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戦後経済と日本文学(5)(2009)

9 平成不況
 1989年から日銀は公定歩合を段階的に引き上げていく。1年ほどの間に2.5%から6%にまで公定歩合が上昇した急激な金融引き締め政策は、バブルを崩壊させる。92年の成長率は1.0%、93年0.3%、94年0.6%と低迷し、日本経済は「失われた10年」とも呼ばれる長期不況に沈む。

 92年の宮澤喜一内閣から20001年の小泉純一郎内閣成立までの間に、政府は180兆円もの財政出動を実施するが、経済状況は思うようには改善しない。とうとう、小渕恵三首相は、1999年4月、総額6194億円に及ぶ地域振興券を配布して、消費による景気浮揚を狙ったが、多くが貯蓄に回り、まったくの失敗に終わる。投資は将来を見越して行うものであり、消費もそれを後追いして増える。投資が伸びないのは将来に不安があるからであり、それを見ずに消費を刺激しても、持続性はない。おまけに、1993~94年頃からデフレへと突入し、その後、デフレ・スパイラルに陥る。デフレからの脱却が90年代半ばからの重要な経済問題と位置づけられるが、なかなか解決できない。

 小泉内閣成立前後から、いわゆる「小さな政府」論、すなわち日本は大きな政府から小さな政府を目指さなければならないという議論が激しく展開されたが、それはしばしば短絡的である。実際には、政府支出を見る限り、1970年代に入るまでは日本は一貫して小さな政府である。一般会計における政府支出の対GDP比は、1970年代後半に上昇したものの、それ以前は10%程度であり、80年代でも10%台である。政府支出が急増したのは90年代からであり、2001年には38%にまで拡大している。特に、公共投資の伸びが著しく、国際的に比較しても、高水準である。ただし、この時点でさえ、一般政府総支出が増加傾向であるとしても、OECD諸国の中では低い方である。また、他の先進諸国の平均と比べて、最終消費支出と社会保障移転の割合が小さく、総資本形成、すなわち公共投資が大きい。なされえるべきは小さな政府論だったのかということは、依然として、検証されなければならないだろう。

 長期停滞に対処するため、企業は新卒採用を絞りこみ、就職氷河期が到来する。正社員を解雇したり、賃金カットしたりするのは難しい。そこで、採用抑制による固定費削減を実施している。こうした環境から、いわゆるフリーターが多様な働き方の一つとして世間でも認知される。事実、日本企業の新卒偏重は是正すべき習慣であったが、この採用抑制は中長期的展望を欠いており、企業や労働者、社会全体にとっても大きな損害として後に跳ね返ってくる。企業内のいびつな年齢構成は、団塊世代の大量退職の時期に、社の宝とも言うべきノウハウやスキルの継承がうまくなされず、生産性や品質の低下を招いてしまう。いくら働いても雀の涙ほどの給与の現状では、消費が伸びず、デフレが継続し、出生率が上向くはずもない。しかも、1998年以来、自殺者は3万人を超え、その中には経済問題が主因と思われるケースも多く含まれる。親が低収入のために育てられなかったり、虐待したりするなどの理由で施設に預けられる子供の数も急増している。人々の心はすさみ、寒々とした雰囲気が社会を覆う。

 バブルがはじけてしばらくすると、金融機関を含めた各企業の無責任さと強欲さが次々と明らかになり、また、膨大な不良資産を抱えていることも判明する。1996年1月に開会された第136回国会は、住宅金融専門会社の不良債権処理のために6850億円の公的資金の投入をめぐって第紛糾する。経営破綻した住専の不良債権処理に税金を使うことに世論が反発し、それを受けて野党がピケをはり、国会審議をとめる。これは、後に「住専国会」と呼ばれることになる。

 こうしたバブルの企業経営はずさん以外の何物でもなかったが、形式的な完璧さが実態を伴っていないとどうなるかは、エンロンの不正経理事件がよく物語っている。もしそれが字義通り働いていれば、一切の不正など起きようもなかったけれども、エンロンのシステムはまったく機能していなかったことが発覚している。経済では、性悪説に基づかねばならず、独立性が最も不正を防止できる。

 1995~96年に経済の好転の兆しが見えてきたため、97年4月1日、橋本龍太郎内閣は財政の健全化を果たすために、消費税率を3%から5%に引き上げ、2兆円の所得税減税を打ち切り、社会保険料も値上げするなどの約9兆円もの大増税を実施する。しかし、これで景気悪化が急速にぶり返す。北海道拓殖銀行や山一證券、日本債権信用銀行、日本長期信用銀行、日産生命、三洋証券など金融機関が倒産・廃業に追い込まれ、日本発の世界金融危機が起きるのではないかと巷で噂される。

