クイーン、あるいはコラージュの音楽(2018)
クイーン、あるいはコラージュの音楽
Saven Satow
Dec. 19, 2018
「これか、佐藤君がこの前コンサートに行ったのは?『クイーン』ってのか?しかし、何だ、このヒゲの男は!もろ肌脱いで!こんなのに迫られたら、怖くて、女の子なんか気絶しちゃうんじゃないのか?」
1985年東京の一風景
アカペラのコーラスから始まり、フレディ・マーキュリーのピアノの弾き語りへと続いたかと思うと、ハード・ロックになり、フレディとブライアン・メイ、ロジャー・テイラーの加工した声によるオペラ風のコーラスがフューチャーされた後、再びハード・ロック、そして弾き語りで閉じます。こうしたドラマティックな展開を持つクイーンの『ボヘミアン・ラプソディ』はロック史における傑作の一つです。この曲を収録した4枚目のアルバム『オペラ座の夜』によってクイーンの名声が確立します。
この曲と同名の映画『ボヘミアン・ラプソディ』が話題になっています。クイーンのデビューからライブ・エイドの頃までのフレディ・マーキュリーの半生を描いています。この名曲に重ね合わせつつ、性的少数者としての苦悩などに焦点を合わせています。
ミュージシャンを扱った最近の映画と言うと、クリント・イーストウッド監督の『ジャージー・ボーイズ』(2014)が挙げられます。これは60年代に活躍したフォー・シーズンズのキャリアをドキュメンタリー調で描いたミュージカルの映画化です。フランキー・ヴァリ役のジョン・ロイド・ヤングが本人と聞き間違えるほどの歌声を披露しています。
『ジャージー・ボーイズ』は評価が高く、当時、数々の国内映画賞を受賞しています。しかし、『ボヘミアン・ラプソディ』の観客動員数はおそらくそれを超えることでしょう。観客には、クイーンをリアル・タイムで体験していない世代も少なくありません。人気の理由はクイーンが日本になじみ深いからだけではありません。LGBTに対する差別偏見を煽った『新潮45』の休刊が示しているように、性的少数者への社会的認識の深まりも大きいと思われます。
映画の舞台の頃と今とでは日本でも性的少数者についての理解が変わっています。1991年にフレディが亡くなった際、『朝日新聞』の「声」にファンによる感動的な投書が掲載されています。ただ、そこには同性愛やHIVに関する誤解が含まれ、その後、それを指摘する投書も載っています。
クイーンは70年代半ば以降、ロック・シーンにおける重要なグループの一つです。アルバムとシングルのトータル・セールスは2億枚以上とされ、2001年にロックの殿堂入りを果たし、『ローリング・ストーン』誌の「史上最も偉大なアーティスト100選」でも52位です。
しかし、順風満帆だったわけではありません。クイーンは1973年にデビューします。EMIが大型の新グループ登場と大々的に宣伝しますが、レッド・ツェッペリンやイエスの亜流と見なされ、評論家から酷評されています。彼らの評価が上向くのは3枚目のアルバム『シアー・ハート・アタック』(1974)からです。その苦境の時期に彼らを支えたのが日本のファンです。クイーンは日本で好意的に迎え入れられます。
特に、クイーンを支持したのは女性です。その一因として、ドラムスのロジャー・テイラーが少女マンガに登場する金髪の美青年を思わせるルックスだったことが挙げられます。当時のハード・ロックやプログレッシブ・ロックのミュージシャンは概してハンサムやセクシー、ダンディから遠く、その中で彼の容姿は目立っています。クイーンのその後の成功を顧みるなら、日本の女性には見る眼があったというわけです。77年にクイーンは『手をとりあって- Teo Torriatte (Let Us Cling Together)』を日本語で歌い、その恩返しをしています。
70年代前半のブリティッシュ・ロックの潮流は大きく三つに分かれます。ハード・ロック、プログレッシブ・ロック、グラムロックです。クイーンはハード・ロックを基調に、プログレとグラムの要素を取り入れています。アルバムにおいて録音・編集技術を駆使したサウンド・コラージュを表現、ステージではフレディ・マーキュリーのダイナミックな身のこなしや照明技術などによる視覚的効果、観客を巻きこむパフォーマンスを展開、技術性・芸術性・アイドル性を兼ね備えています。
