アメリカの経済再建(2011)
アメリカの経済再建
Saven Satow
Sep. 22, 2011
「理論経済学が反動主義者の専売特許であっていい理由はない」。
ヘンリー・J・ダヴェンポート
第1章 低金利政策
2011年9月1日、合衆国政府は来年の平均失業率が9.0%となる見通しを発表する。この値は近年の大統領選挙の時期としては最も高い。バラク・オバマ大統領への支持率は、この値に呼応するように、低迷している。最新のギャラップ社の調査では、43%にとどまっている。
連邦政府も手をこまねいていたわけではない。FRBは、リーマン・ショックによる不況克服のため、2008年12月に短期金利の誘導目標を年0~0.25%とするいわゆるゼロ金利政策を採用している。この8月に、ベン・バーナンキ議長が13年まで継続すると発表している。すでに巨額の赤字を抱えており、議会は野党の共和党が主導していて、政府としても財政政策をとりたくても思うようにはいかない。失業率を改善するには、低金利政策を続けるほかない。
雇用の拡大のために金利を下げる理由について簡単に触れておこう。不況になると、証券市場・消費財市場・資本用役市場において価格調整が行われ。需給が一致する。利子率と資本用役財が決定されると、限界効用(資本の収益率)の法則により資本財の価格が決まる。資本機会が減った資本財市場では供給側で数量調整が実施されて、過剰供給が削減され、資本財生産量は投資需要にまで圧縮される。さらに、生産縮小のため、労働市場において供給過剰が生じている。労働価格の調整が起き、自発的失業者が市場から退場し、均衡が達成される。こうした希望退職も、資本財の有効需要が少ないために資本財供給を数量調整した結果である。実際には、労賃は下方伸縮性に乏しいので、労働市場は数量的に不均衡の状態にある。起業は人員整理に踏み切り、多数の非自発的失業者が発生するというわけだ。
失業問題を解消するには、投資機会を高く維持する必要がある。そこで、利子率を下げる手段がとられる。現行の利子率では採算がとれる投資機会はすでに出尽くしている。それなら、利子率をさらに低くすれば、不採算だったところにも新規投資が生まれる。失業率を改善するために、利子率を低下傾向に長期間続けなければならず、その間、資本が増加していく。
とは言うものの、利子率を低くすれば、自動的に投資が旺盛になるわけではない。ゼロ金利のまま、低成長から脱却できない状態を国外の人々は「ジャパナイゼーション(Japanization)」と呼んでいる。
量的緩和政策によって過剰になったマネーは国内産業の投資に回らない。投資機会が豊富な新興国に流れこむ。しかし、それはただでさえ過熱気味の景気によるインフレをさらに悪化させかねない。新興国の当局はインフレ抑制のために、金利を上げる。ところが、この高金利を求めて、ますます外資が入ってくる。
明らかに政策の外部性が生じている。合衆国は失業率を改善しようと量的緩和を続け、新興国はインフレ抑制のために高金利政策をとる。オバマ大統領は、9月21日、国連総会で経済の国際協調を呼びかける演説をしている。しかし、当の合衆国も含め、各国共に目前の問題への対策であたまがいっぱいで、とてもそんな余裕がない。国際協調にはインセンティブが必要である。それには、まず、信頼感の構築が不可欠だ。経済における外部性の問題は関係性を信頼のあるものにつくり直すことしか解決につながらない。
第2章 レーガノミックスの亡霊
ところが、アメリカ国内に目を向けると、ティーパーティー・リスクが事態を悪化させている。このままではいけないと打開策を模索しようと与野党の連邦議員が話し合いを始めても、ティーパーティーが圧力をかけ、台無しにしてしまう。彼らは減税や社会保障制度の弱体化のみならず、省エネ政策の撤廃さえも訴えている。それはレーガノミックスの亡霊である。
レーガノミックスがいかなる害悪をもたらしたかを確認しておこう。