 都市銀行の再編が進む過程で、メイン・バンク制が崩れ、大手企業は銀行からの融資よりも、市場から資金を調達するようになる。こうした変化は企業の情報開示を促したことは認められるが、目先の利益に走る短期業績主義を蔓延させる。儲けは社員の給料ではなく、株主の配当や内部留保金へと優先される。それに応える役員は高額な報酬・退職金を手にする。05年に会社法も改正され、会社は株主のものと規定する。

 けれども、そのイデオロギーを日本に吹きこんだアメリカでは、リーマン・ショック以来、それが再考を促されている。数多くの企業が公的支援を受けているが、それは元々は税金である。また、再建されるクライスラーの株主構成は労組が55%を占め、GMでは労組が17%、連邦政府が60%を保有する。政府に財源は税金であり、納税者が間接的にGMを所有していることになる。これは大陸ヨーロッパでよく見られるステークホルダー資本主義である。

 90年代に入って、大型合併が日本の経済界で相次いでいる。大きくなれば、スケール・メリットを生かせるし、外資による買収防衛にもなる。しかし、大型企業の登場は必ずしも効率性の向上につながっていない。三越と伊勢丹の合併は、お互いの企業風土の違いが大きく、スケール・メリットなどない。おまけに、いざメガ化すると、大きすぎてつぶせないと公的支援が必要となり、国家財政を圧迫する。

 1999年2月、日銀は、短期金利の指標である無担保コール翌日物金利を史上最低の0.15%に誘導すると発表し、いわゆるゼロ金利政策を実施する。ところが、民間投資は一向に回復しない。いくら金融を緩和しても、景気が上向かないこの時期、日本は「流動性の罠」にはまっていたと考えられる。不況に陥り、将来の見通しも暗い状況では、中央銀行が多少利子率を下げても、企業は設備投資に回さない。この場合、利子率が下方硬直するだけで、金融政策は有効ではない。これが「流動性の罠」と呼ばれる状態である。対策としては効果的な財政政策が必要であるが、日本政府の無駄な公共事業の悪癖は直らない。とにかく景気対策を求めるために、財政規律が緩み、有効性を慎重に審査することもなく、カネがばらまかれる。これでは経済成長どころか、投入した税金の回収さえままならない。

 2001年に発足した小泉純一郎政権は高い支持率を背景に、「構造改革」と総称される政策を実施する。すでに傾いていた新自由主義の方向へ妄信的と呼べるほど思いきって進めていく。政府による規制を野放図なまでに緩和し、道路公団や郵政三事業を民営化する。

 2001年から続くゼロ金利政策を始めとする金融緩和、ならびに2004年以降の円安、北米や欧州、新興諸国の需要拡大により、日本の輸出関連産業は売り上げを伸ばし、2002年2月から好況に入る。もっとも、その間、製造業は生産拠点を人件費の安い中国や東南アジアへと移し、国内でも、製造業にまで適用範囲が広げられた派遣法の2004年の改正による非正規雇用層に拡大され、雇用の調整弁を整備している。企業がいくら儲かっても、労働者の賃金の上昇にはつながらず、株主への配当や役員高額報酬、内部留保金に消える。企業買収も恐い。それに備えなければならない。なるほど、自由貿易体制が日本にとって有益であり、内需に頼っていては大幅な産業発展は望めないことは確かである。繰り返される不況の中で生産性の向上とイノベーションに励んだおかげで、多くの企業の体脂肪率は低下し、国際競争力のあるアスリートに育っている。

 しかし、体脂肪は減らしすぎると、健康にはよくない。基礎体力も維持できなくなる。それよりも、足腰を鍛えるべきだ。少子高齢化に伴う国内市場の縮小を言い訳に、大手企業は内需を捨て、極端な輸出依存へと経営方針を転換し、国内経済の基礎体力は急激に弱体化する。これは、結局、実感なき好景気にすぎない。「すべての産業はまず内需にその根底を持たないと発達しないように思う」(石橋湛山『国産果物進歩』)。

 高度経済成長期は景気がよくなれば、収入も増え、明日への希望があり、人々はよく消費したが、いざなみ景気にはそんな光景は見られない。給料も上がらず、いわゆる消えた年金を始めとする社会保障制度への不信が将来への不安を増幅し、財布の紐は堅い。未来のない景気である。

10 「危険は侮ると、早く来る」
 2006年11月15日付『朝日新聞』は、いざなぎ景気とバブル景気、いざなみ景気を次のように比較している。なお、景気の期間区分については先の説とは異なっているので、データに若干違いが見られる。

