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良識の府(2013)

良識の府
Saven Satow
Jul. 18, 2013

「政治家はもちろん、経営者も良識と品格を持った、 それこそ上質、上等な人たちでなければならない」。
稲盛和夫

 「良識の府」と参議院は呼ばれる。その起源は定かではない。しかし、それは参議院が共和主義に基づく機関と見なされてきたことを物語っている。

 権力を分立させてお互いに牽制し、一者の暴走を防ぐ思想が共和主義である。三権分立は近代共和主義の好例である。共和政ローマに由来しているため、そう呼ばれているのであって、国家元首が君主であるか、大統領であるかは問われない。

 今日の政治システムの原理は自由民主主義である。それは主義主張の異なる複数の政党によって行われる議会制民主主義に代表される政治的多元主義である。けれども、近代体制が誕生した当初、その原理は民主主義ではなく、むしろ、共和主義である。

 19世紀の欧州で普通選挙が最大の政治トピックだった際、推進派の知識人も多数派の横暴によって衆愚政治に陥ると懸念を示している。やみくもに選挙権を拡大したら、政治の質を確保できないというわけだ。また、争点が多くなると、その優先順位が投票行動を混乱させ、世論を反映しない結果が生じるコンドルセのパラドックスも指摘されている。選挙は争点が複数あるのが普通だから、多数決であるのに、多数派の主張が通らない結果も生じる。

 選挙はある期間内の統治の選択過程に有権者が参加する制度である。民意を汲みとるための工夫を施されているものの、完全な制度はない。許容限度内の条件下での結果であるから、それはあくまで妥協である。そのため、選挙で勝ったからと言って、多数派が何をしてもいいことにはならない。

 選挙が成り立つための前提条件が二つある。一つはそれが統治選択の手続きであることを参加者が認知していることである。そのためにはある程度以上の教育水準が社会で達成されている必要がある。もう一つは国民相互に信頼感があることである。主義主張が違っていても、相手を信じることができれば、結果を受け入れられる。

 諸々の事情から合衆国が建国原理として共和主義を選んだことは不思議ではない。徳と教養を兼ね備えた知識人が個人として統治に携わり、対立を熟議で解決し、民衆はそれを穏やかに見守る。議会の多数派から首班を選出する英国の責任内閣制は首相の権限が強すぎるので採用しない。首相の権限が立法と行政に及び、多数派が暴走しかねない。アメリカは突出した権力が生まれないように、三権分立を厳格化し、立法府では二院制を採用する。

 ただし、建国の父祖は政党政治を前提としていない。彼らは政党に対して徒党を組む連中として否定的である。政党は自分たちの利益を増大させる特定的ルールを要求して社会が共有する一般的ルールをないがしろにする。しかし、領土や選挙民の拡大に伴い、議会の政党政治化が進む。政党政治の標準化が政治システムの原理を共和主義から民主主義へと変更させている。

 言うまでもなく、共和主義は政治から駆逐されたわけではない。民主主義の問題点を補完するために、国によって多少異なるものの、システムに組み入れられている。

 民主主義が働いているために、問題が見逃されてきた日本の例を挙げてみよう。日本では議会制民主主義が比較的機能している。しかし、そのため、先住民族問題が国会で議論されることは稀である。アイヌは圧倒的に少数派であり、日本人の投票行動で統治が決まってしまう。アイヌの声が選挙によって議会に反映することはない。こうした民主主義を共和主義が牽制する出来事が93年に起きる。札幌高裁が二風谷ダム裁判においてアイヌに対する先住民族としての権利を認めている。これは民主主義が機能してきたために軽視されてきた問題を共和主義の作用によって改善を促した一例である。

 参議院は、発足した頃、立法府における共和主義的機関として位置づけられている。1947年、作家の山本有三が中心となって緑風会を結成する。これは政党政治と距離を置く参議院独自の会派である。衆議院は政権選択の機関であるから、政党政治が支配的になる。それに対し、参議院は解散もなく、熟議が可能なので、政党政治に傾斜せず、衆議院の施策をチェックする役割を担う。緑風会は参議院を近代当初の共和主義に基づく機関と定義している。