1980年、アメリカは高インフレと高失業率というスタグフレーションに苦しんでいる。この年に行われる第49回大統領選挙における共和党の大統領候補を狙うロナルド・レーガンは減税を公約に掲げる。なぜアメリカが財政赤字に陥ったかと言えば、それは税金が高すぎて、人々は働く気がしないからである。税負担の重さがアメリカ市民の貯蓄と勤労意欲を損ない、企業の生産性の低迷を招いている。減税をすれば、アメリカは経済成長を回復し、結果として税収が増える。この元映画俳優の主張に対し、指名を争うジョージ・ブッシュは「ブードゥー経済学(Voodoo Economics)」と皮肉る。しかし、共和党の支持者のみならず、米国の有権者はこの詐偽まがいの謳い文句を支持し、この宗教右派の人物を大統領に当選させてしまう。
この史上最高齢の合衆国大統領の経済政策を支えたのは反ケインズ派のサプライサイド・エコノミックス、別名マネタリストである。日本の当局はスタグフレーションの克服として総需要の抑制というオーソドックスな政策をとり、成果を挙げている。ところが、ミルトン・フリードマンやマーティン・フェルドシュタインらのマネタリストはそう考えない。貯蓄と勤労意欲を回復させれば、企業の生産性が向上し、アメリカ経済は復活する。それには減税が効果的である。
減税政策が有効であるかどうかは条件次第である。総供給曲線の形状がほぼなだらかで、その機関が数年に及んでいる場合、減税の効果は総需要に及ぶが、総供給には影響を与えない。当時の状況は、確かに、この通りである。マネタリストはこれだけを見て、減税政策の有効性を確信している。しかし、スタグフレーションの原因は原油価格の高騰である。それは最終生産物であると同時に生産要素でもある。原油価格の上昇は、賃金の場合と同様、労働生産性の低下をもたらす。処方箋は各企業の技術革新による生産性の向上であり、政府のやるべきことはそれを後押しする環境整備に尽きる。
合衆国政府は、70年代、インフレ抑制を政策の中心に据えている。協和・民主を問わず、リチャード・ニクソン政権からジミー・カーター政権に至るまでの物価の統制という政策を採用している。けれども、まったく芳しい成果が出ない。当時主流の新古典派総合、すなわちアメリカ・ケインズ派は社会全体の有効需要を操作し、所得と雇用の水準を適正に保つことが経済政策だと考えている。需要サイドの操作にばかり気をとられ、供給サイドの革新の意義を忘れている。マネタリストはこのアメリカのケインズ主義を批判して頭角を現わす。
1981年、レーガン政権は、公約通り、経済回復および租税法によって個人税率を最大25%下げる。しかし、1981年3月に発表された82年修正予算教書によれば、同年の財政赤字は減税政策によって450億ドルにとどまるはずだったが、実際には1100億ドルを突破している。さらに、84年予算教書では、83年の財政赤字は228億ドルに縮小する予定だったけれども、史上最悪の2077億ドルにまで膨れ上がる。
しかも、彼は就任直後から医療補助や食料スタンプ、学校給食補助などの社会保障、各種の文化事業予算の大幅削減を提案し、議会もそれに賛同している。合計で482億ドルもカットしている。一方で、軍事予算は8年間で2兆3000億ドルという途方もない支出が約束される。正気とは思えないような政策が繰り広げられる。
貯蓄が増えたからと言って、それが投資に回るとは限らない。J・M・ケインズが教えるように、貯蓄の上昇は有効需要の削減であって、投資は必ずしも連動しない。減税をすれば、勤労意欲はともかく、とりあえず消費意欲は刺激される。消費が増えると、インフレが悪化する。マネタリストはマネー・サプライの厳密なコントロールによってインフレを抑制しなければならないと考える。当局は、そのため、高金利政策をとる。金利が高くなれば、銀行預金でもするのかと思いきや、消費が大幅に拡大してしまう。高金利では国内投資は鈍るし、住宅や自動車等のローンを組むにも負担が大きい。