自分達とおなじ仲間だと思うような親近感をね。だから首がとれたり、手がとれたりするようなのじゃなく、泣いたり笑ったり、正義のため怒ったりするようなロボットにするんです」と続ける。
『鉄人アトム』と予告していたものの、「重っくるしい」ので、『鉄腕アトム』として、その作品は、一九五二年四月から、連載が始まる。『鉄腕アトム』はかつてないほどの評判を生み、『少年』を中心に発表され続ける。しかし、一九六八年三月、『少年』の廃刊とともに、「火星から帰ってきた男」を最後に、連載を終える。その後、いくつかのメディアで何度か掲載されている。
『鉄腕アトム』は十五年以上に渡って連載されたため、手塚の表現の変化を体現している。一九五〇年代には最高のマンガ家だったが、虫プロが発足した六〇年代に入ると、手塚の線に変化が見られるようになり、七〇年代になるまで、新たなスタイルが決まらない。六〇年代、手塚はアニメ制作に時間的・経済的余裕をとられ、劇画の台頭による焦りと苦闘している。『鉄腕アトム』は未来を予測しているだけでなく、手塚治虫の軌跡を表象している。
手塚は、『マンガの描き方』の中で、「ぼくは、戦後のマンガを、映画的に変えて、また内容的にもかなり変革したと自負している。ぼくの漫画から、戦後の長編漫画が確立されたと、気が弱いぼくだけど、これだけはそう信じている」と言っている。戦後マンガは手塚治虫のマンガに対する注釈にすぎない。手塚は長編マンガというジャンルを確立しただけではなく、さまざまな「新機軸」を生み出している。
日本マンガに初めて登場人物のクローズ・アップを導入したのは手塚治虫である。彼以前の漫画家は全身を描き、ニー・ショットやバスト・ショットさえない。後に言及するが、これが手塚の言う「映画的」の基礎的技法である。このイノベーションが感情描写を豊かにしり、偶然=必然の印象を生み出したりするなどの複雑で多様な表現をもたらし、長編を可能にしている。
女性の目に星を入れ、まつげを三本大きく描くのも手塚が思いついている。マンガは絵とコマ、言葉によって成り立っているが、それらは記号である。マンガは現実を再現するものではなく、記号の体系である。手塚はその文法を整理し、マンガにおける論理学を確立する。
拡大していくマンガ産業の需要に応えるために、当時主流だった(正確であるがスピードのでない)丸ペンに代わってスクール・ペンやGペンを使ったり、下書きをせず直接絵を描いたり、ネームきりやスクリーン・トーンの使用、アシスタント制、プロダクション・システムの採用も手塚が最初に試みている。国産初のテレビ・アニメ制作も手塚が行い、後のアニメ産業の礎になっている。
さらに、盗作が横行している日本だが、『ミクロの決死圏』(一九六六)や『ライオン・キング』(一九九四)など手塚作品をモデルにした映画やアニメが、彼の許可なしに、アメリカで制作されている。戦後、手塚治虫ほどの存在は、文学を含めたいかなる領域にも、日本にはいない。手塚治虫がマンガという産業を発展させ、新たな雇用を確立している。世界的影響力という点では、手塚治虫は、日本の歴史上、最大の存在の一人である。
All of those wild American bilinguals
who talk to you in Paris of their lonely lives
school days and last days out there in the midwest
they climb on their liners and rejoin their wives
Walking down boulevards electric eyes
would gaze at the waveforms and gasp at their size
let them be lonely and say you don't care
Astro boy, I'm watching the proles on parade
Astro boy, I'm watching the proles on parade
Una with long hair will stand by your side
and the friends who were hungry could swallow your pride
chromium pets that video screens would show
pictures of helplessness old kings and queens
radio stations that fade as in dust
all their transmitters are crumbling with rust
let them be broken and say you don't care
Astro boy, I'm watching the proles on parade
Astro boy, I'm watching the proles on parade
Astro boy, I'm watching the proles on parade
Let them be broken and say you don't care
Astro boy, I'm watching the proles on parade
(The Buggles “Astro Boy (And the Proles on Parade)”)
1 ecce robot
『鉄腕アトム』に目を通すと、既存のサイエンス・フィクションからの影響は多数見られるものの、たんに新たな電気製品の開発を予言しただけでなく、手塚の先見的問題意識に驚かされる。「黄色い馬」(一九五五-五六)では、未成年の麻薬問題やドラッグ・カルチャーが描かれている。ヒロポンが合法だった頃に未成年の濫用があったけれども、それはドラッグ・カルチャーと言えるほどではない。「赤いネコ」(一九五三)において、環境問題が取り上げられ、四足良太郎というエコロジストによるグリーン・ピースを思い起こさせるような直接行動が表わされている。高度経済成長を迎えつつあった時期に環境問題を警告することは異例である。” All the buildings I have loved are barely standing. All the children too young and thin sing bamboo music”(Ryuichi Sakamoto & David Sylvian ”Bamboo Houses”).
