ミステリーと金田一耕助(3)(2016)
3 金田一耕助
数あるミステリーの探偵の中で、金田一耕助は最も異彩を放つ一人である。このシリーズは個性的であるので、一読しただけでも、異色性を挙げることが容易だ。地縁血縁が濃密で、閉鎖的な伝統社会で殺人事件が起きる。それは過去の事件と関連している。時代遅れの容姿をした探偵金田一耕助がその謎に挑むが、第二、第三の事件が起きてしまう。舞台が都市の作品もあるが、物語はほぼこういう構造をしている。
しかし、金田一の独自性の謎を読み解こうとすると、困難さに直面する。特徴を列挙することはできる。けれども、それらがどのように関連しているのかが見えてこない。人類学・社会学・歴史学の知識が不可欠だからだ。
先に述べた通り、ミステリーの探偵は近代都市の犯罪を扱う。探偵は都市の事情に精通している必要があるから、都会的でなければならない。加えて、常人とは目のつけどころが違うので、いささか風変りである。
シャーロック・ホームズを例にしよう。『緋色の研究』などに彼の特徴が言及されている。体格は痩身で、少なくとも6フィート(約183cm)以上の長身である。鷲鼻で角張った顎が目立つ。性格は極めて冷静沈着であるが、血気盛んで、行動力に富む。犯行現場では地面を這うようにして証拠や情報を収集する。
住居はロンドンのベーカー街221Bの下宿屋度である。ヴァイオリンを演奏し、ストラディヴァリウスを所有している。ボクシングが得意である。文武両道というわけだ。化学実験を趣味とする。先に言及した通り、化学は科学技術の代表である。暇つぶしに壁に向けて拳銃を発射することもある。ヘビースモーカーで、コカインやモルヒネへの依存もある。
洗練され都会的な人物像が思い浮かぶ。天才には凡人には理解できない変わったところがあり、その奇抜さも世界有数の近代都市ロンドンは苦もなく受け入れる。ドラッグという享楽的な物質は都市の歓楽性をよく表わす。
しかし、達人は自分の行いにしばしば無自覚である。推理は暗黙知として進められることが少なからずある。これを明示知にするための等身大の人物が必要だ。ミステリーは読者に主人公と同様の温謎解きへの参加を用意しておかなければならない。天才の思考過程を言語化して読者に示す準主役が登場する。ホームズの場合、それはワトソン博士である。主役に寄り添うスポークスマンの準主役ないし脇役の存在はミステリーのお約束の一つである。
この相棒がいない場合、思考過程の言語化を探偵自身が行わなければならない。刑事コロンボが容疑者の元をしつこく訪れてしゃべるのは、こうした理由からである。
ところが、金田一耕助は都会的でないどころか、時代離れさえしている。スズメの巣のようなボサボサの蓬髪、皺だらけの絣の単衣の着物と羽織にヨレヨレの袴、形の崩れた帽子、爪が飛び出しかかっている汚れた白足袋に下駄履きという姿である。戦前の蛮カラの貧乏書生といったところだ。なお、かつての洒落者は紺足袋を履くものである。
人懐っこい笑顔、平凡な顔立ち、貧弱な体躯である。身長は5尺4寸(約163.6cm)、体重は14貫(約52.5kg)というから、当時の男子の平均よりは少し大きい。貧相で凡庸、社会的地位も高くないとくれば、初対面の際には見くびられるものだ。しかし、織田信長がうつけの振りをしていると、誰も警戒しないから情報が入手しやすいと言っていたことを思い出すべきだろう。ヘビースモーカーで、酒はあまり飲まない。渡米中に麻薬に手を出していたこともある。
普段は控えめで、のらりくらりとしている。一般的に登場人物に対して共感を示す。けれども、事件の本質に迫った時や意外な事実を知った時などは頭の毛をかきむしり、フケを飛び散らし、言葉が吃り始める。また、いつもは眠そうなショボショボとした目つきをしているが、そんな時には目の色が変わる。概して真相解明後にも犯人の行動に同情的である。ただし、あまりに非人道的な背景や行動がある場合はその限りではない。
