心中的鐘摆─「お祖父ちゃん、戦争の話を聞かせて」(2)(2018)
4 お祖父ちゃんは職業軍人
みーちゃんは、お風呂上りに、食器洗いをしているお母さんとお父さんにお祖父ちゃんが戦争に行ったことを聞いたことがあります。『ゲゲゲの鬼太郎』の水木しげるが戦争で左腕をなくしたと知ったからです。
テレビで『ゲゲゲの鬼太郎』を見ていたら、小兄ちゃんから作者の水木しげるは戦争で左腕をなくしたと教わります。その時、そういう人を「傷痍軍人」と呼ぶことも知ります。みーちゃんは、最初、「しょうゆ軍人」と思っていましたが、小兄ちゃんに直されています。「違う!『しょうゆ軍人』じゃなくて、『しょうい軍人』!何で、傷を負った兵隊が『醤油』なわけ?『傷』という字に難しい漢字で『傷痍』。『しょーいい軍人』」。
みーちゃんのうちは大人数ですから、夕ご飯を食べたら、お風呂に次々に入らなければなりません。効率よく入浴しないと、間が空いて冷めて温め直したり、遅くまで沸かしたりして灯油がもったいないからです。
たいていみーちゃんが一番に入ります。眠る時間が早いからです。月曜の『水戸黄門』と土曜の『8時だョ!全員集合』以外の曜日は8時に寝ます。7時くらいが入浴時間です。
『水戸黄門』をみーちゃんのうちではみんなで見ます。『全員集合』はひいばあちゃん以外のお父さん、お母さん、小兄ちゃん、お祖父ちゃん、お祖母ちゃんと一緒にみーちゃんはテレビの前にいます。8人家族の時は、そこに大兄ちゃんもいます。
『全員集合』が終わって今年から『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』に代わりましたが、みーちゃんは前の方がおもしろかったと思っています。加藤茶と志村けんだけでなく、ドリフは5人そろっていなければいけないからです。今は土曜午後に月1回放送している『ドリフ大爆笑』が大好きです。大兄ちゃんが東京では火曜の夜7時半から放映していると言っていましたが、岩手と番組の時間が違うことはよくあることなのです。
違うのは番組の時間だけではありません。東京を舞台にしたマンガやテレビを見ていると、時々、近所の子どもをガミガミ叱る年寄りが出てきます。みーちゃんにはこれが不思議でなりません。みーちゃんの地区にそんな大人はいないからです。悪さをしているのを見かけると、「あ~ら、そんたなことして、おしょすこと~」と笑います。そんな恥ずかしいことをしていると、世間から笑われるよと年寄りは子どもに注意するのです。こんな風に東京は違うんだなとみーちゃんは時々思うのです。
小兄ちゃんの入浴は早い時もあれば遅い時もあります。他の人の都合に合わせます。自称「リベロ」です。
お祖父ちゃんとお祖母ちゃんはたいてい7時半や8時からのドラマをテレビで見るので、その前か後に入ります。プロ野球のナイター中継がある時は見ないので、その時間に入ります。ただし、お祖母ちゃんを絶対に最後にしません。火の後始末ができないからです。ボイラーにする前の灯油式風呂釜の頃、お祖母ちゃんは空炊きして風呂釜をおシャカにしたこともあります。
ひいばあちゃんはたいてい自分のことは自分でします。自分でベッドから起き、自分で着替え、自分で食事もします。でも、お風呂は別です。ひいばあちゃんは3日に一度お母さんが入れます。お祖母ちゃんは叩くことがあるので、ひいばあちゃんが嫌がるのです。入浴時間は、『水戸黄門』のある月曜日を除いて、8時台です。
お父さんとお母さんはたいてい最後です。火の後始末を確認するからです。
食器を洗っている時間に、お父さんとお母さんはよく二人で話をしています。他の人がお風呂に入ったり、茶の間でテレビを見たり、自分の部屋に戻ったりしているからです。
お母さんが食器を洗って、シンクの隣にある青いプラスチック製の水切りかごに置きます。お父さんがそれをふきんで拭いてテーブルに並べます。最後に、二人でこげ茶の木製の食器棚に戻すのです。
みーちゃんのお父さんとお母さんは共働きです。いつも二人で協力して家事をこなしています。お祖父ちゃんとお祖母ちゃんが家事をほとんど手伝わないからです。
この時も、お母さんとお父さんは一緒に台所で食器を洗っています。隣の部屋の茶の間にはひいばあちゃんしかいません。小兄ちゃんはお風呂、お祖父ちゃんとお祖母ちゃんは部屋に戻っているからです。
──これなら聞きやすいや。
お父さんは雁屋哲の『美味しんぼ』に出てくる海原雄山、お母さんは手塚治虫の『三つ目がとおる』の和登さんに顔が似ているとみーちゃんは思っています。
『美味しんぼ』は『ビッグコミックスピリッツ』に1983年から連載された料理マンガで、小兄ちゃんが単行本をそろえています。みーちゃんは食べ物が大好きです。おいしそうな料理がたくさん出てくるので、わくわくして読んでいます。