高金利目当てにドルが買われ、為替レートはドル高に触れる。輸出産業は音を上げ、海外に流出する。1970年代前半、ダニエル・ベルが「脱工業化社会」の到来を主張している。なるほど、経済発展に伴い、二次産業から三次産業への従事者数の移動が見られる。しかし、製造業が海外流出すれば、サービス産業も弱まる。脱工業化社会は産業の空洞化を意味しているのであって、さらなる経済成長を保障するものではない。加えて、消費の増加と共に、輸入が増加する。ドル高のため、輸入品の価格は安く抑えられ、物価水準は安定する。貿易収支の赤字も膨張していく。
1985年、アメリカが債務国へと転落し、まもなく、世界最大の借金国に至る。レーガン政権の放漫政策はアメリカを双子の赤字に陥れる。レーガノミックスによって蓄積された資本は新たな技術革新や生産性の向上へ向かわず、濡れ手に粟の投機や拝金主義的な企業買収が横行する。アメリカは国際競争力を失い、日本との間で貿易摩擦が過熱する。アメリカの議会や世論は日本が輸入を制限しているからだと息巻く。しかし、長年のぬるま湯制作によって技術革新を怠ったアメリカの工業製品はそもそも魅力を欠いている。技術革新は生産者と消費者のコミュニケーションであると捉えれば、その重要性が理解できるだろう。
80年代に入り、原油の取引がOPEC主導から市場へと移行する。83年には、石油の先物取引がニューヨークの商品・エネルギー先物取引所であるNYMEXに上場される。こうした環境の変化に伴い、石油価格が下落し始め、インフレは沈静化、それにつられて金利も下がる。消費による乗数効果が景気を上向かせるが、金利下落に伴い、歳入は目減りし、財政はまったく健全化しない。おまけに、投資は一向に伸びない。83年4月、失業率はとうとう戦後最悪の10.2%にまで上昇している。もちろん、経済の足を引っ張っていた最大の要因は高い原油価格だったから、失業率も年々好転する。失業率は、85年には、7.2%にまで改善する。インフレが沈静化しても、アメリカの経常赤字が増え、それと共に日本やドイツなどの経常黒字が増す。何のことはない、インフレを輸出しただけである。まったくの無策だったにもかかわらず、この間に行われた大統領選挙でレーガンは再選される。
レーガン政権は政治的・経済的・文化的保守派を支持層にしている。しかし、彼らの間には、本来、理論的対立・矛盾がある。政治的保守派は国際政治における米国のプレゼンスをハード・パワーによって確保しようとするが、それには膨大な政府支出を必要とする。けれども、小さい政府を主張する経済的保守派の考えと合致しない。軍事費増大に伴う財政逼迫を根拠に小さい政府の緊急性を正当化する自作自演を行っている。こうした保守派間の摩擦をレーガン政権は反リベラルを強調することで解消しようとする。敵はリベラルであり、仲間割れしている場合ではない。その結果、政治における二極化が進み、中道派が縮小していく。二分化による対立の激化は政治の資源を浪費する。米国のこの二極化傾向は以後ますます大きくなっている。
二期目に入ってもレーガン政権の減税政策は続く。86年、租税改正法を施行する。最高限界税率を個人の場合で50%から28%、法人の場合で46%から34%へそれぞれ切り下げる。この減税も勤労意欲の向上と貯蓄の上昇につながったという実証研究はない。85年プラザ合意によってドル安が誘導されても、ものづくりの原点を忘れたアメリカ製品の輸出は伸びない。ただ、さらなる減税政策が投機ブームを引き起こしたことは確かである。規制をろくに敷かないままの金融自由化により、証券会社は怪しげな各種の金融商品を生み出す。その高金利につられて資金が金融市場に流れこみ、貯蓄は設備投資等に回らず、そこをラット・レースしているだけである。映画『ウォール街』はこういう社会的・歴史的背景の下で構想される。1987年10月19日、ウォール街で1929年以来の株価の大暴落が起きる。
