モンゴルの湖に行って走馬灯を見た話
2006年の話。
この頃、大相撲では朝青龍が連戦連勝。
強さの秘密はモンゴルに行けばわかる気がして、
夏休みの3週間をモンゴルに捧げた。
宿を決めずに入国し、モンゴルに泣かされ、危うく死にかけた、極めて無茶で馬鹿だった頃の私の備忘録でもあります。
1.首都ウランバートルから
モンゴルに着いて3日でやることがなくなり、途方に暮れた。
帰りのチケットの日付は3週間後。
首都ウランバートルの宿で、地球の歩き方モンゴル編を隅々まで読んだ。「この国のどこに行きたいのだ、お前は」と安宿のベッドで寝転ぶオレにオレが語りかけて、そそる行き先を探した。
800km離れた地に「モンゴルのスイス」と呼ばれる湖の町があった。モンゴルにいてあのスイスが味わえる。小京都のようなものなのか、確かめるべく、そのフブスグル湖へ向かうことに決めた。
最安値の移動を選択した。そう、時間はあるが金がない。
ロシア製のワンボックスカー(UAZ ワズっていうメーカーのやつで日本ではまず見ない)で、現地の方々に混じって移動。
というか、これか、飛行機しかなかった。
出発して3時間くらいで、舗装された道は終わった。
草原のオフロード長距離移動はとても辛い。
景色がなんせ変わらない。
時間は20時間と聞いて覚悟していたが、実際は28時間かかった。
この思っていた時間を超えてからの8時間が辛い。
いつまで走るのか、どこを走っているのかさえわからない不安。
モンゴル語しか通じない圧倒的孤独感。
揺れる車内から見上げた星空がきれいで、泣いた。
2.なにもないフブスグル湖
フブスグル湖に到着したころには、HPが2になっていた。
宿を決めていないため探す必要がある。
ただ、そんな力もなく、湖畔にテント式(ゲル)の宿があったので、そこに。
もう、どこでもよかった。
そして、この町には、電気も水道も通っていなかった。
この安宿にももちろんない。
標高が高くて寒くて、ゲルの中の暖炉に火をつけたいのに、用意されている木に火が付けられなくて凍えた。
自分の無力さを認識し、疲労に上乗せして敗北感に苛まれた。
宿のお手伝いの女の子(ツッツクさん13歳)に頼んだらマッチ1本で一瞬だった。現地の人間の技の凄さ。火の温かみよ。
長時間移動後で、久々の風呂に入りたいのに、シャワーなんてあるわけもなく。とりあえずよくわからないものを食べてから、寝た。
起きてから、宿のお手伝いツッツクさんに風呂の相談をしたら、手作りのシャワー室に案内してくれた。
木製の電話ボックス式シャワー。上部に水桶が付いていて、横に梯子を立ててツッツクが上がり、薪で沸かしたお湯を継ぎ足し入れてくれる。
降ってくる水量は、天井のツマミで調整する。穴が無数に空いていて、シャワーっぽく温かいお湯が降ってきて気持ちが良い。生き返った。
ツッツクが「まだお湯いる?」って感じで聞いてくれて、いるって言ったらまた沸かしたお湯を足してくれる。とても申し訳ないシャワーではあったが、クソ熱いお湯が入ってて「アチチ」と言ったら爆笑してた。わざとか。
湖から水を何度もくみ上げてきて、それを薪で沸かすから、とても大変そうで、帰り際にもう1回だけお願いしただけだった。
この町でもすることがなくて、とにかく散歩した。
宿の人に相談して、19歳のガイドさんに湖を案内してもらった。馬にまたがって1日中フブスグル湖周辺の山や湖畔を回った。モンゴル語しか話せないガイドだったが、馬の乗り方を教えてもらい、1日一緒にいたらなんか通じ合った気もしつつ。
よく休むやつで、笑った。
景色のいいとこにいっぱい連れてってもらった。
なんだかんだ6日間くらいここで過ごした。
というのも、来る時の移動がきつ過ぎて、あれを再度経験しないと帰れない。そう思うと、ここでのんびり過ごす方が楽で、なかなか踏ん切りがつかなかった。
あとは、電気も水道も何もないのが意外と新鮮で楽しかった。
とはいいつつ、がんばって決心して、ウランバートルへ帰ることにした。
3.地獄のバス乗り場
決心したタイミングが、最悪だった。
学生が首都に帰るUターンラッシュと被った。
遠距離バス乗り場に溢れかえる人。
