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リチャード・ギア、あるいはアクター・イン・ザ・ダーク(2004)

リチャード・ギア、あるいはアクター・イン・ザ・ダーク
Saven Satow
Dec. 22, 2004

“I know who I am. No one else knows who I am. Does it change the fact of who I am what anyone says about it? If I was a giraffe, and someone said I was a snake, I'd think, no, actually I'm a giraffe”.
Richard Gere “The Guardian” Jun. 2002

1 視力と表現
 以前、武田鉄矢がフォークやニュー・ミュージックの歌詞を見ると、そのアーティストの視力がわかると言っています。その際、松任谷由美と中島みゆきを例に挙げています。前者が『中央フリーウエイ』で見た風景をそのまま描写していることから視力がいいと判断されるのに対し、後者は『時代』という不可視的なものを歌詞にしている点から、目がよくないと推測できると指摘します。実際その通りです。

 なるほど、視力の悪いジョン・レノンが『イマジン(Imagine)』と語っている一方で、視力のいいポール・マッカートニーは『ヘイ・ジュード(Hey Jude)』と歌っています。

 旧ソ連にレフ・セミョ-ノヴィチ・ポントリャーギン(1908~88)という数学者がいます。彼は14歳のときに爆発事故のせいで両目とも失明してしまいます。母の助けを借りて勉強を続け、1931年から若くしてソ連科学アカデミーに所属しています。

 この盲目の天才の最大の功績は立体や空間に関する仕事です。目の見える人にとって、立体は平面の延長としてどうしても捉えてしまいます。けれども、彼には平面はあくまで立体の一種でしかありません。目が見えないことによって目の見える人に見えないものが彼には見えるのです。

 かつてイェール学派を率いたポール・ド・マンが『盲目と洞察(Blindness and Insight)』の中で盲点にこそ画期的な眼識があると指摘しています。まさにその通りです。近代は、歴史的に、最も視覚が偏重された時代です。視力が弱い人は皆が見逃してきた諸問題を見つけられるのです。

 視力と創作行為の関係は音楽や数学以外にも適用できるでしょう。映画において、少なくとも、ある俳優についてはそう言えるのです。

 数ある映画俳優の中で、リチャード・ギアは最も視力の悪い男優の一人です。チベット仏教の信者として内的世界への探求者と知られている彼ですが、実は、足元さえろくに見えていません。階段を降りるシーンはいつもひやひやもので、スタッフや監督はその撮影の際に頼むから転ばないでくれと神に祈っている有様です。

 また、彼の演技の特徴に視線の急激な移動があります。それも視力のせいです。彼は周囲がぼんやりとしか見えていません。何かに視線を向けなければならないとき、撮影スタッフの合図に合わせて視線を移動させるため、どうしても急になってしまいます。

 遠目で女性を見つめるシーンは、本当は、誰が誰なのかわかっていません。あのキレのない眼は焦点距離が近すぎて、よく見えていないことから生じています。彼は人と目を合わせないと言われます。けれども、そもそも相手の目が見えていません。「ダンサー・イン・ザ・ダーク」ならぬ「アクター・イン・ザ・ダーク」というわけです。

 リチャード・ギアは、ケーリー・グラントのように、優れた演技力を持ちながら、それを十分に理解されていません。ゴールデン・グローブ賞は受賞したものの、『シカゴ(Chicago)』の出演者で唯一第75回のオスカーにノミネートされていません。リチャードには受賞暦が少ないのですが、むしろ、これは彼の演技の肯定的な帰結です。

2 内気な少年
 リチャード・ティファニー・ギア((Richard Tiffany Gere)は、1949年8月31日、ペンシルヴェニア州フィラデルフィアに、5人姉弟の2番目の子として生まれています。姉が1人、弟が1人、それに妹が2人います。

 幼いころにニューヨーク州シラキューズに引越し、そこで高校を卒業するまですごしています。彼の家庭環境はここまで平凡でいいのかと言いたくなるほど、平凡な中流家庭です。顔の輪郭は母ドリス、顔自体は父ホーマーに似ています。けれども、両親共アメリカの太った普通の老夫婦で、言われなければ、誰が息子なのかわからないほどです。なお、リチャードはキャリー・ローウェルの間に生まれた息子にホーマーと名づけています。

 彼は大学に入るまでディックと呼ばれています。非常に内向的で、非社交的だったため、友達も少なく、学校が終わるとさっさと家に帰って、楽器の練習と作曲に打ちこんでいる少年です。高校の卒業パーティーも参加しなかったくらいです。

 両親がどちらもアマチュアの音楽家だったこともあって、自宅には各種の楽器やレコードが揃っています。今ではギターやピアノ、ベースなど9種類の楽器を弾けます。特に、トランペットが得意で、10代のころに、地元のシラキューズ・シンフォニーと共演し、ソロ・パートを担当したこともあったほどです。

