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支配欲と名刀(2015)
支配欲と名刀
Saven Satow
Jun, 27. 2015
「本当にいい刀は鞘に入っている者ですよ」。
黒澤明『椿三十郎』
伝説や昔話に、数は多くありませんが、名刀が登場します・けれども、実際に人を殺傷することは描かれていません。名刀は持ち主が眠っている間に発する光や気で化け物を退散させます。または、権力者がからかうために名刀と称して渡した竹光が大石を刻むなどその名声通りの切れ味を示します。名刀はこういう具合に扱われます。
権力や財力のある者たちは名刀を手に入れたがります。けれども、名刀は支配欲のある人物に否定的、ない人に肯定的な姿勢を示します。島根県に伝わる『牛鬼』では名刀が牛鬼を退治しています。ただ、持ち主の武士が自宅に置いてきており、その危機を察知して空を飛んできた名刀が牛鬼に突き刺さっています。実は、生活苦から売り払おうとしていたほどで、彼は固執していないのです。名刀の物語は武器の本質をよく語っています。
動物も道具を使います。けれども、人間はそれを作る道具を生み出します。両者の違いはそこにあります。道具の連鎖は人間の関係に影響を及ぼします。それは人間が他の人を道具として使うようになることです。道具としての人間という認識が生まれます。
社会性のある動物はいます。彼らの間に分業はあっても、道具としての関係はありません。国歌は役人がいる政治社会です。役人はそれを維持・運営するための専門職です。国歌にとって道具としての人間です。
武器は相手を殺傷するための道具です。それは力関係を逆転させます。人間は銃を持てば狼なんかこわくないのです。武器は支配=被支配の関係を顕在化させます。武器はこうした関係に基づいて人間を道具として扱うのです。武器は支配欲を刺激します。
道具は人間が使うものです。しかし、支配欲に囚われた時、人間は道具に使われています。道具が自己目的化して、独り歩きを始めます。武器にはそうした危険性があります。
名刀をめぐる物語において社会的強者と弱者が登場します。名刀が支配欲を刺激し、前者は後者に対して横暴に振る舞います。名刀が明らかにするのはこの力関係です。実際に殺傷に使われる必要はありません。名刀は強者ではなく、弱者に味方します。この関係を公正にするためです。
武道や武術はしばしば心身の鍛錬と言われます。心と体を鍛え、大きな人間に生長するためです。けれども、それらそうした個人主義的な求道につきるものではありません。むしろ、社会的公正さの認知により大きな意義があるのです。
こうして名刀について考えると、安倍晋三政権の姿勢の理由が目てきます。安倍晋三政権は、発足以来、武力に偏重した外交・安全保障政策を進めています。その過程は恣意と強引に満ち溢れています。専守防衛は名刀の思想ですが、それを安倍政権は捨てようとしています。武器に依拠する時、人は支配=被支配関係に囚われてしまいます。支配欲に憑りつかれ、人々を道具と見なし、社会的公正さなど見向きもしません。名刀の物語からも今の政権の問題が見えるのです。
〈了〉