夏休み②前編|月15万円の自炊日記#125
旅行前の食事
土日に自宅でPCを立ち上げるものの、全くやる気が起きない。
「あとちょっとで終わる」状態なら踏ん張れるが、今のリソースでは到底対応しきればいボリュームなので、焼け石に水感なのだ。
30代の頃だったら、旅行をキャンセルするか、旅先にPCを持ち込むかして、仕事を継続したかもしれないが、今の私は違う。
結局、スケジュールやYES/NOの返信だけして、後はどうにかなるだろうと開き直り、週明けの出社時、会社の諸先輩方に「夏季休暇の間、これとあれとそれとあっちをよろしく」と半ば強引に引継ぎしておいた。
前職で体調を崩した経験から、大概のことは自分ひとりで何とかするが、まれに発生する「大概ではない」時は、他人に甘えることを学んだ。
8年ぶりの義母の家
今回は、秋田の義母の家に1泊したあと、夏瀬温泉に1泊する。
素朴で優しく、気さくな義母とは、時々電話で話をする程度で、この7〜8年全く会っていない。
以前は、正月休みに夫と一緒に帰省していたが、夫婦仲が微妙になってから、私はずっと避けてきたのだ。
我ながら薄情だし狭量な心だと思うが、仕事、家庭、健康、自分の両親……。ひとりでは解決できないたくさんの課題を抱える中年クライシス真っ只中の私に対し、さらに痛めつける言動を続ける夫との生活は実際の年月より長く重い日々だった。
いい年になっても子どもっぽいナルシズムから脱皮できず、自己評価と他者評価とのギャップに憤り一番身近な人に八当たりする息子と、そんな息子を甘やかす母親。
自分のことさえ支えるのが精一杯の私にとって、共依存関係の親子に心を開くなんてムリだった。開くふりさえできなかった。
視野狭窄の私の目には二人は共犯関係にあるように映った。
罪悪感からせめてもと、お中元、お歳暮だけは続けていたが、私はこの先一生義母に会うことはないのかもしれないと思っていた。
だが、仕事、家族仲、自分の体調が改善したことで、義母からの「さばかんなちゃん、泊まりに来てけで」コールを徐々受け入れられるようになった。
今回、実家への帰省、義母と3人での旅行を提案したのも私だ。
私の年齢・立場的には、もはや家族の問題を「受け入れる」のではなく、「引き受ける」べきなのだが、まずは、ライトなことから始めていきたい。
というか、ここまでの数年間で疲弊してしまって、もはやそれしかできない。
エアコンのない熱帯夜
東京から飛行機とレンタカーで約5時間の旅。
義母がひとりで暮らす田舎の大きな大きな一軒家は、先日の大雨で被害を受けた。
屋内の浸水は免れたものの、庭に駐車していた軽自動車は廃車になり、室外機が故障してエアコンが作動しない状態だった。
追い討ちをかけるように、この週の秋田は最高気温38度。
「エアコン故障してっけから、さばかんなちゃん、しゃっこいの飲め〜」と氷でパンパンのグラスに随時麦茶やらサイダーやらが注がれ続けたが、まさに焼石に水の状態。
そして、1台の扇風機だけが頼りの広い居間で早々に夕食がスタート。
私は秋田訛りで半分以上何を言っているのかわからない義母の話を聞きながら、永遠に食べきらないのではないかと思われる品数と量の料理を私は口に運んだ。
食卓には私が4月の札幌出張時に送った帆立もあった。義母は自分で食べずに今日のために冷凍しておいてくれたのだ。
おもてなしは嬉しいいけど、お母さんのために贈ったものだから、本当は好きな時に好きなだけ食べてほしい。食べなくてもいい。
私は贈り物ってそういうものだと思っているから。
こういう価値観の違いは埋まらないし、埋めようとも思っていないが、次から生鮮食品は贈り物として選ばないかもしれない。
義母の歓迎をくすぐったく感じながら3人で囲む食卓は愛おしい時間ではあるが、いかんせん暑すぎた。
30分もすると、私の頭はくらくらしており、これ以上胃に何かいれたら戻しそうだったので、私はいったん部屋に引き上げ、休息を取ってから、家族団欒に再戦した。
エアコンのない家ってこういうことなのか。
今の日本の気候であれば、税金を投入して全世帯への設置、定期点検、使えなくなる前の修理と交換を義務付けてもいいと思う。
エアコン=生命維持装置。
この日の熱帯夜は水シャワーや氷枕でなんとか凌いだ。大きな平屋なので、戸を開ければ風も多少抜ける。
とはいえ、私は1泊で限界だったと思う。
危機的状況を実際に体験し、このままでは、私たち以上に義母がしんどいだろうと考え、すぐに設置できる簡易的な冷房を夫がネットで注文した。
義母にとって買い物とは、お店に立ち寄って、商品を手に取り、店員さんと会話して、袋詰めしたり発送したりするもの。
スマホがなければ、ECの世界なんて存在していない。
エアコンが壊れても、ご贔屓の家電屋さんが来てくれなかったら修理も交換もできないのだ。
以前から、自分の母も見ていて思っていたのだが、年寄りにこそ、デジタルが浸透するべきだと確信した。
夏瀬温泉『都わすれ』
2日目の朝。
汗だくのTシャツを脱ぎ、ビオレの汗拭きシートでさっぱりするが、一瞬でまた汗だくに戻る。
こんな日でも、義母は、4時半におき、朝ご飯をつくり、息子の靴下を探し、嫁にシャインマスカットやゼリーをふるまい、長すぎる廊下を掃除している。
甲斐甲斐しく動き回る義母を観察しながら、お母さんがなんでもやってくれると息子はああなるのかと過保護の影響について私は考えていた。
ふとした時、「うちの息子は優しくない」と義母がつぶやいていたのだが、「このお義母さんだけは私の不満をわかってくれるんだ!」と、心強い味方がいることに私は安堵した。
やっぱり来てよかったかも。人間はひとりで抱えすぎてはいけない。
そして、特定の人への悪口は共有した方がいい。
とは言っても、いつまでもこの家にいると熱中症になりそうなので、義母の止まらぬおもてなしを制御し、煙草を吸ってばかりのマイペースすぎる夫を説得し、9時過ぎに3人でレンタカーに乗り込み田沢湖に向かった。
猛暑でなければ、義母に昼ご飯まで詰め込まれるところだった。
危なかった。
この親子は、露天風呂に枯葉が落ちていたり、虫が飛んでいるのが気になるらしく、せっかくお部屋にお風呂がついているのに、1回も入らなかった。
ピンポイントで神経質できれい好きなところ、似てるなぁ。
お風呂の後はダイニングで早めの夕食。肉や脂身の多い魚が食べられない義母の料理はカスタマイズしてもらった。
まあ、こういういい宿なので、何を食べても飲んでも美味しい。
移動や暑さで義母も疲れていると思ったので、ほろ酔いになる前にお酒を切り上げ、部屋に戻った。
それにしても3人で旅行なんて、不思議。
数年間のモヤモヤは何だったんだろう?
こんなに喜んでくれるならもっと早くすればよかったと後悔しなくもないが、できないものはできないし、私だけが頑張ればどうにかできたわけでもない。
私の両親も常に仲が良かったわけではないし、別居期間も長かった。
家族というものはくっついたり、離れたりを繰り返すのだろうか。
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