 現在、リチャード・ギアは最も政治的な発言・活動をしている映画俳優の一人です。非暴力主義者を公言し、その政治性ゆえに、セレモニーのスピーチを敬遠されることも少なくありません。

 ベビー・ブーマーらしく1978年にネパールへ旅行して、チベット仏教と初めて出会い、信徒になって以来、同地トに対する中国の人権問題を批判し続けています。また、80年代前半に戦争中のホンジュラスやニカラグア、エルサルバドルの難民キャンプへ医師を同行して訪れています。さらに、イスラエルとパレスチナの学生交流にも尽力しています。

 さらに、9・11の後ニューヨークのコンサート会場で、大ブーイングの中、暴力に対して暴力で復讐すべきでないとスピーチをしています。エドワード・ノートンによれば、あのとき、聴衆に絶対に受け入れられないと自覚しながら、いずれ誰かが口にしなければならないことだからと壇上に立っていたと述懐しています。

 けれども、生来の内気さは今でも続いています。リチャード・ギアは独りでいることを好み、パーティーに滅多に参加しません。外出しても、自分が誰かわからないように、とても早足で歩きます。その上、マスコミが嫌いで、メディアに対していい格好をすることはまずありません。

 友達がいなくても、少年のころ、弟の面倒をよく見ています。弟のデヴィッドが友達から仲間はずれにされたとき、ゲーム機を使って、それをとりなしたこともあります。撮影中、監督やスタッフ、出演者の間に緊張が走ると、それを緩和するのがリチャードの役割です。いつも穏やかで、誰かを怒鳴るどころか、腹を立てることさえありません。弟は目元が兄にそっくりで、非常に繊細なルックスをし、竹宮恵子のマンガに出てきそうな人物です。

 デートは高校卒業までしたことがありません。信じられないかもしれませんが、まったくもてません。ただ、好きな女の子はいたようで、3kmほど帰宅するその子の後をつけたという今ならストーカーと呼ばれかねない行為に至っています。

 そんな内気な少年の人生を変えるきっかけになったのは北シラキューズ中央高校時代に『王様と私』で王様を演ずることになってからです。もともと打ちこみすぎる傾向のあった彼は、このときも同様で、家族にも手伝ってもらい、練習を重ねます。その甲斐あって本番では喝采を浴びています。芝居が終わった後も30分ほど口がきけない状態に陥っています・

 今でも、あまりにも役に入りこみすぎて撮影を中断させてしまい、それで落ちこみ、「もうこの役を続けられない」と自分のトレーラー・ハウスに閉じこもってしまうことも少なくありません。これをきっかけに彼は演技に傾倒していくのです。

 マサチューセッツ大学の哲学科に進みますが、演劇に目覚めたリチャードは劇団に参加します。学生運動が盛んな時代でしたけれども、政治的活動には参加していません。マサチューセッツのプロヴィデンスタウンにおける夏期興行で舞台デビューを果たしています。この劇団の公演が忙しくなり、成績も惨憺たるものになったため、2年で中退しています。

 その後、ニューヨークのプロヴィンスタウン・プレイハウスに所属します。肩まで髪を伸ばしていたおかげで、オフ・ブロードウェイで公演されるロック・ミュージカルの役につけています。ところが、このミュージカルはわずか3日で公演は打ち切られます。父ホーマーは「普通の職に就いて、趣味で演劇を続けてはどうか」と失意の息子に普通の父親らしいアドヴァイスをしています。

 注目されるようになったのは、1973年にロンドンで行ったロック・ミュージカル『グリース(Grease)』の主役ダニーを演じるようになってからです。最初はある端役の代役でこの芝居に参加したのですが、徐々に中心的な役に上っていいきます。

 演技のために、つねに人々の振る舞いや仕草をあの見えない目で観察していたと言っています。見えないからこそ、ポイントをつかむことに専念していたのでしょう。このころは後の『シカゴ』とは比較にならないほどうまく歌っています。

3 リチャード・ギアとジョン・トラヴォルタ
 『グリース』はジョン・トラヴォルタの当たり役で、映画化された際にもトラヴォルタが配役されています。実は、リチャード・ギアはジョン・トラヴォルタと少なからず縁があります。どちらも1950年代のハリウッド・スターのような雰囲気がありますけれど、彼の名声を確立した『天国の日々(Days of Heaven)』や『アメリカン・ジゴロ(American Gigolo)』、『愛と青春の旅だち(An Officer and a Gentleman)』はもともとトラヴォルタが配役として想定されています。