金田一耕助という名前は、今さら言うまでもないが、金田一京助に由来している。「金田一」は岩手の地名で、温泉地としても知られる。金田一家に関しては、その孫の金田一秀穂の『金田一家、日本語百年のひみつ』に詳しい。宮沢賢治との関係もあり、なかなか興味深い。なお、古くからの岩手の住民には金田一家の事情はよく知られている。
耕助も京助同様に東北の出身という設定である。生まれた年は1913年、すなわち大正元年である。1931年に旧制中学卒業後、上京して私学に入学している。
1913年生まれということは、金田一が1910年世代に属することを意味する。日本は20年代に大衆社会を迎え、30年代に世界恐慌に陥っている。明治維新を迎えたものの、徒弟制度に慣れ親しんでいた男性は近代的雇用契約に抵抗を覚える。工場労働を担ったのは、そのため、女性である。男性が近代的労働者を受け入れるのは1920年代である。1910年世代は日本における本格的な近代人である。金田一は地方と都市の両方を知り、身なりはともかく、生まれながらの近代人だ。
1910年前後に生まれた世代は農村の余剰人口として20年代に都市に流入し、労働者層を形成する。ところが、30年代の不況下で失業、都市に残って自営業者に転身、町内会を結成している。1910年世代は大正デモクラシーと大衆文化の花が開く六都市で思春期を迎え、不況と戦時体制で青年期を送っている。日米開戦の頃に30歳である。黒澤明や久野収がこの1910年生まれである。
金田一は農村から都市に向かったこの世代の一人ではあるが、上京したのは1931年の4月である。世界恐慌が始まり、日本国内もすでに不況に入っている。30年、豊作貧乏により東北の農村は打撃を受ける。翌21年、東北は大凶作に見舞われる。農村の困窮が社会問題化し、宮沢賢治が『雨ニモ負ケズ』を手帳に人知れず書き記している。金田一が上京するのはこうした時期である。
ところが、入学したものの、大学がつまらないと、渡米したことになっている。金田一シリーズは、後に言及する通り、暗黙の前提を含めて歴史的・社会的背景をよく踏襲している。けれども、渡米の経歴に関してはいささか疑問がある。
1924年、アメリカでは日本人を標的にした移民法の改正、いわゆる排日移民法が実施されている。宮沢賢治も23年までアメリカ行きを希望していたが、この年以降その話を口にしたことはない。船員などをしつつ米国に滞在していたに谷譲次も、改正により査証の再発行を受けられず、帰国している。彼は20年代後半から米国体験記「めりけんじゃっぷ」物を発表し話題になっている。
このような状況で何の当てもない日本人少年に米国が査証を発行するはずもない。渡米したとすれば、非合法だろう。しかし、この頃のアメリカは失業率25%の世界恐慌の真っただ中だ。金田一は35年に帰国するまで日系人社会で暮らしつつ、カレッジを卒業したり、病院の夜間勤務をしたりしていたことになっている。谷譲次が滞在した10年ほど前の事情としか思えない。
1935年から東京で探偵事務所を開設し、失踪事件などを解決、巷にその名が知られるようになる。37年に本陣殺人事件を解決する。この事件を描いた『本陣殺人事件』が最初の金田一耕助シリーズである。1947年に発表されている。
40年に召集、大陸へ送られている。42年からは南方、ニューギニアで終戦を迎える。46年に幅員、探偵業を再開している。
先の病院勤務と軍役によって金田一は医学や薬学の知識を会得している。作品中でそれを生かすシーンがある。金田一は、フィールドワークが中心的調査方法であるけれども、経験科学に通じた探偵である。
シリーズには戦前に関与した事件の作品もあるが、大部分は戦後である。率直に言って、戦後の地方を主な舞台とした長編が最も魅力的である。金田一の調査方法やパーソナリティが地方の事件に向いているからである。
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