批評の世紀、あるいは諷刺の黄金時代(1)(2006)
批評の世紀、あるいは諷刺の黄金時代
Saven Satow
Oct. 31, 2006
"I much prefer a compliment, even if insincere, to sincere criticism”.
Titus Maccius Plautus “Mostellaria”
1 諷刺と表現の自由
18世紀の英国を代表する偉大な知識人マータイナス・スクリブレラス博士がこの無知蒙昧のまかり通る状況を見たら、「こんなものが諷刺だと言うのかね?まったくけしからん。批評はどこにいったのか?」と嘆くことだろう。何しろ、彼は古今東西の学問に精通し、その知識の確かさたるや当代随一と評された人物だからである。
デンマークの『ユランズ・ポステン(Jyllands-Posten)』紙は、2006年9月30日、イスラムの預言者ムハンマドの政治諷刺漫画を掲載する。同紙もイスラムが偶像崇拝を禁止していることを知らなかったわけではなく、「表現の自由」など載せた理由をつけている。けれども、このカリカチュアの中には、ムハンマドのターバンが爆弾にデフォルメされているものが含まれ、それはあたかも教え自身がテロリズムを誘発している、もしくはムスリムは本質的にテロリストなのだと言わんばかりである。イスラムにおける最も重要な偶像崇拝の禁止に背いているだけでなく、預言者を侮辱したというわけだ。
しかし、ダンテ・アリギエリの『神曲』の時代ならともかく、もう21世紀に入っている。これが世界に伝えられると、デンマークのみならず、欧州で謝罪を要求するデモが巻き起こったり、イスラム諸国の政府・神学者・民衆から抗議が発せられたりするなど各地に波紋が広がる。欧州の活字媒体の中に、ノルウエーのキリスト教系雑誌『マガジネット(Magazinet)』のように、「表現の自由」を掲げ、同じカリカチュアを転載するものも現われる。騒動が年を超えても続く中、『ユランズ・ポステン』はイスラム教徒の感情を害する諷刺画の掲載を謝罪しつつ、いかなる場合にもタブーがあってはならないと公表する。
言論の自由は、英植民地当時のニューヨークで、1735年8月、新聞発行人ジョン・ピーター・ゼンガーが裁判を通じて勝ちとった権利に由来している。彼は植民地総督の不正を告発する記事を載せ、それを理由に当局から訴えられたが、名誉革命の意義を尊重する陪審員は新聞の方に正当性を認め、無罪にする。このように言論の自由は行きすぎる傾向にある権力の抑制として生まれ、行使されてきたのであり、かの機知に欠ける漫画を掲載する理由として用いるのには無理がある。”L’ironie est la bravoure des faibles et la lâcheté des forts” (A. Berthet).
この事件は、表現の自由が問われたと言うよりも、ヨーロッパの中にあるイスラムに関する偏見や無理解が露呈したと見るべきだろう。その後、欧州各地で、イスラムに係わる表現が自粛されているが、これは諷刺画事件と表裏一体である。垂れ流しと自粛が日本で頻発する現象である通り、オール・オア・ナッシングは極めて安易な他者への理解や共生を放棄しているにすぎない。
しかも、諷刺の歴史はこの権利の確立よりも古い。1701年から14年まで続いたスペイン継承戦争に際し、1712年、英国のジョン・アーバスノット(John Arbuthnot)は対フランス和平締結を主張し、パンフレット集『ジョン・ブル(The History of John Bull)』を刊行する。このジョナサン・スウィフトとアレクサンダー・ポープの友人は参戦している各国を擬人化し、英国を「ジョン・ブル」と名付けている。その自画像は、小柄で半ズボンを履き、大胆ながら、気分屋で、気さくだが、指図されるのが大嫌いで、酒と遊びに目がなく、友情を大切にし、ブルドックを従えているというものである。このジョン・ブル像は、今日のエスニック・ジョークに登場するイギリス人と異なっているが、自分自身に対する諷刺であり、行為自身が英国的である。「イギリスでは自分のことを笑えることが大変重要で、逆に自分のことを笑えない奴は野暮という雰囲気がある。英語でself-deprecating(セルフ・デプレケイティング)という、ぼくはそんな感覚を日本語で表現する時は"自嘲的ユーモア"と言っているが、この"嘲る"という感じが持つニュアンスがよくないとの指摘を受けたことがある。たしかにdeprecateという単語は、他人に対してなら日本語と同じ意味になるが、対象が自分自身となるとむしろ肯定的な印象を与える」(ピーター・バラカン『ぼくが愛するロック名盤240』)。
