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2014年都知事選挙と革新首長(2013)

2014年都知事選と革新首長
Saven Satow
Dec. 22, 2013

「小地域における自治が、自由国の市民に必要な能力の形成を助けた」。
ジェームズ・ブライス『近代民主政治』

 2014年2月に予想される都知事選をめぐって、新聞やテレビなどは誰が立候補するかをあれこれ報道している。しかし、出馬の前に何が争点であるのかを伝えるべきだろう。政治課題が明確になれば、それにふさわしい人物は誰かということになる。

 現在、巨大与党が国会を支配している。憲政史を顧みるならば、この現状がもたらす弊害は十分に政治課題となり得る。それは「民主主義の回復」である。

 巨大与党が国会を支配したのは2013年が初めてではない。60年代、自民党が安定多数を維持している。首相も池田勇人と佐藤栄作の二人だけである。特に、佐藤内閣は盤石で、戦後最長の在任期間を果たしている。その強固さを知らしめたのが66年2月の黒い霧解散である。大臣の不祥事が相次ぎ、不正融資事件も発覚し、自民党の敗北が予想されたが、安定多数を確保する。

 野党が弱体化した一因として多党化が挙げられる。60年に民社党、64年に公明党が結成されている。これは今の政界とも重なる。

 しかし、多党化だけが自民党優勢の理由ではない。野党が対抗軸をつくりきれなかったこともある。巨大与党との戦いは非対称戦である。けれども、野党第一党の社会党は国会内で自民党に通常戦を挑んでいる。与党の土俵に乗ったり、時代離れした主張をしたりしている。

 61年、池田勇人内閣は国民所得倍増計画を発表する。10年間で所得を2倍にする政府のヴィジョンに対し、社会党は4年間で1.5倍にするとぶち上げる。これは野党が与党の用意した土俵に上がったことを意味する。社会党の計画は政府よりも急進的で、現実味が薄い。社会党は自民党に塩を送ったようなものだ。

 このヘマを今の野党も繰り返している。巨大与党が用意した土俵に乗ったり、すり寄ったりしている。彼らは歴史から何も学んでいない。

 また、64年、社会党は事実上の綱領「日本における社会主義の道」を発表する。資本主義陣営に入って経済成長を果たし、東京オリンピックも開催する。そんな時に、「社会主義」を掲げた政党が有権者の支持を得られるはずもない。

 そんなだらしない野党に代わって巨大与党に対峙したのが国会外の地方自治体である。それは革新首長と呼ばれる新しいタイプの政治リーダーだ。彼らは巨大与党に非対称戦を挑む。その最大のメッセージは民主主義の回復である。

 革新首長は、60~70年代に革新政党の推薦・公認・支援を受けて当選した首長である。63年の統一地方選挙によって北九州市や横浜市、大阪市、仙台市で誕生したのを皮切りに、67年に東京都や京都市、71年大阪府、73年名古屋市、75年には京都府や神奈川県、埼玉県、滋賀県、香川県、岡山県、島根県、沖縄県で生まれている。64年、革新市長会が結成されて以降、67年に首都圏革新市長会、68年には西日本都市問題連絡会議、75年に至ると首都圏革新自治体連合が創設される。

 革新首長は地方の名望家や地区労の活動家ではない。吉田法晴北九州市長と飛鳥田一雄横浜哀調は衆議院議員、美濃部亮吉東京都知事と黒田了一大阪府知事は学者から転出している。従来と異なるキャリアの革新首長は従前と違う斬新な政治を展開する。

 地方政治は二元代表制を採用している。首長も議会も住民から選挙で選ばれる以上、地位は対等である。いずれも民意を代表・統合する。この原則に立ち戻れば、権力分立の意義が再発見される。議会が保守系優勢であっても、首長は候補者次第で革新系でも当選できる。

 こうした革新首長の象徴が67年から79年まで東京都知事を務めた美濃部亮吉である。この美濃部達吉の息子は、革新統一候補として都知事選に出馬、「東京に青空を」のスローガンを掲げる。その柔和な笑顔、いわゆる「美濃部スマイル」で支持を集め、自民・民社と公明の推す候補達を破って当選する。それは佐藤首相の仏頂面と好対照である。経済学者の大内兵衛や都政調査会の小森武をブレーンにし、新聞やテレビの取材も好んで受け、都民との対話集会にも積極的、議会の演説・答弁も長時間に及ぶ。東京に注目を集めるための情報発信が巧みで、それは現代的な手法である。

 71年、美濃部は「ストップ・ザ・サトウ」を掲げて臨み、自民党公認の秦野章前警視総監を破り、再選を決めている。ただ、このスローガンはいささか奇妙である。相手候補ではなく、それを公認した自民党の総裁であり、日本国首相である佐藤を批判しているからだ。けれども、この戦略によって地方自治体の首長選挙が国政に対する異議申し立てへと変換する。選挙の争点は革新自治体VS自民党政府に演出される。都知事選でありながら、巨大与党の支配する国政への不満票が美濃部に流れこんでいく。