主な景気拡大期の特徴 いざなぎ景気
65年11月~70年7月 バブル景気
86年12月~91年2月 現在の景気
02年2月~
経済成長(実質国内総生産・年平均) 11.5%増 5.4%増 2.4%増
企業収益(経常利益・年平均) 30.2%増 12.1%増 10.8%増
物価(消費者物価指数) 27.4%上昇 8.5%上昇 0.4%下落
地価(全国市街地価格指数・商業地) 95%上昇 69%上昇 30%下落
月給(毎月勤労統計調査) 79.2%増 12.1%増 1.2%減
パート労働者比較(毎月勤労統計調査) (データなし) 11.1%(91年2月) 21.4%(06年8月)
完全失業率(期中の最高~最低) 1.0~1.6% 2.0~3.1% 4.0~5.5%
高齢化率(65歳以上の割合) 7.1%(70年) 12.1%(90年) 20.7%(06年)
消費ブーム 3C(カラーテレビ、車、クーラー) 日産シーマ、大型テレビ デジカメ、DVD、薄型テレビ

 物価や地価もさることながら、月給のデータは目を覆いたくなるばかりである。「所得半減計画」でも立てているのではないかと勘ぐりたくなるほどだ。企業収益も落ちているけれども、労働者の置かれている環境は、明らかに悪化している。

 ソニーやパナソニック、ホンダなど戦後日本を代表する企業は財閥ではなく、町工場出身である。GHQは、1945年、政府に財閥の解体を指示する。対象となったのは三井・三菱・住友・安田の4大財閥、銀行中心の川崎・野村・渋沢、産業資本の浅野・大蔵・古河・、軍需産業拡大で生まれた日産・日窒・理研・中島・日曹である。この財閥解体がなければ、こうしたやる気と頑張りに溢れた企業は発展できず、戦後の経済成長も違う姿になっていたかもしれない。社長は社員の代表であり、「おやじさん」であり、「おかみさん」である。彼らは社員と寝食を共にし、現場からの声をよく聞き、それを開発・営業・経営に生かす。しかし、今の大手企業はかつての財閥のようになってしまったとも見受けられる。

 こうした大転換は制度学派の主張を裏付けている。アメリカで主流の新古典派は市場の自動調節メカニズムを重視し、カール・ポパーの反証可能性よろしく、変化は漸進的に解決されていく。小さな危機に関しては、確かに、新古典派の理論が妥当であろう。一方、ジョン・K・ガルブレイスに代表される「異端」とも呼ばれる制度学派の考えは、トマス・クーンのパラダイム理論同様、大きな危機に際して、適切である。制度は生まれたときには、その意義・理由はあったが、一度動き出すと、それが生き延びていくこと自身が目的となってしまう。そうした制度は市場のメカニズムに任せていては改善できず、意識的に改革していかなければならない。戦後日本の場合、この財閥解体がパラダイム・シフトである。

 不安定で薄給の雇用に加えて、セーフティー・ネットが不十分である現状では、出生率が上がるはずもなく、ますます少子化が進むのも必然であろう。すでに日本では、生産年齢人口(15歳~64歳)が減少に転じ、2005年には総人口の減少も明らかとなっている。生産年齢人口の減少が始まれば、住宅価格は下落する。世帯数は人口ほどに急速に減らないだろう。しかし、将来、住宅需要は減少することはあっても、好転するのは望めない。住宅建設は、地価のみならず、国内の景気に大きな影響を与える。建設資材などの他に、引越に伴う耐久消費財の買換えの需要を呼ぶ。なるべく金を使わずにすませたいと思いながら、引っ越すと、短すぎるカーテンで我慢しても、なんだかんだと出費がかさむ。少子高齢化の問題は社会保障に限らない。

 収入の低下は、地方経済にとっても、その再生を難しくする要因となっている。税収の減少は言うまでもないが、地方が活性化するためには、特産品の全国展開や観光旅行客の誘致が欠かせない。しかし、収入が少なくなれば、人々はとにかく安いものを優先的に購入し、旅行も控えざるをえない。これでは、地方は輸出や海外からの観光客の呼びこみなど外需に依存せざるをえなくなる。世界的な景気後退が起きれば、この偏重った経済は簡単に苦境に陥る。

 夏休みに、田舎にある母親の実家にリュックを背負って泊まりに行くと、祖父母がやさしく迎えてくれて、都会ではできなかった体験にちょっと恐がりながらも、胸を躍らせる。そんなバブル経済前まで常識的だったことは、今の子供たちは経験できない。迎えに来た祖父母の自動車に乗って、家までの道すがら、窓から見えるのは、シャッター街と放置された巨大建造物、自転車をこいでいる老人である。

