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梅毒とニーチェ(2016)

梅毒とニーチェ
Saven Satow
Dec. 10, 2016

「ニーチェは無尽蔵である」。
カール・ヤスパース

 2016年12月9日付『日刊ゲンダイ』の「5年で5倍に…梅毒は1カ月しないと感染有無はわからない」によると、国立感染症研究所が2016年第47週(11月21~27日)までに報告された全国の梅毒感染者の総数は4077人と公表しています。前週より88人増えています。2011年の全国の感染者数が827人でしたから、5年でおよそ5倍に急増しています。

 都道府県別の感染者数は東京都がワースト1位で、前週より33人増の1524人です。2位は大阪で8人増の532人、3位は神奈川で1人増の257人です。東京都医師会の理事の一人は「梅毒についての知識がほとんどない医師も多く、見逃されているケースもあるのではないか」と述べています。

 梅毒はトレポネーマと呼ばれる病原菌が皮膚や粘膜の傷から侵入し、全身に広がる感染症です。かつては性感染症としてよく知られた疾病で、ペニシリンが発見されるまでは不治の病と恐れられています。

 黒澤明監督は『静かなる決闘』(1949)において梅毒を扱っています。その際、自伝『蝦蟇の油』によると、この映画に賛同したGHQが梅毒の専門医をアドバイザーにすることを支援しています。梅毒は抗菌剤によって治癒可能なのに、GHQは日本人がその知識がないために感染すると諦めてしまうことに憂慮していたからです。梅毒の理解に『静かなる決闘』は最も適したサブカルチャー作品の一つです。

 HIV感染者が増えている日本で、梅毒も急増することは憂慮せざるを得ません。梅毒の罹患者はHIVの艦船の危険性が高くなるとされているからです。梅毒を過去の病気と侮ってはなりません。

 梅毒は感染から時間経過によって進行状態が4段階に分類されます。1・2期が「早期梅毒」、3・4期は「晩期梅毒」と大別できます。感染1カ月後から抗体ができ、検査によってその有無が判定できます。

 感染3カ月後から顔や首、腹部、背中などの皮膚や粘膜に「バラ疹」と呼ばれる赤い円形のあざが現われます。痛みや痒みもなく、数週間すると消えます。しばらくすると、「梅毒性丘疹」と呼ばれる1㎝程度の赤紫色の丘疹が現われます。さらに、エンドウ豆大の扁平に隆起した丘疹ができます。円形脱毛症が見られることもあります。また、発熱や倦怠感などの全身症状も現われます。梅毒治療はこの段階までに始める必要があります。

 梅毒が真に恐ろしいのはそれが進行麻痺に至る危険性があるからです。現在では梅毒の予防・治療が進みましたから、稀な疾患です。しかし、治療が不十分なままですと、この死に至る病へと進む可能性があります。進行麻痺を知ることで、梅毒がいかなる事態を感染者にもたらすのかの理解が深まります。

 進行麻痺は梅毒に感染してから10~2年を経て発症する脳疾患です。梅毒トレポネーマが脳の実質にまで至った結果、精神を含む全身状症状を呈します。主な症状は情緒不安定、性格の変化、強迫症状、知的障害、認知症、筋肉の衰えなどです。徐々に体全体に麻痺が進行していきます。

 進行麻痺は身体疾患が精神症状につながることがあると明らかにしたからです。現在でも精神科医は精神症状を示す患者に接した際、まず身体疾患を疑う必要があります。疾病の診断には症状である「こと」と原因である「もの」の関連を見定めることが不可欠です。それにより治療の方針が決まるからです。

 進行麻痺の最も有名な患者はドイツの哲学者フリードリヒ・ニーチェです。彼は1889年に進行麻痺と診断され、1900年に亡くなるまで精神病院で暮らしています。

 進行麻痺の症状がどのようなものであるかは、1889年にニーチェが書き送った次のような書簡が示しています。

アリアードネ王女、わが恋人へ
 私が人間であるということは、一つの偏見です。しかし私はすでにしばしば人間どものあいだで生きてきました。そして人間の体験することのできる最低のものから最高のものまですべてを知っています。私はインド人のあいだでは仏陀で、ギリシアではディオニュソスでした、--アレクサンダーとシーザーは私の化身で、同じものでは詩人のシェークスピア、ベーコン卿。最後にはなお私はヴォルテールであったし、ナポレオンであったのです。多分リヒャルト・ヴァーグナーでも……しかし今度は、勝利を収めたディオニュソスでやってきて、大地を祝いの日にするでしょう……時間は存分にはないでしょう……私のいることを天空は喜ぶことでしょう……私はまた十字架にかかってしまったのだ……
(1889年1月3日コージマ・ヴァーグナー宛書簡)

