グッドモーニング,レボリューション(4)(2014)
4 カオスモーズ
フェリックスはこんな引き込み現象を著作に生かしている。ジル・ドゥルーズ(Gilles Deleuze)と共著で、『アンチ・オイディプス(L'anti-Oedipe,)』(一九七二)、『カフカ─マイナー文学のために(Kafka, pour une littérature mineure)』(一九七五)、『千のプラトー(Mille Plateaux)』(一九八〇)、『哲学とは何か(Qu'est-ce que la philosophie ?)』(一九九一) は世界に衝撃を与えている。さらに、イタリアのアントニオ・ネグリ(Antonio Negri)との共著『自由の新たな空間─闘争機械(Les nouveaux espaces de liberté)』(一九八五)も示唆に富んでいる。それらはいずれも著述における非線形的実践です。グッド・バイブレーションを感じさせてくれる。
単独の著述家としても、ピエール・フェリックス・ガタリ(Pierre Félix Guattari)は、『精神分析と横断性(Psychanalyse et Transversalité)』(一九七二)を刊行しているけど、この「横断性」はポスト構造主義以降の思想のキーワード。でも、横断性自体に独創性はありゃしない。既存の領域が直面したジレンマを克服するために、それはとられた姿勢だから。こうした横断性が研究のアプローチに求められるようになったのも、非線形の世界をどう記述するかを考察する必要に迫られたせいなんです。横断性自身に別に意義はないわけね。ンなこと主張してる人もいるけど、「横断する批評」とかね、何で横断が必要なのかが大切なのよ、正直、何言いたいのかわからなかったり、ここが一体他とどういう関連があるのかとか、どうしてこれが出てくる必要があるのかとかと迷路になったりしているところも多いけどね、フェリックスの本は。
カオス研究が本格化したのは一九七〇年代なんだけど、みんな何してたかな? 今は、それぞれの領域が相互浸透しているんです。クラシックとポピュラー・ミュージックも相互浸透してますよね?クロスオーバーみたいにどれがどの要素なのかって明確にわけれないんです。まだ萌芽的だったから、一九八〇年代にポストモダニズム的認識が流行して、それはいろんな領域の意識的なクロスオーバーが試みられていたけど、相互に浸透している今は「ポストモダン」と呼べないね。別の呼び名が必要。でも、「ポストポストモダン」じゃあねえ。ポストモダンのクロスオーバな組み合わせから相互に浸透してるんです。「大きな物語」の喪失がポストモダンなら、最近は何だろ?「カオスモーズ」かな、やっぱり。あるいは「カオスモーシズム(Chaosmosism)」?ポストモダンがなければ、カオスモーズはない。ポストモダンの拡張版だね。カオスモーズとポストモダンをかけて「カオスポストモダン(Chaospostmodern)」それとも「カオスモダン(Chaosmodern)」?ピンとこないね。要素還元主義じゃないんですよ。
だから、横断するとか言っても、「それって、何よ?」ってことなんですね。とにかく「カオス」と「浸透」がキーワードなのは、まだ普及してなくても、間違いない。「コンテンポラリー(Contemporary)」を超えて、「カオステンポラリー(Chaostemporary)」だもの。一九三〇年三月三〇日ヴィルヌーヴ・レ・サブロン(Villeneuve-les-Sablons)に生まれたこの哲学者は、以後の展開を省みると、明らかに、その前提を理解している。『分子革命(La révolution moléculaire)』(一九七七)から『機械状無意識(L'inconscient machinique)』(一九七九)へと至り、『闘争機械(Les années d'hiver)』(一九八五)、『分裂分析的地図作成法(Cartographies schizoanalytiques)』(一九八九)、『三つのエコロジー(Les trois ecologies)』(一九八九)、さらに『カオスモーズ(Chaosmose)』(一九九〇) 。われら自由ラジオ放送局「カオスモーズ」はこのフェリックスの概念に由来してる。
「カオスモーズ」なんて、おかしな名前だって?いいんです、定着すれば、よく感じるようになるんだから。コービー・ブライアント(Kobe Bryant)だって、父親のジョー・ジェリービーン・ブライアントが神戸牛のステーキが大好きだったんで、「神戸ステーキハウス」からとってつけたんだけど、今じゃあ、かっこいいじゃん。譬えて言うなら、新庄君がカリフォルニア巻きが好きだとして、仮によ、自分の息子に「新庄カリフォルニア」ってつけるようなもんだぜ。子どもは、真実を知ったら、たまんないけど、活躍すると、それが逆によく響く。そういうもんなんです。ね、長ーい目でみてやって、チョーダイ!
フェリックスは決してハンサムとは言えないけど、生粋の、そう正真正銘の反逆児ってルックスをしてる。いくつになってもウッドストックに行ったり、街頭で拡声器を握ったりしている姿が似合う男ですね。フラッシュ・ゴードンとドクター・ザルコフを足して二で割った感じ。思想家以上の何か、オーラみたいなものがありますねえ。Cool!
ポスト構造主義者の例に漏れず、この戦闘的な思想家も、六八年の五月革命を体験していて、それが後の活動にも影響を与えております。一九五三年以降、ラ・ボルドゥ病院(clinique de La Borde)に勤務し、精神医療改革運動に参加しています。フランス精神分析の一派のラカン派に属していたものの、初期フロイトの著作に忠実じゃないってことで、総帥ジャック・ラカン(Jacques Lacan)を公然と批判する生粋の異端と見なされている。らしいでしょ?五〇年代から六〇年代にかけて、フランス新左翼の活動家としても活躍し、六八年には、急進的な左翼マルクス主義者の集団である「共産主義の道」に加わってます。
六八年世代のテーマ曲と言ったら、もう、これしかない!ウルフマン・ジャックだって賛成してくれるさ。Wao!ジミ・ヘンドリックス(Jimi Hendrix)、『パープル・へイズ(Purple Haze)』。Here we go!
Purple Haze was in my brain,
lately things don't seem the same,
actin' funny but I don't know why
'scuse me while I kiss the sky.
Purple Haze all around,
don't know if I'm coming up or down.
Am I happy or in misery?
Whatever it is, that girl put a spell on me.
Purple Haze was in my eyes,
don't know if it's day or night,
you've got me blowing, blowing my mind
is it tomorrow or just the end of time?