「白熱人間」(一九六一)はデジタル・デバイドの問題を扱っている。アトムのようなロボットが開発されている反面、電気さえろくに通っていない地域がある。こうした格差は、今日、世界的に、最も深刻な政治・経済問題の一つである。さらに、手塚は、「イワンのばか」(一九五九)において、一九六五年、ソ連のミーニャ・ミハイロヴァナ中尉がイワンというロボットを同行してウラルに搭乗し、人類として初めて月面に着陸すると予測している。アメリカが打ち上げたアポロ11号の着陸船イーグルから月面に降り立ったニール・アームストロングが”It’s small step for man; one giant leap for mankind”と言ったのは、一九六九年七月二十日のことである。また、「宇宙放送」(一九六五-六六)では、宇宙の放送局が流している番組を地球のロボットが感知するために、受信料を請求されるという物語だが、これはBSやCSを予言している。特定の物語ではないものの、精巧な人工ビーチである宮崎県のフェニックス・シーガイア・リゾートに足を運んだ者は、まるで『鉄腕アトム』の世界にいるような錯覚を覚えるだろう。
ロボットに関する議論は、アトムの体内に真空管があるのは御愛嬌としても、『鉄腕アトム』において出尽くしている。イギリスのレディング大学のケビン・ウォリックは、「人はいずれ有能なロボットに支配される。ならば人間の能力を強化し、共存を計るしかない」と考え、人間のサイボーグ化を提唱している。「ゾロモンの宝石」(一九六七)に、ロボットを憎み、ロボットに対抗するため、サイボーグ手術を受けようとする金山光と同時に、人間になることを希望し、人間化手術を待っているL44号も登場する。「人工太陽球」(一九五九-六〇)の中で、脳以外すべてを人工身体に変えられ、ロボットを嫌うシャーロック・ホームスパンという探偵が表われる。彼は脳を人工知能に変えられた後、ロボットとロボットである自分自身を受け入れる。
また、「メラニン一族」(一九六六)では、カザータ星ではロボットと生物との間で戦争が起こり、ロボットが勝利し、生物が滅ぼされ、その革命を地球に輸出するために、スパークというロボットが派遣されている。アメリカのフランダイス大学のジョーダン・ポラックは、初歩的なレベルであるが、コンピューターに自力で、ロボットを開発させることに成功している。ロボットが生命体化しつつある。手塚は、「ロボイド」(一九六五)の中で、ある惑星では有機体が滅亡し、自己増殖していくロボット、「ロボイド」を登場させている。ロボット脅威論は、「ロボット」という言葉の生みの親チェコの作家カレル・チャペックが書いた『R・U・R──ロッサムの万能ロボット』にすでに見られるが──この作品のロボットは機械仕掛けではなく、原形質(プロトプラズム)で作られた合成物──、手塚はさらに広い枠組みを提出している。
脅威論とは反対に、AIBOが示した通り、アニマル・セラピーと並んで、ロボット・セラピーも求められる時代が到来しつつある。ロボットに関する最も古い記述であるホメロスの『イリアス』でも、ロボットの役割は介助である。この中で、足が悪い鍛冶の神ヘパイストスが多くのオートマトンというロボットに作業を手伝わせ、複数のオートマタという黄金の少女ロボットに身の回りの世話をさせている。
アトムも、「アトム今昔物語」(一九六七-六九)では、飛雄の母にとって、ロボット・セラピーとして機能している。最初は拒絶していたけれども、次第に癒されていき、彼女はアトムをロボット・サーカスに売り飛ばすことに反対している。また、 ロボット自身にもロボット・セラピーが必要である。「アトムの両親」(一九五〇)において、孤独感に陥っているアトムを見かねたお茶の水博士はロボットの両親をつくり、一緒に郊外の家で暮らさせている。
