嘉村磯多、あるいは黒色エレジー(1)(2006)
嘉村磯多、あるいは黒色エレジー
Saven Satow
Aug. 31, 2006
「人間の運命問題は、一にかかって次のことにあるように思われる。すなわち、文化発達にとって、人間の破壊衝動および、自己破壊衝動に基づく、共同生活の障害を克服してしまうことが、はたしてうまくいくだろうか。またどの程度成功するだろうか」。
ジクムント・フロイト『文化への不満』
1 私小説とケータイ小説
今も昔も文士は気むずかしい。超俗的なようでありながら、稚気満々で他者による評価をえらく気にする。素顔はあられもなく俗っぽかったりするものだ。
御厨貴は、書評「高橋正『西園寺公望と明治の文人たち』」において、こう書いている。中でも、私小説家はそうした文士の典型だろう。かつて私小説家と言えば、精神の発達が未成熟だったり、その形成が歪んでいたりして、ぶつぶつと文句が多く、自分勝手で、社会性に乏しいものの、名誉欲や金銭欲、助平根性などは旺盛な俗物というのが相場というものである。何かと周囲とトラブルを起こし、おまけにそのことを小説にしてしまうとあって、親族にとっては迷惑千万な食み出し者であり、近所はひそひそと噂話をするか、あえて話題にしないかのいずれかで、伊藤整から「逃亡奴隷」と命名されたほどである。それは、「鎌倉武士」になぞらえた「鎌倉文士」が華やかりし頃の夢物語でもある。
私小説家はろくに定職にもつかず、頭の中にあるのは、何をおいてもまず執筆のことであり、それ以外は二の次である。そこまでして書き上げても、たいした金にもならないどころか、出版社から断られるケースも少なくない。生活の足しにならない文学の前に、何でもいいから日銭を稼ぐようにしたらどうかと周囲にたしなめられても、時々自信を失うことはあっても、自分は書くために生まれてきたのだと神託を受けたかのような信念を決して譲ろうとはしない。
私小説家は精神の発達が未熟であるとしても、文章自体が稚拙だというわけではない。彼らの紡ぎ出す作品は、多くの論者が指摘している通り、散文詩の一種であり、「知覚の扉」(オルダス・ハックスリー)を叩くが如くである。金も職もなく、将来の展望もありはしない。誰が見ても社会の落伍者であるけれども、それこそが芸術家の証である。立派な社会人よりも、どこか壊れたヒールの方が魅力に満ちているものだ。
そんなこんなしている内に、たいていは商業的成功とは無縁のまま、生涯を閉じる。認められなかった才能や早すぎた天才などと呼ばれるのは恵まれていると見るべきであり、一部のカルトな人気を博すにとどまることの方が多い。
しかし、「文士」自体が死語になった今、ブログを維持できるだけの余裕があり、その気さえあれば、私小説家になることは難しくない。私小説は、歴史的に、メディアの産業規模が拡大し、送信者と受信者の距離感が近くなると、隆盛を迎える。私小説の伝統を持たない欧米のテレビで、インターネットの定着と共に、リアリティショーが人気を博していることからもわかるだろう。ブログの浸透は多くの私小説家をオンライン上に誕生させている。
有名無名を問わず、無数の人々がブログを公表し、他のブログを閲覧している。業界の裏話や政財界の噂、時事的な話題への意見、趣味や娯楽への思い、行っちゃった精神の発露、とりとめのない日常的些事など多岐に渡る。内幕の暴露は、告白や私小説登場以前から、注目を集めるには格好の題材であり、諷刺や劇中劇として扱われている。
出版産業の活性化による書くことの民主化に伴い、知的な思想を述べる告白や精神的成長を描く教養小説ではなく、日本で私小説が発展したとしても不思議ではない。もちろん、ブログにしても、何を記してもいいというわけではない。未成年なのに喫煙したとか飲酒運転をしたとか書いてしまえば、誰彼ともなく批難が書きこまれ、当局の取締りの対象となる。
2000年以降、ケータイ(携帯)小説が流行している。その内容と発展は私小説の歴史を同時代的に体験するいい機会である。書くという経験に乏しいものが文学作品を創作しようとすれば、自分の体験に基づく私小説が選ばれやすいものであろう。構成力は脆弱で、ほとんどが会話で占められ、物語は類型的であり、知識・教養も乏しく、表現方法は稚拙というのが大部分である。実際、出版化に至るのは──ある文芸批評家の例が示している通り、編集者たちに大きな見落としはつきものであるから、決めつけるべきではないけれども──、極めて少数にとどまっている。もっとも、それは読者に「これなら自分でも書ける」と思わせてくれる。
表現者の裾野を広げるという点で、日本近代文学史上、私小説ほど貢献してきたものはない。作者が見慣れたマンガもしくはテレビ・ドラマ、アニメなどのネーム(マンガのセリフ部分)やシナリオに近く、その分、テレビ・ドラマ化は極めて容易である。このジャンルの成長には、通信の大容量化・高速化やパケット定額制などのインフラ整備と低額化が後押ししている。このように、ケータイ小説をめぐる変化・現状は、私小説勃興のヴァリエーションである。
そのケータイ小説が描いているのは、同時代的に共有している問題と言うよりも、分断され、孤立化した主人公の吐露である。他人とは違う自分を語っているつもりだろうけれども、その自分が他の人とどのように異なっているかに触れていない。あるべき自画像に自分を押しこめようと躍起になっている。携帯電話の電子メールは、文字数の制約に言いたいことを収めなければならないので、そうした自己を表現するには適したメディアである。