『三つ目がとおる』は『週刊少年マガジン』に1974年から78年まで連載されたオカルト・マンガで、大兄ちゃんの2巻までだったので、みーちゃんが単行本の3巻目を買っています。将来、そろえたいなと思っています。みーちゃんは、こんな不思議な世界を冒険したいなと憧れています。
みーちゃんが「お祖父ちゃんも水木しげると同じ傷痍軍人なんだよね」と尋ねると、お母さんは食器を洗いながら、こう言います。
「そうだけど、水木しげるさんは、兵隊になりたかったわけじゃないでしょ?戦争が続いて、兵隊が足りなくなったから、軍隊に引っ張られたんでしょ、赤紙で。お祖父ちゃんは職業軍人だから同じじゃないのよ。それに、水木しげるさんは、はたちとかそこらだろうから、下の人でしょ?軍隊で命令される人。お祖父ちゃんは『撃て!』と命令する人。だから、同じに見ちゃいけないのよ。責任が違うの」。
「いや、祖父さんももともとは徴兵さ」。
そうお父さんが口をはさみます。それを聞いて、お母さんがこう反論します。
「でも、軍隊に残らなくてもよかったわけでしょ?」
お父さんはこう説明します。
「そりゃそうさ。結局、ほれ、あの~、上官にお前なら将校になれるから、軍隊に残らねえかって言われたらしいんだ。軍隊には理数の知識が要るし、あの人は、ほら、盛岡高等農林だから、理科でしょ。軍隊の仲間からも、ほれ、お前は学がるから、将校になれると思うし、いいんでねえがって勧められたらしいんだ。
ほれ、当時は高等小学校を終わってすぐに働く人が多かったんで、軍隊でも下の人はそういう人たちなわけだよ。その中で、高等専門学校卒だから、今で言えば、大卒みたいなもんだし。高等小学校だと、まあ、下士官どまりだろうからさ。昔の軍隊で、将校とその下では、扱いが天と地ほどの差だから。
ただね、本人は、本当は、北海道で農場とかやりたかったらしいんだ。でも、当時は、世界恐慌の時代で、『大学は出たけれど』でね、おまけに、東北は、ほれ、大飢饉でね、宮沢賢治が『雨ニモマケズ』書いた惨状なわけだよ。軍隊やめて戻っても、どうなるんだかって思って、残ったっていいかなと言ってらったな」。
「やっぱり、そうでしょ」。
お母さんは、下を向いたまま、軽くそううなずきます。
「まあ、上官から残れと言われて、嫌ですとは~なかなかね~。だって、祖父さん、軍隊で名前、変わっちゃったんだから」。
それを耳にすると、お母さんは手をとめ、お父さんの方を向き、眉間にしわをよせてこう聞き返します。
「え?お祖父ちゃんの名前『功(いさお)』じゃないの?」
お父さんも手を休めて、首を軽く左右に振ります。
「違う。本当は『㓛(つとむ)』」。
「『つとむ』?どういう字?」
「『功』のあの字の『力』が『刀』」。
お母さんは洗剤のついた右手の人さし指を空中で動かし、漢字を確かめます。
「ああ、わかった、わかった。でも、なんで変わったの?」
「まあ、栄誉ある皇軍に入隊の時にさ、名前を書類に書いたらしいんだ。そしたらさ、名前を見た上官が『貴様!漢字も書けんのか!そんな字があるか!』って書き換えてしまったって話だ。反論なんてできるわけがない。帝国陸軍では上官が白いカラスがいると言ったら、白いカラスはいる。当然、上官が『貴様の名前は功だ』と言ったら、名前は『功』なのさ」。
「は~、それで『功』?」
お母さんは洗った食器を水切りに次々に置き、お父さんもそれを取り出してリズミカルに拭いていきます。
「そう。軍隊の人は『こうさん』って呼んでらったけどね。昔は、男の名を音読みする習慣があったのさ。初代総理大臣『伊藤博文』なら『いとうはくぶん』だもの。こういった音読みを有職読みや名目読みっていうけどね。むしろ、戦前はこっちの方が当たり前だったかな」。
みーちゃんがお父さんにこう質問します。
「ねえ、お祖父ちゃんっていつ生まれたの?」
お父さんは白いプレートをテーブルの上に置きながら、答えます。
「誕生日っか?えーと、確か、明治43年、西暦で言うと、1910年の5月 19日。あの映画監督の、ほれ、巨匠黒澤明と同い年」。
みーちゃんは、お父さんを後から追いかけながら、さらに尋ねます。
「それで、どこで生まれたの?」
「えー、玉里(たまさと)」。
「玉里って?」
「ああ、江刺。昔は江刺郡玉里村って言ったな。今は江刺市玉里…え~なんだ、そういう感じ」。
「そこの役所には本名で届けたままなんでしょ?」
「たぶんな」。
「名前が違っていたら、困らないの?」
「困ったって話は聞かねえな。だって、軍隊関係の記録で戦後はあれこれやってきたからさ。祖父さん、パスポートもとったごどねえしな」。
「え?でも、中国に行ったんでしょ?パスポート要るんじゃ…」
「中国?ああ、満州な。建前は別の国だけど、実際は植民地で、日本の国の一部みたいなものだったんだよ」。
「ふーん」。
「祖父さんはもう『功』の人生の方が長いんだよ、『㓛』より」。
君のあかるい 笑顔浮べ
暗いこの世の つらさ忘れ
(Ceron『胸の振子』)