結局、レーガノミックスは、民間投資を1970年代より下回らせ、また財政赤字も激増させて終わる。ケインズ主義をあしざまに罵って登場したサプライサイド・エコノミックスは、そのケインジアン政策以下の惨憺たる結果を残しただけである。
これほど乱暴なレーガノミックスがいまだに保守派から支持されているのには理由がある。レーガン政権の「強いアメリカ」に象徴されるジンゴイスム的対外政策もその一因である。他には、マイノリティを切り捨て、政治的発言力が大きい勢力を優遇した点が挙げられる。減税の恩恵を一番与ったのが富裕層だということはすぐに気がつく。興味深いのは、65歳以上の高齢者の貧困率が減少した点である。アメリカ社会も高齢化が進展し、彼らの政治力の肥大化に配慮した結果である。レーガンはこうした分断によって不満の声を小さく見せかける。まだ指摘できるが、レーガノミックスが保守派から経済的復員だと信じられている理由は、こう要約できるだろう。経済政策の是非を有権者が判断する根拠は、実証的データに基づく実態ではなく、政治力による短期的な実感である。実体は伴わないが、実感はある。亡霊とはそういうものだ。しかし、それだけに始末が悪い。
第3章 提言
現代社会は相互依存している。アメリカの不況は世界経済にとって懸念材料であり、その改善が望ましい。アメリカ経済回復の処方箋として、国内外の専門家がさまざまに提言している。低金利政策が効果薄だったら、大胆な財政出動に踏み切るべきだという案もある。しかし、もし日本病にかかっているのなら、その成果は期待できない。今日の日本の膨大な赤字は90年代の財政出動によって蓄積されたものだからである。闇雲に公共事業をしたところで、ストックにつながらず、フローで終われば、赤字を増やすだけだ。
むしろ、投資を誘引する新しい市場を創出する必要がある。それはスマート・エネルギー市場が最適である。この市場は有望で、急成長しており、技術革新への姿勢が明暗を分ける。アメリカは、今、世界で最も化石燃料を消費している。それだけに技術革新の効用の幅は大きい。
ただ、この産業単体だけを考えていてはいけない。景気回復の起爆剤として老朽化したインフラ整備を定言するエコノミストもいる。アメリカの道路や橋梁、鉄道、上下水道などのインフラが危険なまでに古びていることは確かである。しかし、それらをただ新しくするだけでは不十分である。「スマート・エネルギー・ネットワーク」と関連させたインフラ整備が効果的だろう。それは低炭素化社会を目指し、再生可能エネルギー系発電システムを最大限にとり込むために、次世代送配電網を整備した都市計画である。すでにカリフォルニア州やコロラド州で先駆的試みが行われている。さまざまな業種とアライアンスする必要があり、波及効果が大きく、雇用の創出も大いに期待できる。
アメリカは再生可能エネルギー・ビジネスにも熱心にとり組んできている。しかし、資源国であるため、しばしば省エネなどの技術革新が進まかったという歴史がある。2007年のアメリカの電源構成比は、石炭が52.1%、原子力が22.6%、天然ガスが18.0%、水力が2.2%、再生可能等が2.0%、石油が1.9%、地熱・風力等が1.1%である。アメリカは世界最大の石炭埋蔵量を誇っており、発電も石炭火力が半分以上を占めている。けれども、地球温暖化問題を考慮すれば、このままでいいというわけにはいかない。
再生可能エネルギーは発電コストがまだ高く、生み出された電気の価格もグリッド・パリティよりも上というのが現状である。ちなみに、日本におけるグリッド・パリティは24円程度である。だからこそ、「政策」が必要となる。ドイツは再生可能エネルギー事業を経済的に立ち遅れている旧東ドイツ地域の振興策として活用している。熱エネルギーは仕事への変換効率が非常に悪いので、発電に利用しようとすれば、大規模施設が不可欠である。一方、非熱エネルギーは熱に比べて質がよいので、発電効率は規模の大小によらない。小規模なら設置費用も時間も少なくてすむ。それなら、農家が個別に始めることも可能である。ドイツは、固定価格での電力会社の買取も法律で定め、地域振興策として再生エネルギー事業を捉え、急成長させている。アメリカは、固定価格買取制度ではなく、電気事業者に一定量の再生可能エネルギーの買取を義務づけるRPS制度を採用している。どのような精度が適切なのかはこれからの課題でもある。