作者の認識に広がりを欠いているため、他人と違う自分とは感じられない。他人と違う自分を書こうとすればするほど、それは類型化する。けれども、その類型性により、読者はそこに自分と同じ人間を発見し、共感する。それは私小説の典型的な傾向である。こうした送り手と受け手の関係から私小説は型の文学だと言える。
2 嘉村磯多と葛西善蔵
とは言うものの、『神前結婚』(1933)における次の記述が「私小説の極北」と賞賛された理由は、歴史を知らなければ、ブロガーにはもはや理解できないだろう。
忽然私は自分の外に全世界に何物もまた何人も存在せぬもののような気がした。私は「日本一になった!」とか何んとか、そんなことを確かに叫んだと思うと、そのハガキを持ったままぐらぐらッと逆上して板の間の上に舞い倒れてしまった。後後は、野となれ山となれ、檜舞台を一度踏んだだけで、今ここで死んでも更に思い残すところは無いと思った。暫時の間、人事不省に陥ちたが、気がついて見ると、ユキも私の傍に崩れ倒れて、「ああ、うれしいうれしい」と、細い長い咽び入った声で泣き続けていた。
この件は中央公論社から小説『途上』(1932)掲載の知らせを受け取ったときを作者が回想して記したものである。平野謙や伊藤整といった文芸批評家に衝撃を与え、彼に「私小説の極北」の称号を授与している。自己欺瞞や偽善、心理的倒錯、屈折した感情などを包み隠さず吐露するのが私小説の目指すべき理想であり、彼はそれをやってのけたというわけだ。
しかし、置かれた立場との矛盾、社会や組織との葛藤、将来の見通しなどに悩んだ上で、作家は意を決してタブーを破るものだが、彼にはそうした覚悟がない。
それは、子どもに対する彼とその師匠である葛西善蔵の態度の違いからも明らかである。
彼は、『崖の下』(1928)において、自分の子を「侵入者」だと次のように排撃している。
圭一郎は子供にきつくて優し味に欠けた日のことを端無くも思い返さないではいられなかった。彼は一面では全く子供と敵対の状態でもあった。幼少の時から偏皮頁な母の愛情の下に育ち不思議な呪いの中に互いに憎み合って来た、そうした母性愛を知らない圭一郎が丁年にも達しない時分に二歳年上の妻と有無なく結婚したのは、ただただ可愛がられたい、優しくして貰いたいの止み難い求愛の一念からだった。妻は、予期通り彼を嬰児のように庇い句力わってくれたのだが、しかし子供が此世に現れて来て妻の胸に抱かれて愛撫されるのを見た時、自分への籠は根こそぎ子供に奪い去られたことを知り、彼の寂しさは較ぶるものがなかった。圭一郎は恚って、この侵入者をそっと毒殺してしまおうとまで思い詰めたことも一度や二度ではなかった。
父親となる自信がない、もしくは今の気ままな生活を続けたいために、生まれてくる子を負担と考える夫はいるものだ。しかし、彼は父親あるいは大人としてその子を見ていない。それは、幼稚園に入った第一子が、第二子の誕生により、独占していた親の愛情を奪い返すために、固着・退行してしまう心情である。「ただただ可愛がられたい、優しくして貰いたいの止み難い求愛の一念」と告げているように、彼にとって、女性は母の代用にほかならない。
一方、彼の師匠の葛西善蔵は父親として子に接している。『子をつれて』や『哀しき父』などで、主人公は子に愛情を示し、父親としての役割を果たそうとしているが、結局、甲斐性なしに終わる。その姿は、2002年にMTVで放映が始まった『オズボーンズ(The Osbournes)』のオジー・オズボーンに近いものを感じさせる。これはオズボーン一家の日常生活を中継するリアリティショーである。「ドラッグで身体がどうなるか、俺を見ててもわからないのか!?」とオジーは息子ジャックを諭している。
彼は帳場に上り込んで「実は妻が田舎に病人が出来て帰ってるもんだから、二三日置いてもらいたい」と頼んだ。が、主人は、彼らの様子の尋常でなさそうなのを看て取って、暑中休暇で室も明いているだろうのに、空間がないと言ってきっぱりと断った。しかしもう時間は十時を過ぎていた。で彼は今夜一晩だけもと言って頼んでいると、それを先刻から傍に座って聴いていた彼の長女が、急に顔へ手を当ててシクシク泣き出し始めた。それには年老いた主人主婦も当惑して「それでは今晩一晩だけだったら都合しましょう」ということにきまったが、しかし彼の長女は泣きやまない。
「ね、いいでしょう? それでは今晩だけここにおりますからね。明日別のところへ行きますからね、いいでしょう? 泣くんじゃありません……」
しかし彼女は、ますますしゃくりあげた。
「それではどうしても出たいの? よそへ行くの? もう遅いんですよ……」
こう言うと、長女は初めて納得したようにうなずいた。
で三人はまた、彼らの住んでいた街の方へと引き返すべく、十一時近くになって、電車に乗ったのであった。その辺の附近の安宿に行くほか、どこと言って指して行く知合いの家もないのであった。子供らは腰掛けへ座るなり互いの肩をもたせ合って、疲れた鼾を掻き始めた。
湿っぽい夜更けの風の気持よく吹いて来る暗い濠端を、客の少い電車が、はやい速力ではしった。生存が出来なくなるぞ! こう言ったKの顔、警部の顔──しかし実際それがそれほど大したことなんだろうか?
「……が、子供らまでも自分の巻添えにするということは?」
そうだ! それは確かに怖ろしいことに違いない!
が今はただ、彼の頭も身体も、彼の子供と同じように、休息を欲した。
(『子をつれて』)
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