 内需のみの経済が縮小再生産の道を辿ることは終戦直後の経験が教えてくれる。しかし、その主張は内需によって支えられている。彼らの言説は日本語によって守られているのであり、英語に翻訳されて世界で議論されるレベルにはない。

 自分が生き残るためにとられる選択の個人的な合理性が、それに反して、社会的な共倒れを招いてしまう。ヨーゼフ・アロイス・シュンペーターは、『資本主義・社会主義・民主主義』の中で、人々は経済的行動ではパフォーマンスが高いのに、政治的な場合には低いと言ったが、経済もそれほどではない。

 こうしたしなやかさとしたたかさを失った日本経済がリーマン・ショックに襲われる。基礎体力が落ちた状態では、易々とは堪えきれない。麻生太郎首相は、当初、バブルの経験を世界に伝えると嘯いていたが、急速に各種経済指標は軒並み悪化し、そんな余裕などないことが露呈する。麻生政権は、総選挙によって誕生したわけではない。70年代のフォード大統領がそうだったように、選挙を経ない政権は弱く、経済危機への対策も不徹底になりかねない。新しい出来事だけが起きているわけではない。過去の教訓通り、打ち出される政策は見当はずれだったり、遅すぎたりして効果を上げない。政策当局は過去の経験を生かしながら、やりくりしていくほかないのに、それを怠っている。とうとう、09年2月25日付『フィナンシャル・タイムズ』紙の社説に、日本の不況は政治のせいだと書かれてしまう。

 2009年3月19日、IMFは、ロンドン郊外のホーシャムで開かれたG20財務相・中央銀行総裁会議に提出した資料を公表する。2009年の世界全体の成長率はマイナス0.5~マイナス1.0%になると予測しているが、1月時点の世界経済見通しでは、戦後最低ではあるものの、それでも0.5%のプラス成長であり、下方修正したことになる。09年のアメリカの成長率のマイナス幅は、1月予測のマイナス1.6%から2.6%に拡大すると報告している。一方、09年の日本の成長率を1月予測のマイナス2.6%からマイナス5.8%へとさらに下方修正し、10年もマイナス0.2%と見こみ、08年から3年連続のマイナス成長と予想している。世界的景気後退の震源地のアメリカ以上に、日本の方が経済のダメージは大きいと危惧されている。「危険は侮ると、早く来る」(プブリリス・シルス)。
〈了〉
参照文献
天川晃他、『日本政治史─20世紀の日本政治』、放送大学教育振興会、2003年
井堀利宏、『改訂版財政学』、放送大学教育振興会、2005年
上杉忍、『パクス・アメリカーナの光と影』、講談社現代新書、1989年
賀川昭夫、『現代経済学』、放送大学教育振興会、2005年
河合幹雄、『日本の殺人』、ちくま新書、2009年
金田一秀穂、『気持ちにそぐう言葉たち』、清流出版、2009年
斎藤貴男、『経済小説がおもしろい。』、日経BP社、2001年
堺憲一、『日本経済のドラマ 経済小説で読み解く1945-2000』、東洋経済新報社、2001年
佐高信、『経済小説の読み方』、光文社文庫、2004年
巽孝之、『アメリカ文学史のキーワード』、講談社現代新書、2000年
林敏彦他、『消費者と証券取引』、放送大学教育振興会、2007年
森毅、『二番が一番』、小額館文庫、1999年
森村誠一、『銀の虚城(ホテル)』、角川文庫、1979年
谷沢永一編、『石橋湛山著作集4 改造は心から』、東洋経済新報社、1995年
アーサー・ヘイリー、『ホテル』上下、高橋豊訳、新潮文庫、1,981年
ヘンリー・カウフマン、『カウフマンの証言―ウォール街』、伊豆村房一訳、東洋経済新報社、2001年
カール・マンハイム、『イデオロギーとユートピア』、高橋徹他訳、中公クラシックス、2006年
ジョン マクレオッド、『物語りとしての心理療法―ナラティヴ・セラピィの魅力』、下山晴彦議他訳、誠信書房、2007年
Gergen. Kenneth J, “The Saturated Self: Dilemmas of Identity in Contemporary Life”. Basic Books. 2000

『世界文学全集27』、集英社、1975年
『城山三郎全集』全14巻、新潮社、1,980~81年
『ヘンリー・ジェイムズ作品集』全8巻、図書刊行会、1983~85年
DVD『エンカルタ総合大百科2008』、マイクロソフト社、2008年

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