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かわいいはおさない

かわいいとは。「よい」とされる状態はいろいろあり、それらは「かわいい」「かっこいい」「美しい」「洗練された」「ゴージャス」「上品」など、「よい」より細かい、いろいろな言葉で形容される。私が日頃「かわいい」を目にするたびに思うのが、一般的に「かわいい」というのは「幼い」こととほぼ同義なのではないかということだ。「かわいい」という言葉から連想されるモチーフは何だろうか。インスタの便利機能を使って質問してみると、うさぎ、ねこ、ハート、赤ちゃん、いちご、チューリップ、ピンク、アイドルなどなど、多様な回答が寄せられた。

何でこんなことを考えたかというと、SNSの「文字の漢字変換を(わざと)しない文化」に気づいたからだ。漢字が難しい訳でも、あえて変換しない文学的な意図がある訳でもなさそうだ。小さい「つ」を意図的に無くしたりとか(「だった」→「だた」)、「は」と「わ」の使い分けをしていない例もある(そこからさらに、小さい「わ」に変換したり)。間違いなく備わっている、少なくともアカウントを作って運営するだけの知能に反する幼児が書いたような投稿に、不思議な感覚を覚えた。

こういう投稿をするユーザーには確実に決まった傾向がある。アカウントや(ある場合は)本人写真の雰囲気からして「かわいい」系の女性。以上だ。SNSという投稿の内容を自由に定められる場所で、あえて幼くなりに行く理由はなんなのか。それは彼女らが、「かわいい」を希求しているからに他ならないだろう。ここでタイトルに戻るが、少なくとも彼女らのなかで「かわいいはおさない」のである。

「おさないはかわいい」なら、普遍的に成立しうるだろう。最初に挙げた「かわいい」ものの例のように、人間や犬猫、さまざまな動物の赤ちゃんや子供は、多くの人がかわいいと感じる。幼さゆえ、いろいろなことがうまくできない所が庇護欲を掻き立てられるのかもしれない。例えば、漢字が書けないとか。
でも逆はどうか。冒頭で挙げたように、「かわいい」ものは別に、必ずしも「幼い」と結びついている訳ではないと思う。漢字が書けない「おさない」が「かわいい」として実行される姿には、何とも言い難い不気味さがある。いや、実際は全く違う論理でひらがなの投稿をしてるのかもしれないが、この仮説で行くと怖い。

どうしてこういう投稿をするのか。女性が求められる「かわいい」が幼い、つまり、男性や他の人の庇護欲を幼児のように掻き立てることが、「かわいい」と結びついているのか。それとも、女性の求める「かわいい」が幼い、つまり、女性の思う最もかわいい姿が、幼児のようなたどたどしい幼さなのか。どちらが先なのか分からないが、不思議だなあと思う。でも自問自答してみると、難しい漢字や英語を使いこなす女性より「かわいい」かもと思ってしまう。大人の女性に幼児性を認めるのは、果たして正常なことなのだろうか?

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