 エイドリアン・ライン監督は2002年の『運命の女(Unfaithful)』に『天国の日々』のパロディとしてリチャード・ギアを配役しています。白髪を隠さないにもかかわらず、20年前なら彼が演じていた役に扮するオリビエ・マルチネスに「母があなたの大ファンです」と言われて彼はショックを受けています。

 飛行機免許の習得のためトラヴォルタのスケジュールがとれず、リチャード・ギアに回ってきたわけです。トラヴォルタは、これを袖にして以降、『パルプ・フィクション(Pulp Fiction)』で復活するまで長い停滞期に入ります。

 ジョン・トラヴォルタも1954年2月18日にニュージャージー州イングルウッドという地方都市で生まれ、8人兄姉の末っ子です。トラヴォルタの両親も芸術には理解があり、姉が舞台女優として活躍しています。その姉を追うように、高校を中退、演劇の世界に入っています。

 トラヴォルタも、リチャード同様、アメリカの一般的なキリスト教の信者ではありません。自己啓発セミナー的な新宗教であるサイエントロジー(Scientology)を信奉しています。同教会は個人の精神性と能力と倫理観を高めることによって、より良い文明を実現しようと主張しています。ジョンは健康問題からここに入信しています。

 SF作家のL・ロン・ハバードが1950年に『ダイアネティックス-明確な思考を取りもどせ(Dianetics: The Evolution of a Science)』を出版し、ベストセラーになったのですが、その中で描かれたダイアネティックスというカウンセリングに感銘を受けた人々が全米各地に集まるようになり、それを実践し始めます。その後、作家本人がハバード・ダイアネティックス財団を組織し、さらに1954年、ロサンゼルスでサイエントロジー教会を創設、現在に至っています。

 トラヴォルタが2000年に映画化した『バトルフィールド・アース(Battlefield Earth)』もL・ロン・ハバードの原作です。合衆国政府も1993年に非課税の宗教法人として同教会を承認しています。もちろん、訴訟などトラブルも多く起こしています。このさまざまに波紋を起こしている教会の信者としては他にジョンの妻ケリー・プレストンやトム・クルーズ、チック・コリア、カースティ・アレイ、リサ・マリー・プレスリー、ビリー・シーン、エドガー・ウィンター、シプリアン・カツァリス、アイザック・ヘイズ等がいます。

 ただ、両者の改宗の理由は対照的です。視力のいいジョンが健康という具体的な問題から信仰に向かい、サイエントロジーを選んでいます。それに対し、視力の悪いリチャードは精神世界の探求という抽象的な動機からチベット仏教に帰依しています。信仰にも視力がかかわっているようです。

 当時、ハリウッドには有望な新人俳優がいません。1970年代に、かつてのスターに代わって、アメリカン・ニューシネマで役柄を選ばないエッジのきいた演技派のロバート・デ・ニーロやダスティン・ホフマン、アル・パチーノが現われています。しかし、ハリウッドは彼らとは違った新たなタイプの俳優を求めています。

 そこに登場したのが『サタデー・ナイト・フィーバー(Saturday Night Fever)』のジョン・トラヴォルタです。トラヴォルタは女性を惹きつけるスター性と演技力を兼ね備えています。興行的には成功しませんでしたが、『ミッドナイトクロス(Blow Out)』では素晴らしい演技を見せています。この作品は是非見ておくべきです。リチャード・ギアはその後を追う新人として認められてぃくのです。

 映画には興味がなかったのですが、1975年『警視総監への報告(Report to the Commissioner)』でスクリーン・デビューを果たします。77年の『ミスター・グッドバーを探して(Looking for Mr. Goodbar)』におけるサイコパスな若者トニーの演技で注目されます。どうしても発情したサルの物真似にしか見えませんが、この演技のために太極拳やヴァリシニコフのバレーを参考にしたと言っています、

 78年『天国の日々』で初主演し、ダヴィッド・ディ・ドナッティロ賞外国映画部門主演男優賞を受賞しています。さらに、『アメリカン・ジゴロ』が公開された1980年、ブロードウェイで上演された『ベント(Bent)』によりシアター・ワールド・アカデミー賞を受賞しています。

 現在のジョン・トラヴォルタの姿を生み出すきっかけになったのが1994年の『パルプ・フィクション』だとすると、リチャード・ギアの場合は1990年の『プリティ・ウーマン(Pretty Woman)』でしょう。正直、80年代半ばから彼のキャリアは下降しています。ジャン=リュック・ゴダールの『勝手にしやがれ(A de souffle)』をリメークした『ブレスレス(Breathless)』(1983)が典型です。

 エルヴィス・プレスリーの『サスピシャス・マインド(Suspicious Minds)』に合わせて骨盤を揺らしてシャワーを浴びているヴァレリー・カプリンスキーに突進する姿やイモムシがもぞもぞと這いずり回るようなベッド・シーンも捨て難い見どころもあります。ただ、何しろ、作品自体がひどかったので、キャリア・アップにつながっていません。