ウランバートル行きの車に、私は3番目くらいに乗り込み、最後部列の端席に陣取った。
行きの経験が活きて、完璧なポジション取りをしたと思った。
ロシア製のワンボックスカーの定員が埋まればスタートするスタイル。
後部座席が3列あって1列に大人3人、運転席、助手席も合わせると定員11人だと思われる車。
11人が乗り込み、スタートはまだかと待っていたら、さらに人が乗り込んできた。
稼ぎ時のようで、今日はとにかく詰め込む様子。
1列に大人が4人座った。
ロシア製の車といっても幅がそれほど広いわけでもなく、窮屈なのは間違いない。想像に難くないが、これで28時間はまずい。
どうしようこれ。
車外にはウランバートルに行きたい人がまだ溢れかえっている。
そして、運転手は、さらに人を詰め込む。
「いやいやいや、無理無理無理、おいおいおいおい」と声を出しても伝わらない。
モンゴルの果ての町で響く日本語の虚しさよ。
1列に4人での絶望はつかの間だった。
4人座っている最後部に、さらに一人が来た。運転手にそこに座れと指示されている。どうすんのこれ。膝の上に座るわけにもいかず、1列シートに大人5人が無理矢理に横並びに。実質座れていなかった。
はめ込まれている感覚。
寿司より詰め込まれている。
車内の一列に大人5人が横になると、隣人の骨盤が当たって痛いことを知った。
背もたれも意味をなしていない。
肩幅は骨盤より広いので、隣の人と示し合わせて肩を互い違いにしないと、前傾姿勢になる。
さらに、完璧だと思っていたポジションは、最悪な場所に変わった。
車の側面とシートに10cmくらいの隙間がある。
この隙間を意識したことはなかったが、5人も横になると体の側面は車内壁に押し付けられ、シートと車の隙間10cmに半分ケツが落ちる。
つまり半ケツだけ座れていない状態。
ケツを置けないオフロード28時間の未来はない。
なんとか応急処置で、バックパックに入っていた着替えやタオルなど布物を隙間に詰め込んで、即席シート(簡易半ケツ置き場)を作った。
4.殴り合い
出発前の車内に気をとらわれていたら、外も地獄の様相に。
車に乗れない人が出てきて、席を争って車の外で殴り合いの喧嘩がはじまった。
ガタイのいい男二人の喧嘩。
もうめちゃくちゃで、男Aが車に乗せた荷物を男Bが引き摺り下ろしたとおもったら、Bの顔面にAがパンチしてABがつかみあいでBAになったりABになったり、ABBAでダンシング・クイーンで、最後はBのハイキックでAが血を流して倒れた。
そのBが乗り込んできた。
もう地獄やここは。
こんな人らと移動したくないし、なんなんこの車。
と思ったら運転手が喧嘩にブチ切れて、Bは引きずり降ろされた。
なんやねんこれ。
争うなよ、席ぐらいで。
どこがモンゴルのスイスやねん。
5.ウランバートルへの地獄の帰路
人間が無理矢理はめ込まれた車は、ようやく出発。
どう数えても車に19人乗っている。
11人乗りに19人。バスか。
当たり前なんですけど、これがまぁよく止まる。
ほんとによく止まって、もう何してるのかわからなくなる。
移動してるのか拷問受けてるのか。
もちろん、寝られない。
私以外の18人のモンゴル人も辛そうにしてたが、これは当たり前みたいな顔をしている。ボロ負けです。オレは心で泣いてました。モンゴル人すげえよ。
私は確信しました。
朝青龍の強さは、この地でしか得られない忍耐から来ている。
日本人には勝てません。無理です。
真夜中の草原で停車。
星空が綺麗で、またつらくて泣いた。
星の数が、日本でみたプラネタリウムよりも多くて、星のありなしで、真っ暗な草原との境界がみえた。
心も体も整った状態で見たい景色だった。
6.山道と悲鳴と記憶
そして、山道に入り込んだ。
それは、起きた。
オフロードのけっこうな急坂を、うぉおおおおおおおんと、唸りながら車は登っていた。
ロシア製ワンボックスカーの限界音のような気がした。
プツンッ
と急に音が消えたなと思ったら、
車が止まった。
また止まったな。
と思ったのも束の間、登っている最中にも関わらず、坂道をバックで下りだした。
ん?なんでバックしてんの?