 一院制を主張したGHQに対して、二院制を要求したのは日本側である。二院制であるのに、参議院が衆議院と同じ原理に立脚していては存在意義がない。その姿勢を捨てれば、参議院は衆議院のいわゆるカーボン・コピーと見なされ、廃止論が世論から沸き起こる。

 この認識が最初に崩れたのは55年の保守合同である。その際、緑風会は各勢力の草刈り場と化す。以後、緑風会の大半が自民党へと移籍し、65年には消滅する。さらに、田中角栄は自らの派閥を立ち上げる際に、参議院にもポストを約束したため、多くの議員が加わる。参議院は政党政治どころか、派閥政治にまでとりこまれてしまう。田中派は、旗揚げ当初、衆議院議員40名、参議院議員41名で、前者より後者が多い。参議院における田中派の影響力は長期に亘って続くことになる。こうした過程の中で参議院は自らを定義し直さなければならなかったが、それを怠ってしまう。

 ただ、こうした動きを一概に否定できない。この間の政治のダイナミズムは55年体制と派閥抗争であり、参議院がそこに加わったとも言えるからだ。ダイナミズムには抑制が伴う。各自は特定的ルールを持っている。それを一般的ルールと照らし合わせながら、参加者は要求と譲歩を繰り返しながら中間的ルールという再帰的均衡へと向かう。政党間では保革、自民党内においては主流派=非主流派が牽制し合う。参議院は解散がなく、定数の半分ずつ改選される特徴を生かしてこのダイナミズムで役割を果たしている。

 ダイナミズムが二重であるため、関係が複雑であり、これを維持するには調整役が不可欠である。竹下登はこのシステムの申し子である。しかし、絶妙のバランス感覚が要るので、調整役がいなくなると、これは機能しにくくなる。このような才能に依存しなくてもすむようにと競合的二大政党制が模索される。小沢一郎はそうした論者の筆頭である。

 1989年、宇野宗佑内閣が参院選で敗北の結果を受けて退陣する。これ以降、参院選はしばしば政権に対する批判指標として見られるようになる。それに伴い、参議院が衆議院牽制の役割を復活させる。特に、いわゆる「ねじれ」の場合、それが顕著になる。衆参で多数派が異なるため、与野党が交渉と妥協を従来以上に繰り返さなければならない。しかし、定義をおろそかにしてきたことにより、政権獲得の手段として参議院の相対多数が利用される。

 選挙は政治のダイナミズムを生み出すきっかけともなる。政党システムと選挙制度は関連している。90年代以降、競合的二大政党制を政治のダイナミズムにするために、小選挙区制が導入される。09年の総選挙でそれが達成されている。しかし、12年の総選挙は競合的二大政党制の解体を招き、国政からダイナミズムが焼失する。

 それは投票率が物語っている。自民党は歴史的大勝利を収めるが、投票率は史上最低である。選挙が政治のダイナミズムをもたらさないと認知されると、有権者は自分の一票に意義を見出せず、棄権してしまう。投票率は政治のダイナミズムを見る指標の一つである。それによれば、小選挙区制が当初の目的を果たさない事態に陥っている。

 「ねじれ」という非難は共和主義の意義を理解していない。共和主義は自由民主主義を建設的に機能させるための補完として有用である。それは民主主義に知恵と工夫を与える。国会には多くの慣習があるが、その中には民主主義の健全性確保に立脚していない惰性も少なくない。けれども、参議院は憲法上に位置づけられた機関である。政党政治に組みこまれながらも、良識の府という定義に基づき、自由民主主義を向上させるために進化する必要がある。

 13年の参議院選挙は政治のダイナミズムが失われ、再定義がないままの状況で実施されている。参議院を自覚して活躍した個性的議員もいたのに、こんな現状だから、鞍替え候補も二桁に上っている。しかも、安倍晋三首相は参院選での勝利を目的にバラマキを行っている。総選挙の前にはよくあるが、参院選では前代未聞である。参議院から共和主義的機能を奪い、儀礼的機関にする企てだ。彼は参議院を最も愚弄した首相であり、健全な統治が機能するために守らなければならない原則も無責任に無視する。これでは低い投票率が予想されるのも当然である。

 トルコやエジプトの騒乱に共通しているのは、共和主義の抑制が十分認知されずに多数派の横暴が生じ、なおかつ政治のダイナミズムが機能していないことだ。これは日本も類似している。
〈了〉

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