 美濃部都知事を始め革新首長は、その後、国のレベルを上回る行政サービスの提供などによって財政を悪化させたとか無責任な住民エゴを増長させたとかと批判される。しかし、彼らの革新性は今日においてもなお課題として続いている。

 従来の保守系の首長は中央とのパイプに基づく行政を行っている。しかし、それは中央政府の課題設定の制約を受ける。高度経済成長期は産業の近代化や所得の再配分などが中心に位置づけられる。けれども、先行して発展した都市部において新たな課題が生まれている。国政では巨大与党が支配しているため、新たな問題提起は既得権益を脅かすことでもあり、現われにくい。中央と連結した行政では時代の変化に対応しきれない。姿勢も政策も見直す必要がある。

 革新首長はこうした時代変化の要請から生まれる。彼らは住民直結の地方自治の姿勢をとる。住民との対話や市民参加を強調する。それにより、地方自治体が首長=議会=住民の三つの主体から成り立っていると改めて確認される。また、政策も環境や福祉について国より先行する。国の法令の規制基準より厳しい条例を制定したり、独自の要綱による行政四方を行って無秩序な都市開発に歯止めをかけたりしている。自治体が保障すべき住民サービスの基準を「シビル・ミニマム」として体系づけて計画に採り入れている。

 これらの取り組みはその後の日本政治に影響を与えている。ある自治体で新たな政策が実施されると、革新首長のネットワークを通じて他にも波及する。それどころか、保守系首長の自治体や中央政府が後追いするケースも出てくる。その好例が70年の公害国会だろう。佐藤首相は「福祉なくして成長なし」と演説し、公害関係14法を一挙に成立させる。このように新たな課題を見出し、方策を講じたのは革新自治体であって、中央政府ではない。革新自治体の実験が全体の政策水準を上昇させていく。

 革新首長が発した最大のメッセージが民主主義の回復である。彼らの登場は地方における民主主義の再発見だ。旧憲法と違い、新憲法は地方の自治を保障している。この時、地方政治に民主主義が発見される。革新首長はそれを再発見させる。彼らはその担い手として「市民」を提起する。自主的に未知の課題を見出し、統治機構と共に対策を講じて医師決定にも参加、責任ある行動をとる。

 国政は巨大与党が勢力を維持し、争点は所得倍増計画を代表とする経済成長に限定される。そうした状況から政治において民主主義が回避され、パターナリズム、いわゆるおまかせ主義が蔓延する。しかし、政治はあくまで民主主義に基づくものでなければならない。革新首長はそれを地方から発信し、実践を提示する。民主主義の回復という意義は大きい。

 財政再建という新たな政治課題が顕在化した時、事務能力に長けた官僚出身者が首長に就任していく。既知の課題を解決するという形式の定まった仕事は官僚の得意とするところだ。政治課題からの要請が首長のタイプを選ぶものである。

 3・11は正確な情報を適切に伝える重要性や情報の隠蔽がとてつもないツケを払わなければならなくなることを知らしめている。この経験からも、行政が持っている情報を積極的に市民に公開し、理解を共有して相互信頼を築くことが自治体でも大切である。それに基づいて、諸問題に関して共に考えて議論し、責任ある意思決定を行う。進化した参加型民主主義である。首長がすべきなのは独善的なリーダーシップの乱用ではなく、市民とのコラボレーションである。言わば、「コラボ首長」が求められている。

 今回の都知事選もこの圏内にある。それに際して、思い出すべき思想がある。地方自治が民主主義の学校だということだ。

 ジェームズ・ブライスは、大著『近代民主政治』(1921)において、「地方自治は民主政治の最良の学校、その成功の最良の保証人」と記している。その学校で学ばれる民主政治について、当時82歳の賢人はこう言っている。地方制度は「他人のためだけでなく、他人と一緒に能率的に働き得るような教育を人々に賦与する。それは常識、穏健性、判断力、社交性を発達せしめる。その精神を一致させてゆかねばならぬ人々は譲歩妥協の必要を学ぶ。一技一能を有する人物はこれを顕し、自らを同輩に薦める機会を持つ」。こうして「二個の有用な習慣、即ち公共の問題に関する知識技能を認め、及び人物をその公言公約によらず、その行為によって評価する習慣が形成される」。

 この英国の政治学者が語るデモクラシーは巨大与党が支配する今の日本の国政にはない。地方自治という学校で民主主義を学び直す必要がある。今度の都知事選の意味はここにある。民主主義の回復が政治課題であり、それにふさわしい知事が求められる。
〈了〉
参照文献
天川晃他、『日本政治外交史』、放送大学教育振興会、2007年
宮本吉夫、『ブライスの「近代民主政治」』、井上書房、1959年

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