個々のメンバーのスタイルも個性的です。高音が伸びる声量豊かなフレディ・マーキュリーのボーカル、自作の「レッド・スペシャル」により多様な音色を奏でるブライアン・メイのギター、安定感と柔軟性のあるジョン・ディーコンのベース、軽快で多彩ながら、ソロがないロジャー・テイラーのドラムなど耳にすればそれとわかります。
ただ、クイーンはロック史に位置づけるのが難しいバンドです。ハード・ロックを語る際に、ツェッペリンやディープ・パープルと違い、欠かせないわけではなく、系譜を書けません。また、クイーン自身が生み出した革新もあまりありません。後世に決定的な影響を与えたイノベーションがないのです。
代表作『オペラ座の夜』(1975)はオペラの要素を取り入れていますが、ザ・フーの『トミー』(1969)や10㏄の『オリジナル・サウンド・トラック』(1975)がそのアイデアを先行しています。また、殺人を犯した少年を主人公にした代表曲『ボヘミアン・ラプソディ』にしても、父殺しと母子相姦を扱い、映画『地獄の黙示録』の主題曲でもあるドアーズの『ジ・エンド』(1967)と重なります。
もちろん、意欲的な挑戦はあります。『ジャズ』(1978)収録の「ムスターファ」において、英語に加え、アラビア語とペルシア語が歌詞に使われています。欧州諸国でシングル発売され、ヒットしています。アラビア語やペルシア語の入ったロックのヒット曲はこれが最初でしょう。
もっとも、フレディの発音が悪く、アラビア語の「アライクム・アッサラーム」もよく聞き取れません。また、フスハーの文法上理解できないところもあります。このフレーズは「アッサラーム・アライクム」への返しで、文頭に「ワ」をつけます。ところが、歌詞ではこれが返答ではなく、いきなり出てきます。さらに、「イッラーヒ」は「イッラーハ」に冠詞がついた際の変化形です。けれども、歌詞を聞く限り、冠詞がありません。
『ムスターファ』の歌詞の内容は理解するのが困難です。むしろ、アラビア語やペルシア語を英語と混ぜて歌詞にすることに意味があったと考えるべきでしょう。それはコラージュです。
このコラージュがクイーンの独創性です。コラージュはコンセプトに基づく一貫性のある構成ではありません。漸進的な並置によってある種の統一性が生じます。70年代はコンセプト・アルバムの時代です。クイーンは、それに対して、コラージュを提示しています。クイーンは多種多様なものをコラージュすることによってロックの可能性を拡張しています。それが彼らの歴史的意義です。と同時に、クイーンを系譜に位置づける際の難しさでもあります。
コラージュの観点からクイーンの曲を捉えるなら、アイデア自体新しくなくても、それは先行する試みを相対化することになります。『ボヘミアン・ラプソディ』には『トミー』のようなロック・オペラとしての統一性はありません。「ラプソディ」の名の通り、決まりごとにとらわれず、自由に形式を組み合わせています。オペラと言っても、それはロマン主義以降ではなく、バロック時代を思い起こさせます。
バロック時代を代表する音楽ジャンルは、実は、オペラです。当時の音楽家にとってオペラを依頼されることは最大の栄誉です。けれども、バロック・オペラは今日ほとんど上演されません。
バロック・オペラは絢爛豪華なショーで、今の日本において最も近いのは宝塚のレビューです。その舞台の中央にはカストラートがいて、観客から拍手喝采を浴びています。カストラートは去勢された男性歌手で、ソプラノからバリトンまでの4オクターブの音域を自由自在に歌いこなしています。しかし、それができる歌手は現在の社会にはいません。バロック・オペラが上演されない理由です。
『ボヘミアン・ラプソディ』はバロック・オペラの再現であり、フレディ・マーキュリーはこのカストラートに重なります。
クイーンはコラージュの音楽を示しています。ロック史から彼らを捉えるのが困難なのはそのためです。むしろ、クイーンからロック史を認識する方が適切です。そこからロック史の再構成による新たな可能性も見えてくるでしょう。“Back in the old days, we were often compared to Led Zeppelin. If we did something with harmony, it was the Beach Boys. Something heavy was Led Zeppelin“(Freddie Mercury).
〈了〉
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