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アンネ・フランクを殺すな!(2014)

アンネ・フランクを殺すな!
Saven Satow
Mar. 02, 2014

「いつもこのように見えればいいのにと思います。そうすれば、まだハリウッドに行ける見込みがあるかもしれません」。
アンネ・フランク

 1996年1月、イスラエルのエゼㇽ・ワイツマン大統領は、ドイツ議会において、ホロコーストを断罪して次のように演説します。

「犠牲者が生きていたら、どれほどの書物が、交響曲が、科学的発明が生まれていただろう。犠牲者は二度殺された。強制収容所に連行された子どもとして、そして成長するはずだった大人として」。

 今、日本で三度目の殺害が行われています。東京と神奈川の図書館や書店で『アンネの日記』の人為的な破損が見つかっています。これはアンネ・フランクを三度殺す行為です。共に読み継ぐべき記憶として、です。

 アンネの「成長するはずだった大人として」の夢は「ジャーナリストか作家」になることです。彼女は強制収容所で15歳の時に亡くなったため、生きてそれを叶えることはありません。

 けれども、遺された日記によって彼女は人類の遺産と呼ぶべき作家となります。ホロコーストは人類共通の記憶であり、『アンネの日記』はその象徴の一つです。アンネは人々の間で生き続けていくのです。それは人と人を結びつけます。

 その本を破ることはアンネを殺すことと同じです。いかなる理由があるかはまだはっきりしません。しかし、これは三度目の殺害なのです。しかも、日記だけでなく、関連書籍も破られています。これは、『アンネの日記』の文献学的知見から言えば、絶滅作戦に等しいのです。

 アンネはフランクフルトでユダヤ系実業家の娘として生まれています。ナチスの迫害から逃れるため、家族と共にオランダのアムステルダムに移住します。しかし、オランダがドイツに占領され、ユダヤ人狩りが始まります。それを避けるため、プリンセン運河沿いの父の会社の事務所に付いた「後ろの家」に隠れ住むのです。

 アンネは、13歳の誕生日の1942年6月12日から日記をつけ始めます。それは、隠れ家が密告され、強制連行される日まで継続します。その後、父オットーを除く家族全員は強制収容所で殺されています。

 アンネはヘルゲンベルセン収容所で45年2月末か3月にチフスで亡くなったとされています。知人が戸外に放り出された遺体の中から見つけたため、正確な日付はわからないのです。収容所内は人肉を食べるほどの飢餓状態に置かれています。アンネの最後の尊厳を守るために、一枚の毛布に乗せて遺体を埋める穴に運んだと伝えられています。ですから、アンネがどこに眠っているのか現在もわからないのです。

 1946年、父オットーが娘の日記を編集・縮約して『後ろの家』として出版し、世界的なベストセラーとなります。日本も例外ではありません。最初は『光ほのかに』でしたが、後に『アンネの日記』と改題されます。これは、今日、「縮約版」と呼ばれています。

 80年、オットーの死去に伴い、アンネ直筆原稿がオランダ国立戦時資料研究所に寄贈されます。父による削除が復元できることは想像がつくでしょうでしょう。他にも、日記には異稿があることも判明します。実は、アンネは日記を将来公にしたいと考え、書き直しもしているのです。86年、縮約版に未発表部分を併置した学術資料版が刊行されます。これは「研究版」と呼ばれています。

 その日記から伝わってくるのは、アンネが好奇心旺盛で、おませ、激しい気性、内省的、鋭い観察眼、批判的精神の持ち主だということです。両親や周囲への率直な批判、恋愛への思い、性に関する問題、女性の権利など深く掘り下げて考えています。しかも、短期間のうちに、驚くほど成長しています。

 最近はあまり使わなくなりましたが、月経を「アンネ」と言うことがあります。これは『アンネの日記』の初潮を迎えた時の記述に由来します。それだけこの本は日本社会に浸透しているのです。

 91年、研究版は読みにくいので、その要請に応えるように編集した日記が刊行されます。これは「完全版」と呼ばれています。現在、日本国内で読まれているのはこの版です。2009年、『アンネの日記』はユネスコの「世界の記憶(Memory of the World)」に選ばれています。

 しかし、関係者や研究者によると、日記にはまだ公開されていない部分があるとされています。そのため、捕捉している関連書籍を併せて読むことが推奨されています。日記だけでなく、関連書籍も破損したことは、ですから、アンネの絶滅を狙った行為なのです。意図が何であれ、ホロコーストにほかなりません。

 それゆえ、人々はこう共に誓うのです。「アンネ・フランクを殺すな!彼女をもう殺させはしない!」
〈了〉
参照文献
オランダ国立戦時資料研究所編、『アンネの日記 研究版』、深町真理子訳、文藝春秋、1994年
『100人の20世紀』上、朝日新聞社、1999年
『世界の文学』73、朝日新聞社、2003年

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