諷刺は、いずれも重なり合う場合が少なくないけれども、バーレスク・パロディ・パスティシュの三つに大別できる。「バーレスク(Burlesque)」はイタリア語の「滑稽」に由来し、茶化す目的で対象を模倣する手法であり、そこにはリスペクトがなく、悪意と嘲笑がある。次の「パロディ(Parody)」はギリシア語の「別の歌」を語源とし、同じように捩りであるが、模倣している自分自身も笑いの対象としている点で、バーレスクよりも礼節をわきまえている。最後の「パスティシュ(Pastiche)」はイタリア語の「ごちゃ混ぜ」から派生し、対象よりも、模倣の技法自身に最も関心があり、複数の作品からの模倣を寄せ集めていることが多く、「冷たいパロディ()cold parody」と言ってもよい。問題のカリカチュアはムスリムへの嘲りが見てとられ、この中では、バーレスクに属している。ひやかすとは品よく無礼を働くことだ」(アリストテレス『修辞学』)。
諷刺はミメーシスから生じる。しかし、その手法は再現ではなく、記号化である。諷刺を作成するには、対象がその他のものと異なる固有性を把握していなければならない。関根勤が容姿や体形のまるで違うジャイアント馬場を真似る姿を見て、似ていると感じられるのは、その長身プロレスラーの記号を具現化しているからである。諷刺はヴァーチャル・リアリティ、ヴァーチャリティの追求である。
「ヴァーチャル(virtual)」の反対語は「リアル(real)」ではない。「名目(nominal)」がそれに相当する。名目の類義語は「仮想(supposed)」や「擬似(pseudo)」である。前者は仮に想定したものであり、後者は外見は似ているが、本質的には異なるものを指す。また、リアルの反意語は、「実数(real number)」と「虚数(imaginary number)」の関係が示している通り、「虚(imaginary)」である。ヴァーチャルは、むしろ、現実の類義語であり、それは表面的にはそう見えないけれども、本質あるいは効果において現実を感じさせるものを意味する。諷刺はこのヴァーチャリティの表現活動であり、諷刺作家には役者の才能が不可欠である。
諷刺は記号によって構成され、作者と読者はその記号を通じてメッセージを送受信する。規則を了解しながら、それを創作し、受容する。一九世紀の英国の小説家ジョージ・メレディスが「何を笑うか、どんな笑い声かで、その人間の洗練度がわかる」と言ったように、受信側もそのメッセージを受け取る際に、自分自身を記号として他の人に送信してしまう。諷刺は、そのため、記号の規則が通用しない関係では機能し得ない。諷刺が真に表象しているのはルールである。
完成度が高いほど、記号は通用する世界が広く、より普遍的になる。壁に「消火器」と記された標識は、日本の漢字を読めないものには何のことかさっぱりわからないため、記号としての機能は低い。普遍性が高いほど優れた記号である。
諷刺は、その記号性のために、さらなる諷刺を生み出すこともしばしばである。ジョン・ゲイ(John Gay)の『乞食オペラ(The Beggar’s Opera)』(1728)は、資本主義批判を皮肉ったベルトルト・ブレヒトの『三文オペラ』のモチーフになり、その後、ザ・フーのボーカリストのロジャー・ダルトリーがマクヒースを主演し、20世紀後半の社会が一八世紀のバラッド・オペラの世界を日常化したようなものと諷刺している、
MACHEATH: So, it seems, I am not left to my Choice, but must have a Wife at last.----Look ye, my Dears, we will have no Controversy now. Let us give this Day to Mirth, and I an sure she who thinks herself my Wife will testify her Joy by a Dance.
ALL: Come, a Dance----a Dance.
MACHEAT: H Ladies, I hope you will give me leave to present a Partner to each of you. And (if I may without Offence) for this time, I take Polly for mine.----And for Life, you Slut,----for we were really marry'd.----As for the rest.--- -But at present keep your own Secret.
(John Gay “The Beggar’s Opera “Act3 Scene17)
記号である以上、諷刺は曖昧であってはならない。記号を読み取りやすくするため、すなわち記号の規則の適用範囲を拡大するため、18世紀前半の諷刺画家ウィリアム・ホガースは写実的手法を取り入れている。記号は、あるものを他のものと区別する目的で任意で最初は選ばれる。けれども、次第に、それは社会性・歴史性を帯び、十字架がキリスト教を指すように、固有さを表象するシンボルとなる。曖昧なせいで、メッセージが伝わらないとすれば、それは記号ではなく、思いつきにすぎない。
他方で、すでに記号として特定の意味を持っていることを知らないまま、図柄を使っている光景も、日本に住んでいると、見られる。表現活動を行うのであれば、せめてジーン・C・クーパー著『世界シンボル辞典』で確認するくらいのことはして当然だろう。