ロボット・セラピーをより進めたのが藤子・F・不二雄こと藤本弘である。マンガが子供の読者から離れていく一九六九年、『ドラえもん』は、置いていかれた子供たちを読者として、登場する。藤本は、それ以前にも、子供向けのマンガを描いていたが、時代が変わってしまったことに、危惧を覚えている。マンガが子供の読むものではなくなりつつある中、藤本は、子供向けに徹して、マンガを描き始める。シカゴの小学校に転校してきた日本人が寂しそうにしているのを見たデイヴ・スペクター少年は、オバQの絵を描き、その子を驚かせて、友達になろうと思っている。マンガは子供の楽しさそのものであり、子供のコミュニケーションの道具であることをマンガ家は忘れていると藤本は思わずにはいられない。
藤本よりも、先にそれに気がついていたのは、実は、川崎のぼるである。『ドラえもん』は『いなかっぺ大将』の意義を受け継いでいる。未来からやってきたドラえもんは葛藤・摩擦もなく、のび太の家庭や現代社会にとけこむ。藤本のマンガにおいて、ロボットだけでなく、宇宙人も、お化けも、人々にすんなりとなじむ。すべてはペットだ。
ドラえもんは丸で構成され、正面を向いていることが多く、安定感と安心感がある。「小さい子へのマンガなら、人間でも動物でも鳥でも、みんな丸から描き始めるのがよい」。「幼い子どもは、つねに、画面の主人公と対面して、お話をしている感じを好むのかもしれない。だから、どんな不自然なポーズでもいいから顔は正面向きにしてほしい」。「子どもに見せる絵は、気持ちをなごやかに、心をあたたかくするものであるべきだ」(手塚治虫『マンガの描き方』)。
藤本の線は、『エスパー魔美』(一九七七)などで、美少女の裸体を描くとき、特徴が顕在化する。藤本の線には、のび太の部屋がいつも整理整頓されているように、清潔感がある。ベタが非常に少なく、登場人物の肌は、ゆで卵のように、つるつるとしている。V・ナボコフの『ロリータ』を読めばわかる通り、藤本の思いはロリータ・コンプレックスとは異質である。ロリータ・コンプレックスは、むしろ、清潔感を嫌う。
一方、『魔太郎がくる!!』(一九七二)にしろ『シャドウ商会変奇郎』(一九七六)にしろ、藤子不二雄Aこと安孫子素雄は、比較的太い線、奥行きがなく、ベタの多い絵を描き、恨みや悪意を感じさせる。藤本の作品には意地悪はいても、悪人はいない。子供の世界には善悪の彼岸だけがある。藤本の美少女の線には触覚はなく、あくまで視覚にとどまっている。それは静かに呼吸を落ち着かせ、腕から無駄な力を抜かないと描けない。藤本の描く美少女はバストもヒップも小さく、曲線が少ない。手塚とはまったく正反対である。
手塚の「女性の描き方」は、『マンガの描き方』によると、妻手塚悦子はどう思うかわからないが、いかにすれば色っぽく見えるかに集中している。「オクレ毛は色っぽさを増す」や「下にマツゲを描くとツヤっぽく見える」、「口の線を太くすると、口紅の感じが出る」、さらに、バストとヒップは「どんなに大きく描いてもよい」が、「足はできるだけ小さく」、「首はなるべく長く」とくる。もちろん、世の中には「あごの形がきれい」と「肩幅が広く」、「足は大きい方がいいし、できれば背が高いほうがいい」を付け加えたい人もいることだろう。
日本においてロボットは、やはり、ドラえもんではない。アトムを意味する。ホンダの広瀬真人は、一九八七年、上司から「鉄腕アトムを作れ」という命令が出され、二〇〇〇年、本格的な人型ロボット「ASIMO」の開発に成功する。今日さまざまなロボットが製作されているが、究極の目標としてアトムの開発がある。アトムをつくった天馬博士はヒノエウマ、すなわち一九六六年の生まれであるから、『鉄腕アトム』をリアルタイムで体験していないが、その存在は知っていただろう。不思議なパラドックスが起きている。アトムが誕生するのは二〇〇三年四月七日であり、この日は、一九〇四年六月十六日がダブリンで「レオポルド・ブルームの日」であるように、「アトムの日」と呼ばれるに違いない。