 『プリティ・ウーマン』のエドワード・ルイス役は女優を引き立てる役柄です。そのため、他の役者から断られ続けた挙げ句、低迷していたリチャード・ギアに話が回っています。リチャードに蹴られたら、この作品はクランク・インできなかったでしょう。179センチの彼では175センチにハイヒールを履いたジュリア・ロバーツには背丈がつりあわないと本人も自覚していたようで、それをゲイリー・マーシャル監督に漏らすと、逆に、そういったセリフが劇中にとり入れられています。

 『プリティ・ウーマン』は編集ミスの多い作品として知られています。同じシーンであるはずなのに、突然、ファッションが変わっていたり、食事のメニューが違っていたりと楽しみはつきません。ミスを探して見るのも一興です。

4 触媒
 当初、リチャード・ギアは、おめでたいことに、『プリティ・ウーマン』が自分のキャリアのプラスになると考えています。けれども、途中から、これがジュリア・ロバーツの映画だと気づき、自分自身がネクタイやスーツのような役柄なのだと悟っています。この作品以降、彼は主演でありながら、共演者を引き立てる役として振る舞っていきます。

 黒沢明監督が『八月の狂詩曲』で彼を使ったのもそうした効果を期待してのことでしょう。破格の安いギャラでリチャードは出演しています。彼は、あるインタビューで、演技は自己にこだわらなくていいと答えています。言ってみれば、彼は触媒の機能を果たしているのです。

 触媒(Catalyst)は自身は科学的に変化せず、添加により化学反応の速度を変える物質を指します。反応によりその物質の化学的性質は変化しません。化学工業の80%が触媒による化学反応を利用しています。自動車の排気ガス浄化装置にプラチナが使われていますが、それが触媒利用の一例です。また、酵素は最も強力な触媒で、生体内で重要な役割をしています。

 ヒストリー・チャンネルの『バイオグラフィー』のインタビューで、「あなたはどういう人間なのか」と尋ねられたとき、リチャード・ギアは直接答えず、ミケランジェロ・アントニオーニ監督の名作『さすらいの二人(The Passenger)』の印象的なシーンについて語り始めます。

 ジャック・ニコルソン扮するテレビ・レポーターのデヴィッド・ロックがベドウィンの戦士にテレビ・カメラを向け、あれこれ質問をします。イギリスの記者にとってどれだけ意義深い質問であったとしても、その戦士には馬鹿げたことにしか聞こえません。戦士はおもむろにカメラを借り、それを肩に担いで、レポーターを撮りながらこう言います。「私の答えが私自身を明らかにするよりも、君の質問が君自身を表わしている」。

 このように話した後、リチャードはカメラの後に周ります。しかし、カメラの先には誰もいません。これがリチャード・ギアをめぐるアルファであり、オメガでしょう。

 ジョン・トラヴォルタは自分自身も変化させて作品の化学反応を起こす役者、すなわち作品に応じて自分自身を変える役者です。対して、リチャード・ギアは自分自身が変わらないものの、他の役者の変化を促進させるのです。

 前者は『フェイス/オフ(Face/Off)』の混乱したアイデンティティの人物を天才的に演じています。共演したニコラス・ケイジはトラヴォルタの演技を見て、作品に貫通するトーンを理解できたと告げています。

 一方、後者は『真実の行方(Priamal Fear)』でのエドワード・ノートンが扮した二重人格を装う容疑者の弁護士役になります。リチャードだけを見ていても、作品のトーンはわかりません。エドワード・ノートンは、役者冥利につきる非常にいい役を演じられたが、それにはリチャードの協力なしにはありえなかったけれども、自分がリチャードに支えられていたのではなく、二人を切り離して考えるべきではないという意味で、両者がうまくかみ合ったおかげで、あの映画は成功したと述べています。

 英語で、チームワークや相性、物事の不思議な作用をchemistry(化学)と言います。リチャード・ギアはそのよく見えない目で映画における不可視的な触媒の機能を見出しています。うんざりするほどエネルギッシュで押しが強く、自己顕示欲が旺盛で、足を引っ張り合うハリウッドにおいて触媒としての役者を形成した初めてのスターにほかなりません。

 ハーブ・リッツ(Herb Ritts)という写真家がいます。2002年に亡くなっているのですが、彼のポートレートは80年代と90年代のアメリカを最も描写していると見なされています。その彼が、誰にも相手にされなかった1978年、友人の無名だったある役者のポートレートを撮影します。その被写体こそリチャード・ギアです。視力が悪いというのは視覚が劣っているということではありません。他の器官が優れているだけでなく、周囲の人の視覚さえも研ぎすますという意味なのです。
〈了〉


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