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人格化された知識(2016)

人格化された知識
Saven Satow
Jun. 16, 2016

「心が変われば行動が変わる。 行動が変われば習慣が変わる。習慣が変われば人格が変わる。人格が変われば運命が変わる」。
ウィリアム・ジェームズ

 知識は言語化されやすいか否かから二つに大別されます。前者を明示知、後者を暗黙知と呼びます。

 明示知は言語化が容易です。これには文章の他に数式や記号、図表なども含まれます。この知識は言語を通じて伝達されて習得されます。「惑星は太陽を一つの焦点とする楕円軌道上を動く」というケプラーの第1法則は明示知です。明示知は形式化された知識と言えます。

 暗黙知は言語化することが難しいですから、反復練習を始めとする体得によって手順として習得されます。「見習う」や「習うより慣れろ」などがその方法をよく表わしています。自転車の乗り方がそうした暗黙知の好例です。暗黙知は身体化された知識と言えます。

 暗黙知としばしば混同されるのが「人格化された知識(Personalized Knowledge)」、すなわち「人格知」です。これは経験の中で学習されながら、その人の人格と結びついて形成されます。言語化しにくい点は暗黙知と共通していますが、共有の点で異なります。

 暗黙知は言語化しにくいですが、他者と共有できます。自転車の乗り方を言語化することは困難です。けれども、その方法は他者と共有することができます。不可能なら、自転車は社会に普及していません

 それに対し、人格知は他者と共有できません。その人の人格と結びついているからです。例を挙げましょう。

 「豆富屋」として初めて上場した篠崎屋の樽見茂社長は、『豆富バカが上場した!』において、産直の販売員の雇用条件を50歳以上としています。以前は若者を雇ったこともあります。彼らは挨拶もお礼もちゃんとできますが、お客とのコミュニケーションがまったくありません。

 一方、高齢者の接客態度・技術は見事です。声のかけ方一つでお客の心をつかむことができます。挨拶もせずに反会話をしたり、敬語も使わずざっくばらんな物言いだったりもします。けれども、よそゆきの言葉でなくても、失礼な感じがありません。「親愛の感情」があるのです。

 これが人格知です。社交の知識とも言えるでしょう。それを知識と呼ぶのは、年月を経た学習を通じて習得され、その人によって利活用されるからです。長い間の精神・身体・環境の相互作用の過程でその人の人格に結びついています。他者に移植できません。

 仕事に就いたばかりの頃はさまざまなアドバイスに耳を傾けたり、自分で工夫したりなどして能力を向上させようと努力するでしょう。長い年月の繰り返しの中で、自分に合っているやり方が形成されてきます。人となりや容姿、年齢、性別などの個性・属性を前提にしています。それがその人の人格化された知識として自他共に認知するようになります。

 人格知は社交性をめぐる知識ですが、倫理性も含まれています。挨拶も礼儀もできているのに、相手を不愉快にさせる人がいます。また、高齢者であっても、無礼で品がなく、稚拙な印象を相手に与え、顰蹙を買う人もいます。「親愛の感情」がないからです。

 これは人格と結びついている知識です。相手がその人格を拒絶したら、知識として働きません。人格知は思いやりや尊重といった道徳性を相手に伝えます。相手と信頼を共有する知識です。

 人格知は信頼の知識です。ここでは飲食の接客の例を出しましたが、人格知は他にも見られます。教師や販売員、大工、植木屋など人と直に接する仕事全般で評判のいい人にそれが見出せます。政治家もそうした職業の一つですが、近年、人格知は軽視されているのが現状です。三角大福中の時代を知る人から「味のある政治家がいなくなった」という嘆きが漏れることがあります。人格知はこうした「味」のことです。「味がない」ことは単に個性がないという意味ではないのです。
〈了〉
参照文献
樽見茂、『豆富バカが上場した!』、中経出版、2004年

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