並行世界
友人が家庭版キネシオロジーのようなものを勉強していて
モニターで身体の調整をやってもらったりしてますが
なかなか興味深い世界です
そこでは、いわゆる量子論に関係する話が出てきます
もちろんその家庭版キネシオロジーについて全然勉強不足ですが
ざっくりというならば、量子論が関係する、というのは↓こういう感じかなあと思ってます。
心身に不調があったときに、
「原因と結果」
があって、原因を特定して対処するというのはとても大切なことだと思いますが
それと別に
ベタな例えとしてお医者さんに「良く効く薬だ」と言われてただのビタミン剤を飲んでも症状が改善されたりする事があるように、
もしくは
「権威あるお医者さん」に「治りません」と言われたら
他のお医者さんに行ったら治ったかもしれない症状も治らないかもしれないように
(そこが、ソシュールの言う「ランガージュ」(ざっくりというなら言語能力?)のすごいところでもあり恐ろしいところでもあると思っています)
「良い」「良くなる」という結果を意図して
なにかしらの施術なりのアクションを起こすことは
確実に結果に影響をあたえる、
という考え方を
家庭版キネシオロジーは積極的に採用している、ということかなあと
また
量子論にはかの有名な
「観察者効果」
「並行世界」
という概念がありますよね、
これもざっくりと、何かを観察するときに、
観察対象に対し観察者の「これはこういうものだ」という思い込み、バイアスは必ずかかる。
とだけ理解してますが
並行世界は
もう最近一般的にも
「推しと会える『世界線』」
というフレーズが使われたりしますしあまりにも有名な話なので
別に私が解説することでもないのですが
個人的には
恋愛シミュレーションゲームなどで()
A:遊園地に行く
B:カフェに行く
という選択肢が出て
どっちを選ぶかで相手の好感度があがったりさがったりしますよね()
私たちの人生でも常にそれが行われていて
ゲームはすぐリロードしてやり直す事もどっちの結果を見ることも簡単にできても
リアル世界ではA:遊園地、を選んだ時に
B:カフェを選んでいたらどういう結果になっていたのか?
を知ることはできませんが
実際リアルにも
都度都度AB以上に選択肢があって
選択肢の分の並行世界は存在している
という風にイメージするのが自分にはしっくりきます。
(そして、ゲームで例えるなら、
今お城にいる時は、画面上にはお城しかなくて、他の町や洞窟は存在しませんが
実は私たちの世界もそうで
それが
アインシュタインの言っていた「私は量子論が好きではないのです」「私は月を見ていない時にも月はあると思いたい」という話だと思いますが
それに関しては私はある、とも言えるし、ない、とも言えると思ってます。
、、ないっちゃないのかもしれないけど
そこを「無い」という言語でぶったぎってしまうのはあまりにロマン的なものが無い気がするので、、、個人見解ですが)
とにかく
どうやら今はその並行世界の中で
「推しがいる世界線」
にしろなににしろ
好きな世界線を選びやすい状況になっているようなので、
施術をする方も受ける方も「こうなる」(というか昔ながらのスピ的に笑いうなら「すでにこうである」?」)という意図を明確に持ちながら、調整をして身体のバランスを整えていく(ものらしい)
というのは
有効な手段だろうなあと思っています
ただ
人間は、
意図が明確でない時、分かりやすくポジティブじゃない時、もありますよね
またSKY-HIさんですが
(歌詞一部引用)
「聞いて欲しいけど言いたくない
自分でもわからない
実際何がしたい
正しいことなんか聞きたくない
どうせ誰も俺じゃない
実際何がしたい」
「消えてしまいたい
消えてしまいたい
何もかもを捨てて
夢も未来も」
こういう気分になる状況も、人間なら確実にあると思いますので
そういう時には
ポジティブに簡潔に目標設定をしましょう!
は
難しいだろうなあと思います