 当然かもしれませんが、私はフィガロとは割合親しい関係にあります。私がどれほどお人好しでいられるものか、ご理解いただくために、私の駄洒落の初めの二つをお聞かせしましょう。プラドーの事件を余り重大に考えないでください。私はプラドーであり、また父プラドーでもあります。あえて申せばレセップスでもあります。--私はわが愛するパリジャンに、ある新しい概念を与えようと思いました、--つまり、端正な犯罪人という概念をです。私はまたシャンビージュ--つまり、端正な犯罪人でもあります。第二の駄洒落。私は不滅なる者たちに挨拶を送ります。ドーテー氏はアカデミー・フランセーズの会員です。
Astu
 私の謙虚さを圧迫し、また不愉快でもあることは、結局、私が歴史のなかのあらゆる名前であるということです。
 私はどこへいくにも学生上着を着て、あちこちで誰彼の区別なく肩をたたいては、こういいます、--俺たちは満足しているのか? 俺は神だ、俺はこんなカリカチュアをしてしまったのだ……と。
 明日、息子のウンベルトが可愛いマルゲリータを連れてやってきます。私もここでシャツ一枚になって歓迎してやります。
 コージマ夫人……アリアードネ……のために残された物がときどき魔法にかけられます。
 私はカイバスを鎖につながせてしまいました。私も去年ドイツの医者たちにひどく長ったらしいやり方で十字架にかけられました。ヴィルヘルム・ビスマルクとあらゆる反ユダヤ主義者は罷免されよ!
 バーゼルの人たちから尊敬を受けている私をみくびることもないこの手紙を、貴兄は利用できます--
(1889年1月6日ヤーコプ・ブルクハルト宛書簡)

 進行麻痺による精神症状がいかなるものであるかこの書簡から十分わかるでしょう。統合失調症を疑いたくなる内容です。

 ニーチェは、伝記を読むと、これ以前から梅毒による身体症状が現われていたと推測できます。その一つが視覚障害です。彼は弱視で、眼痛と偏頭痛に悩まされています。この症状だけ聞くと、疾患が緑内障ではないかと疑いたくなります。一般的な緑内障は眼圧が高くなり、それによって視神経が圧迫されて視野が欠損する疾病です。強度近視を持っていると、矯正視力が出ない視力障碍を来たすことがあります。また、眼圧30を超えると、眼痛や頭痛を伴うことがあります。

 けれども、ニーチェの視覚障害は梅毒が原因と推測されます。進行麻痺は神経梅毒の一種です。それに至るまでの神経梅毒の症状に、眼痛や視力低下などの資格症状があります。また、先に挙げた頭痛の他、ニーチェが悩まされた吐き気も同様に神経梅毒の症状です。実証はできませんけれども、神経梅毒の進行の中で思索を続けたと思われます。

 ニーチェはアフォリズムによって思想を記したことで知られています。作品は、歳を重ねるごとに、より記述が断片的になっていきます。おそらく視力障碍が進んでいったからでしょう。

 視力が弱くなれば、読み書きの際に紙に眼を近づけざるを得なくなります。斜め読みが難しく、長文に眼を通すことが大きな負担となります。これは目を閉じて読み上げソフトを用いると、健常者でも理解できます。ソフトは指定個所を読み上げ、途中を端折りません。視力が弱いと本のページ全体を眺めることができませんので、一文一文を眼で追うことになります。

 付け加えますと、必要な情報だけに注意して飛ばし読みすることとは視覚障碍者は不得手です。PCやスマホには、障碍者のアクセスビリティに配慮して読み上げソフトや拡大鏡が常備しています。印刷媒体よりも電子媒体は障碍者にフレンドリーです。しかし、ネット・サーフィンもできませんから、情報入手はピンポイントになります。視覚障碍者は健常者に比べて情報格差が一般的にあります。

 なお、全盲の場合、この状況に対応するため、テープの早回しのような読み上げ速度を用いています。しかし、弱視や視野欠損の場合、視覚も利用しているので、注意資源を聴覚に集中できません。読み上げ速度の適正感は健常者とさほど違いがありません。読み上げ速度は慣れだけで設定するものではありません。このように視覚障碍者間でも認識の相違があります。

 執筆には推敲が要ります。書いた文章を読み返す作業が伴います。弱視だと長文を読むことが苦手ですから、書く文章も短文にならざるを得なくなります。視力低下に苦しむニーチェが思想を展開するためにアフォリズムはそうした事情の帰結とも捉えられます。

 低下し続ける視力を補うために、ニーチェはタイプライターを試しています。当時、タイプライターはそれほど普及していませんでしたが、文字の書けない人のための支援ツールとして考案されています。ニーチェは視覚障害の支援ツールとして手に入れ、それは障碍者のアクセスビリティの先駆と言えます。

 1890年代に入ると、それまで無視されてきたニーチェが欧州で評価され始めます。世間の無理解の中で独創的な思想を書き続け、狂気に至った生きられた伝説と彼はリスペクトも受けています。けれども、進行麻痺の彼はそのことを知りません。インテリ層は断片的な作品群れに謎を見出し、自分なりの解釈を提示します。しかし、ニーチェはそれが正しいとも間違っているとも応えられません。

 1900年に亡くなった後も名声と影響力は世界中に拡散していきます。ニーチェは20世紀の思想に最も影響を与え、支配したと言えます。21世紀の今、梅毒感染が急増する日本でニーチェはその疾病の危険性を伝えるためにも思い起こされているのです。
〈了〉
参照文献
石丸昌彦他、『精神医学特論』、放送大学教育振興会、2010年
黒澤明、『蝦蟇の油』、岩波現代文庫、2001年
F・ニーチェ、『ニーチェ全集』15・17、ちくま学芸文庫、1994年

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