運転手をみると見たことない速さでシフトレバーをガチャガチャ動かしている。
いやいや、これ制御きかない状態で坂道下ってるやつやん。
徐々に速度が上がる車。
車内のモンゴル人達も
「え?なにこれ?」
という空気に。
バックの速度がさらに上がる。
なんせ19人乗っているから、加速が早い。
最後部から見える運転手は、焦る様子でシフトレバーやらをガチャガチャしている。
いや、マジでなんしてんの。早く止めろよ。
上がる速度。
おい。
おいおい。
おいおいおい!
メンタル最強だと思っていたモンゴル人乗客の悲鳴が響く。
「ギャャアアアアアー!!」
あれ、これモンゴル人にも普通じゃないやつやん。
悲鳴とさらに訳のわからない言語が飛び交う車内。
人間が詰まりに詰まった車内。
バックのまま坂道をくだり続ける車。
加速。
まずい。
最後部。
このまま壁に激突でもしたら。
このスピードだと、死ぬ。
かなりのスピードで、逆に流れる景色。
やばい。
死ぬ。
まずい。
死ぬ。
死ぬ。
あ、
---
-----
-------
中学の友達の顔
子供の時のおぼろげな思い出
実家の川で遊んでいた様子
いろんな人の顔
顔
顔
-------
------
--
目に入る景色がスローモーションとなり、
走馬灯らしきものが見えた。
さらに響く悲鳴でハッとした。
ドア近くに座っていた男性二人が、
逆走する車のドアを開けて、
車外に飛びでて
山中に転がり落ちてった。。。
さらに広がる悲鳴。
あぁーーーーーーー!!!
わぁーーー!
ぎゃぁァァァァ!!
あぁぁぁ
あぁぁぁ
あぁ
あ
あぇ
お、、
おぉ
おおお
おあえ
徐々に速度が落ちて、
坂道がおわって、
止まった。
生きてた。
全員が車内からすぐ出た。
窓から出る人もいた。
怒るよりも何よりも、安堵の空気。
なんかもう、すごかった。
坂道をバックで下る車がこの世で一番怖い。
間違いない。
死んだと思ったが、生きてた。
間違いなく走馬灯を見た。
途中飛び降りた男二人は泥だらけの姿で、戻ってきた。
知り合いなのかわからないが、一人の女性が片方の男をビンタしていた。
運転手の二人は車を修理する様で、山は歩いて登れと指示してきた。
誰も文句を言わない。
皆、従って歩いた。
2時間くらい歩いて上った。
山頂で上ってくる車を1時間待った。
寒かった。
そこからまた、車に乗って、ウランバートルまで13時間くらい走った。
ただ、この記憶が強烈過ぎて残りの行程は、あまり覚えていない。
ウランバートルの手前あたりで停車し、さらに2人追加で乗せたのは覚えている。
人の膝の上に人が座っていた。
ウランバートルに着いたときに歩くのがやっとだった。
デコピンで死ねた。
ウランバートルの宿でシャワーを浴びて、とんでもない時間眠った。
モンゴルで走る馬にも乗って、走馬灯もみた話でした。