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遠野物語を旅する〜ムラと藁〜

〜続き〜

・遠野ふるさと村

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曲がり屋等の古民家7棟を移築し、昔ながらの農村風景を再現した施設。

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曲がり屋では実際に馬が飼育されている。人慣れているのか大人しい。

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垂れ下がった焦げ茶色の実は、水に晒すと石鹸として使えるらしい。村のあちこちに落ちている。

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地図左下にあるマヨイガの森入り口。私はこのマヨイガの物語が好きだ。

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貧しい家の奥さんがある日フキを取りに谷奥へ登っていくと、立派な門構えの家を見つける。門の内へ入って見ると、庭には紅白の花が咲き乱れ、鶏が遊んでいる。庭の裏側へ回ると牛小屋や馬舎が。

しかし人の姿はどこにも見当たらない。

玄関から上がると部屋には朱色と黒色の膳椀がたくさん出されていて、奥座敷の火鉢には鉄瓶にお湯が沸いている。

しかしやはり、どこにも人影はない。

山男の家ではないかしらと急に恐ろしくなった奥さんは、慌てて家へ帰る。

後日、この奥さんが家の前の川岸でものを洗っていると、川上から赤いお椀がひとつ流れてきた。あまりに美しかったので思わず拾いあげ、米や穀物を量る器にした。するとこの器を使い始めてから、いつまで経ってもお櫃の米や穀物が減らない。
この家はこの時から裕福になり、今の三浦家となった。

マヨイガにたどり着いた者は、その家の中にある什器・家畜何でも持って帰ってよい。それは、その人に授けようとして現れる不思議な家なのだ。この奥さんは無欲で何も持ち帰らなかったために、お椀が自ら流れてきたのだろう。

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ハッピーエンドではあるものの、少しゾッとするような不思議な話。当時家というものが特別な場所であったことがわかる。このマヨイガの森を奥へ奥へと進んだら、私にも見つけられるだろうか。

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村内にある曲がり屋の家々を見て回っていると、藁が大切な資源であったことがわかる。それは建築、衣服…あらゆる場面に使われていた。

ふと、仙台の民族博物館で見た藁人形を思い出す。

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当時疫病などの災いは村の外からやって来ると考えられていた。そのため藁で神像をつくり、村境に置くことで村の安寧を保とうとしていた。

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団子は村の世帯分だけある。藁人形の下に担ぎ棒があるが、疫病を神に背負ってもらい村の外に送り出すのだ。

当時は村の内と外の境界線が明確にあり、藁で神をつくることで外から来るかもしれない脅威を防ごうとしていた。藁は生活以外に信仰面でも大切な役割を果たしていたのだ。

この村社会独特の閉鎖性が、様々な神事・風俗・郷土芸能を生み出す1つの要因となったように思う。八戸の郷土芸能であるえんぶりについてもまた書きたい。

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ふるさと村を離れたところでガイドは終了、遠野物語の館前で降車する。ここでは様々な伝承や、その構成についても学べて面白かった。

道中、遠野に暮らすガイドさんに話を聞いたが、今遠野では畑作のみで生計を立てている人はあまりいないらしい。村の中や外で会社員として働く人がほとんどだと言う。

時代に合わせてコミュニティの形やあり方も変わるが、それでも「遠野の古き伝承を残していこう」という地元の人々の思いをひしひしと感じる旅だった。

最後に、遠野で見つけたかわいいカッパや座敷童たちの画像を!

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