スマート・エネルギー・ネットワークの実用化は途上国では難しい。社会インフラの高度化やセキュアな環境整備には資本と技術、知識が要求される。アメリカだけでなく、日本や欧州諸国などにも同様の能力がある。この成功は国内の雇用の創出と生活環境の向上のみならず、諸外国への輸出につながる。途上国の電化はより進むと見られるが、それを大規模発電所が必須とする化石エネルギーでまかなうとしたら、背筋が寒くなる事態が予想される。これに対応するには、温室効果ガスを排出せず、建設費・機関が少なくてすむ小規模発電を輸出することを考えておくべきである。
しかも、この分野はまだ標準化されていない。アメリカの最大の強みの一つは標準化の巧みさである。アメリカがこの分野に乗り出す意義は十分大きい。太陽光パネルなど半導体を使った製品は、部品がモジュール化してあるので、人件費の安い新興国に移植しやすい。標準化戦略は、そのため、非常に重要である。また、再生可能エネルギーはグリッドの管理・制御が不可欠である。スマート・グリッドは言うに及ばず、その先を目指さなければならない。地球規模での気象を確認し、その上でスマート・エネルギーを効率よく管理・制御する。気象衛星やGPSを応用したサテライト・エネルギー・コントロール・システムを開発し、このサービスを国際的に提供することを視野に入れるべきである。
再生可能エネルギーへの転換は安全保障上も重要である。化石燃料をめぐって過去に戦争が起きたことはよく知られている。また、原子力発電は核兵器開発とも密接な関係がある。核の拡散は原子力の平和利用を隠れ蓑に進んでいる。従来、軽水炉は軍事転用が難しいとされてきたが、それをいいことに、核兵器用のウラン濃縮の言い訳に使われている。何しろ、同盟国であるはずの日本でさえ、長年政権を担当してきた自民党の石破茂政調会長が原発用のプルトニウム所有を潜在的核兵器保有と発言しているくらいである。核抑止論が何たるか理解していない人物が安全保障通と見なされているのだから恐れ入る。原発が世界中に広がれば、それだけ、テロリストの手に核が渡る危険性も高まる。アメリカが自国の安全保障を真剣に考えるのなら、再生可能エネルギーへの転換を率先して国際的に呼びかけていく必要がある。
「限界革命の三傑」の一人として名高いウィリアム・ジェヴォンズは、エネルギーと産業上の指導権の国際的な移動を指摘した最初の人物でもある。彼は、『石炭問題』1865)において、石炭を英国の産業に不可欠な資源として扱っている。石炭が急速に枯渇して、イギリスの産業上の指導権は衰退し、それはアメリカ合衆国に移るだろうと予言する。1882年に巣家中に溺死したこの経済学者は20世紀を見ることはなかったが、国際経済上の覇権はイギリスからアメリカへ移っている。石炭の19世紀がイギリスの時代だったとすれば、石油の20世紀はアメリカの時代だったと言ってよいだろう。エネルギー・システムの転換はまさに一世紀に一度の出来事であり、それは国際的覇権の行方を左右する。次世代エネルギーへの転換に的確に移行できたところが次の産業上の主導権を獲得できる。どこであれ、石油に固執していれば、その機会を逃すことはまず間違いない。
〈了〉
参照文献
井上琢智、『ジェヴォンズの思想と経済学 科学者から経済学者へ』、日本評論社、1987年
上杉忍、『パクス・アメリカーナの光と影』、講談社現代新書、1989年
柏木孝夫、『スマート革命』、日経BP社、2010年
根井雅弘、『物語現代経済学』、中公新書、2006年